里の中心で愛を叫ぶ



里の中心で愛を叫ぶ

コウ様



7.恋とは厄介なもの



「もう…っ!いい加減にして!」


すぐ目の前には、サクラの罵声に首を竦めて俯く後輩が立っている。
この間の人物とは違う事だけか救いだったが、その瞳は怯えの色を浮かべている事だろう。

それが、遠い記憶の中の自分と交錯した。
サクラは溜息を吐く。


この鬱々とした気持ちは、この後輩だけの所為ではない。
彼女は、患者の治癒手順に関する、以前と同じ間違いをしただけだ。
十分にフォロー出来るものだったのに。

上司が後方から苦笑した。


「そんなに厳しくすんなや。お前のハイスペックな同期とは違うんだからよ」
「…今は関係ないと思います」


鬱々とした気持ちで研究室を後にする。
これ以上ここに居たら、要らぬ事まで愚痴ぐちと続けてしまいそうだった。
そういった陰湿な説教が女特有のものであることも知っている。

まるで、あれ程毛嫌いしている自分の母のようだ。


時間を遡ること、一刻。


サクラは、医療現場との連携を取るための定例会議に出席していた。
需要と供給の食い違い、研究室と現場での相違に意見が割れる、たまにある事だ。
互いに一歩も譲らず、男性陣は怒鳴り合いにまで発展していた。


どうしてこうなんだろう…。
皆、現場に於いては一様に苦労してきた筈なのに。

我慢出来ずに、ついに声を上げてしまった。


『こうしている間にも、前線で任務をこなす忍はたくさん居るんです!貴重な時間の無駄使いだと思いませんか』





「……五代目の愛弟子サマは、強気ですこと」
「里の英雄様の後ろ盾もあるみたいだしねぇ」


サクラが通り過ぎようとすると、何処からともなくクスクスと笑う声が聴こえる。
醜い嫉妬だ。
恐らく先の会議にも同席していた、年上の女性の先輩たちだろう。
女にしては能力を評価され、順風満帆であるサクラの昇進を快く思わない連中だ。


わたしは、わたしだ。

綱手様の弟子の名に恥じぬよう、努力してきたつもりだ。
ナルトは昔からの腐れ縁であり、信頼し合う戦友だ。

わたしの信じた道を進んでいるだけ。
それなのに。



苛々しながら自分の所属する部屋に戻ってきたところ、後輩から歓迎したくない報告を受ける事になる。

実験の過程を間違えた。
論文発表用の作成書類が不足していた。
残り少ない試薬の発注を見送ってしまった。
データ入力したところ数値が合わない、等々……。

そこで冒頭のやり取りになる。

もちろん最も被害を被ったのは、最後に報告をした者だった。
可哀想な中忍は、ヒステリックな先輩の犠牲になってしまったと言えよう。


サクラの日常はこの繰り返しだ、心が晴れることなど無い。




***




「それで、逃げ出してきたの」
「……逃げたわけじゃない。やらなくちゃなんない事、いっぱい残してきちゃったし…」


研究塔から火影塔へと通じる渡り廊下で、丁度サイに出くわした。
片手を上げて笑顔で挨拶を寄こした彼には悪いが、かいつまんで憂さ晴らしに付き合わせてしまっている。


「よく話題に出されるの。綱手様とかナルトとか…コネとか言われるのよ?私が未熟な証拠よね」


サスケの事もよく話題に出る。
彼だって良くも悪くも有名人だ、勿論今は里に従属しているのだが。
サクラの事だけ殊更貶めるように言うのは、大抵が同性である。
戦争の手柄に拘るわけではないが、気分がいいものでもない。


私だって、頑張ってるのに、私の日常はまだ追いつけない。
彼らがスゴイだけだ、と考えて諦めかけた事もあった。
でも。


「昔同じ班だったからって、何かと引き合いに出されるのは悔しいの…」


思わず口に出てしまった。
それに対してサイは、事もなげにブスリと槍を刺してきた。


「何でそんな風に捉えるのかな。考え方も不細工だね」


サクラは呆れたように彼を見遣った。


「……あんたねぇ」
「サクラだから、じゃないの?」


またもや何でも無い事のようにサラリと言う。
思わず、そのにこやかな横顔を凝視した。


「一端のくの一は、そんな事思いもしない。
 ナルトやサスケと肩を並べられるのは、かつて同じ班だったキミ以外には居ないと思うけど」


だったら、張り合って離れようとしないで、近くに居たら?
サイの言葉は、最もだと思った。


彼らと比較される事を疎んでいた。
彼らを拒んでいた。


そんな事に、今更気付く。
いや、すでに気付いていたのかも知れない。


「サイ…。私って、可愛くないね」
「いいや、いつも通り」


珍しく気を遣ってくる事もあるのだ、と感心した矢先にその続きがもたらされた。



「ブスだよ」




***




(あの頃が、一番楽しかったのかなぁ…)


