里の中心で愛を叫ぶ



里の中心で愛を叫ぶ

コウ様



8.傍に居て欲しい



「―――サクラちゃん!」


明るい声と共に近づいてくる人物があった。
医療班に於いて、先輩方からは妬まれ疎まれ、後輩からは恐れられているこの己をそんなふうに呼称するのは、ただの1人。


「なぁにアンタ…、こんなところでサボリ?」


可愛くないと思う。
むしろサボりに当たるのは己の方だ。

かわいいかわいいとひたすら愛でられていたのは、10代の特権のみだろうなとも。
彼はそんな可愛げの無い反応を、少しも気にせずに笑う。


「オレ?ちょっとシカマルと待ち合わせててさ」


そうして、笑顔をすっと引っ込める。
そのままサクラの顔を覗き込むように、身体を屈めた。
身長の差が随分付いてしまったと改めて思う。


「……サクラちゃんこそ、何かあった?大丈夫か?しんどい?あ、また徹夜明け?」


矢継ぎばやに労い尋ねてくるのは、心配そうに揺れる蒼い瞳と金の髪。
いつでも気に掛けてくれる、それがいつの間にか当たり前だと思ってしまっていた。
言われて初めて、サクラは唇がへの字になっていた事に気付く。

ここでいつもならば、少し前ならば。
「うっさい!」と一喝し鉄槌を見舞っていただろう。

だが、先日の一件もある。
慌てて俯いた。


「――――何でも無いわよっ」


可愛くない、内心で溜息を吐く。
「ありがとう」と、素直にいう事も出来ない。
「大丈夫よ」と、せめて偽って笑顔を貼り付ける事も出来ない。


(これじゃ、気にして欲しいって言ってるようなものだ――――)


訳も無く、心臓がいつも以上に音を立てて鳴る。
それを隠そうとしたとしても、笑える程難しいことだ。
俯いたまま、焦りだけが無駄に加速する。


「…サクラちゃんの事は、大体わかる」


聴き慣れた筈の声が、低く響いた。


「いつも見てるから」


鼓動が逸る、訳もなく無駄に。

それは果たして、今でも言えることなのだろうか。
サクラは乾いた口を開いた。


「またそんな事言って…。もういい加減にしなさいよ、そういうネタ。あんたは明日から…」
「―――そう、明日はオレの生まれた日」


遮ったナルトが、静かだが力強く言った。
サクラは、そっぽを向こうとしていた動きが止める。
やがてノロノロと顔を上げた。
視界に、今も昔も少しも変わらない笑顔が入る。