屋外に出たところで、空を見上げる。


研究塔を出たそこは、火影塔との間の中庭だった。
新たに造られた遊具も設置されており、子供たちの声が響く。
丁度アカデミーの昼休みなのだろう。


あの頃。

下忍だった頃、任務に於ける責任や重要性が、今より遥かに乏しかったあの少女時代。


いざというとき必ず守ってくれる、未熟な自分らを率いてくれる上忍がいた。
バカだと罵っていた筈なのに、その成長ぶりに焦りを抱かせ、この背中を押してくれた奴。
そして、存在と一挙一動、総てに憧れていた初恋の人。


自分は確かに恋をしていた。

過去も、そして今も。


サスケは確かに今でも尚憧れの存在であり、それは変わらない。
時折姿を見かければ、ああやっぱり綺麗だな格好いいなと思う。
この先もきっと、そうなのだろう。


だけど。


あの時、3人で背中を合わせて立った。
それだけで、止まっていた時間が動き出したと思えた。
彼が里を抜けてから、サクラの胸の中でずっと止まっていた秒針が……。


この想いは、然るべきところへ行きつく。
私は、彼らと同じ位置に立ちたかったのだ。


恋煩いとは、よく言ったもの。

恋とは、確かに煩わしいものだ。
生きる糧になれば、これほど喜ばしいものはないと云えよう。
だが、叶わずに苦しくあらゆる阻害になるのならば、これ程忌々しいものはないのだ。


どんなに医療を学ぼうとも、決して癒せない心の穴。
それが、いとも簡単に治癒されていくなんて。


止まっていた時間が、動き出した。
その時間と共に、いや多分もっと前から。


初恋とは違う「彼」の存在が占める大きさが、どこかで変わってきていた。


彼の姿、笑顔を見るだけで、また前に進めると思えた。
何故なら、彼はいつも前だけを見ているから。
そしていつも、サクラの事を見てくれていたから。


わかっていた、判っていた筈なのに、見ないふりをしていた。
「アンタ」と呼び捨て、弟のように扱い、姉貴風を吹かせて距離を置いていたのは、自分だ。


――――サクラちゃんはなぁ…っ、サスケの事が、大好きなんだぞ…!


後々になって、もう時効だろうとサイから聞かされた事がある。
思い知らされる。
叶わぬ初恋にがんじがらめにされていたのは、己の方だった。


――――もういいって、言ってんの…っ!


いつか、そう告げたこともある。


自分でも揺らいでいた薄っぺらな言葉、彼はいとも簡単に見抜いてしまった。
自分で自分の気持ちに嘘をついた。
だけど、告げた言葉に嘘があったかは、正直判らない。


見失った初恋に戸惑っていたことを、自覚していなかっただけだ。



――――やっと、つかまえたって事?



サクラは溜息をついた。






「―――ナルトせんせ〜!はやくとって〜!」


不意に子供の声がした。
条件反射的に其方へ振り向く。
サクラの翡翠色の瞳が、束の間大きく開いた。


「おーし、お前ら!いくってばよ!」


視線の先のその人は、逞しい肩を廻して振りかぶる。
空に綺麗な弧を描いて、ボールは飛んでいった。

子供たちの歓声が上がる。
沢山の笑顔が咲く中に、同じく彼の笑顔があった。

数多くの小さな足音が遠ざかる。


涙が溢れた。


サクラは、そのことに気付くまで数秒要した。
慌ててハンカチを取り出す。


張りつめていた、自分の周りの空気の色が変わる。
今にも切れそうだった糸が、弛緩していく。
サクラの総てが、緩やかなものになっていく。
心が穏やかになり、口元も自然に緩んでいった。


恋なんて厄介なもの、もう二度と御免被りたいと思っていたのに。


また落ちてしまっていたなんて。




prev  7/11  next