「すげぇよな、オレ嬉しいんだ。だって、追悼を記念日に変えちゃうんだぜ?」


今も昔も、少しも変わらない。
厳密に言えば、成人を迎え頬骨や首などに精悍さは増している。

時は確かに流れた、だけど。
その揺らぐ事の無い意志と夢は、いまだにその瞳に宿る。


「21年前の事…。気の毒な人もいるけどさ、これでやっと…。終戦記念日ってなるんだ…」


「気の毒」だと表現する一瞬だけ、ナルトは目線を落とした。

――――そんな事しなくても、もういいのに。
サクラは的確な言葉を探した。


「――――そしてアンタ…新しい火影様の就任記念日にもなるわけね」
「――――へへへ…、なんか照れるな」


相応しい言葉を探した。


「…がんばんなさいよ。私は関係ないけど、私たち忍や里全体の生活が懸かってるんだからねっ」


それが正しい選択だと思い、ぎこちなく笑顔の仮面を当てる。


「え、サクラちゃん、傍にいてくれないの!?」
「はぁ?何言ってんのよ無理に決まってるじゃない!」


其々の立ち位置として、適切である言葉を口にする。
彼の未来から距離を置くのに、妥当な表現を。

異動の話など無い、補佐は然るべき人物が務めるのだろう。
それなのに。


「――――オレは、傍にいて欲しい」


サクラは目を見張った。
また、動揺が走る。
真っ直ぐに見つめる蒼い瞳から、目を逸らせるのが精一杯だった。


「だから…っ、無理だって。私、医療班なのよ?」
「無理じゃねえって!綱手のばぁちゃんの時だってやってただろ」
「……もう上忍なのよ?…昔とは違う」


――――サクラちゃんさえよければの話だけど。
控えめに述べてくる彼。
対して、サクラはただ寂しそうに笑ってみせた。


温度差を感じる今の職場を思い起こす。
いつの間にか自覚なく、いつも眉を寄せていた自分。

――――もしこのまま、私があんたの日常に飛び込む事が出来たら。
もし、この張りつめた日常にナルトが入って来てくれたら、どんなに変わる事だろう。


「……でも、やっぱり進みたかった道だから。今の場所、捨てられない…」


ごめん、と俯く。

これで繋ぎ止めておけるのだろうか、果たして。
また私は、手離すのだろうか。


大切な、たいせつな何かを。


「違うって…っ!」


途端に声を張り上げる彼に、目線を上げた。


「その…、職場とかじゃなくて…っ」


頬を掻きながら、慌てて言葉を探しているようだ。
サクラは呆けたように、黙って耳を傾ける。
言い出しにくそうに言葉を飲み込む。
だが一度息を吸って吐いて、真っ直ぐに見てきた。



「オレの…、オレの毎日の中に、いつも一番近くに居て欲しい…」



サクラの翡翠の瞳が見開かれた。


いま、何て、言った?
それって…、そういう事なんだろうか。


爆発寸前の見えない起爆札を目の前に投げ込まれたようなものだ。
思わず再び俯いてしまう。
張本人である隣人は、へへっと笑って頭を掻いていた。


「――――オレ、やっぱりサクラちゃんの喝が無いとダメかもな。これからも」


「しゃーんなろーってやつ!」聴き慣れた声が穏やかに沁みる。
視線を向ければ、その腕の間から彼の表情が見えた。


「……ナルト」
「あー…っ、ここまで言うつもりじゃ無かったのに…!」


たちまち頭を抱える動作に、目を丸くする。
決め台詞がイマイチ過ぎる不発だった事に加えて、自爆を招いているようなものだ。


サクラは思わず吹き出した。
この男は、「キツイ」と恐れられる我が性格でさえ、必要としている。


そこで納得する。
彼の言葉は、これまでに何度だって心の琴線に触れていた。
気付けば今までずっと、波長が合っていたのだから。


「……なにそれ、変なの」


笑えばしかめっ面がジト目で此方へ向く。
やっぱりカッコ悪い、とまた笑ってしまった。

ナルトもまた笑って、サクラちゃん、と呼びかける。
声色が低いものに変わっていた。


「――――オレが、もう何とも想ってないと思った…?」


囁くような必要最小限の音量に、訳も無く背筋を伸ばす。


「だって…」
「あん時、フラれたから、とでも思った…?」


サクラは無言で、コクンと頷く。
偽りだらけの遣り取りだったとはいえ、かつてサクラは彼に振られたのだ。
ナルトが言葉を重ねる。


「サクラちゃん、オレが諦め悪いヤツって知ってるだろ?」
「そんなの…っ」


わかんないよ、と零す。
彼の性格は呆れる程知っているが、それとこれとは別の話だ。
この間の一件だって、どういうふうに捉えたらいいのか判らない。
恋愛に対して臆病になっていたサクラには、笑えるほど難しいことだった。


「……ちゃんと言葉で言ってくれなくちゃ、判らない…」


今、何を考えているのか。
何を思って、どういう意図で、その決断を下したのか。
人の気持ち程、酷く困難なものはないと改めて知った。


判り合えるなんて、嘘だ。
どんなに一緒に居ても、知られたくない事だってある。
偽りの壁を作ってしまえば、簡単に、間違った解釈を選択しうるのだ。



「――――ナルトせんせー!」



同時にハッと顔を上げる。



子供たちが手を振る後方には、シカマルが立っていた。

言うまでもない、明日の式における段取りの打ち合わせについてだろう。
火影塔まで連れ戻しに来たのだが、直接声を掛けるのも野暮だと判断したのか。


傍からはそんなふうに見えたのだろうか、サクラはまた変に熱くなる。
思いっきりしかめ面を作ることさえ、滑稽に思えた。

これでは、まるで。


まるで。




「……じゃあ、また明日…」




目の前から、ナルトが動く。
視界の端にまで影が寄り靴端が、やがてそれは消えた。


この時になって、ようやく身に沁みる。


彼と己とでは、生きる道が違う。
とても似ているけれど所詮分かれた道、歩む場所や向かう先はやはり違うのだ。


――――サミシイ。


どうして気付いてしまったんだろう。
同時に後悔もする。


このまま離れて、彼は彼の道を歩むべきなのに。
己の道とは、余程異なる。
この里の未来を率いるに足る、その背中。


サクラは里における多数の忍の中の1人だ。
自分の享受した道を全うすればいいのだ。


それだけで、いいのに。


まるで、自分でも曖昧だった本当の想いを、ひたすら隠そうとしている。
そんなふうにも思えた。




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