まろやかな棘



まろやかな棘




   二.


 里に戻ったその日のうちに、サクラはサイの部屋を訪ねた。ドアを開けた時のサイときたら、国語辞書の「驚く」というページに顔見本として貼り付けたいほどイイ表情を披露してくれたが、「入ってもいい?」とサクラが尋ねると、無言で部屋の中に招き入れた。あとは何も言わずに唇を塞いで、ベッドに押し倒してしまったら、することはひとつだった。
 ベッドの中で見たサイの表情は、想像よりもずっと豊かだった。健康的とはとても言えない色の肌は、思った通り体温が低く、里まで走り帰ったせいで火照っているサクラには、その温度差が心地良く感じられた。それでも、ベッドの中で手足を絡ませているうちに、サイの身体も人並みに、いや、それ以上に熱を持ちはじめ、うっすらと首筋に汗が滲みはじめる。つうっと伝うその雫には、不思議な色気があった。薄い唇が身体を這う感触にサクラは身を捩じらせ、息を荒げながら黒髪を混ぜ返した。最後に、身体の相性はかなり良いらしいと思ったことも付け加えておく。
 事を終えた後、やや戸惑いの滲む声で自分の名を呼ぶサイに背を向けて、サクラはベッドから出た。声を掛ける隙を作らせることなく、手際よく服を着て、身支度を整える。
「うん、まあ、そういうことで」
 寝ること自体が目的だったので、その部屋に留まり続ける理由が見つからなかった。サイの顔も見ずに荷物を手に取ると、ぺこんと頭を下げた後、「お騒がせしました」という言葉を残して、サクラは部屋を出た。



「ヤマト隊長、探しました」
 行きつけの蕎麦屋から出てきたところで、ヤマトはサイに声を掛けられた。正確に言えば、進路を立ち塞がれたのだ。その口調から、緊急の呼び出しだろうかとヤマトは身構える。ひどく深刻そうな表情をしているし、任務だとすれば、よほどの難件に違いなかった。
「どうした、何があった?」
 店の戸を開けっ放しのまま、ヤマトは表情を険しくする。背後から聞こえる「ありがとうございましたー」という店員の暢気な声が、緊迫した場面にそぐわない。
「セックスの後、女の人がすぐ帰っちゃうのは、ボクが下手だからなんでしょうか」
 くっきりとした声でそんなことを言い放つサイに、ヤマトはギョッとする。そのまま表情は固まり、すぐには言葉が出てこない。店からちょうど出てきた男二人連れの好奇な視線が、ヤマトの横顔に痛いほど突き刺さった。真昼間から何を口走っているのだ、この子は。場の空気を読まないことが多い子ではあるが、いくらなんでもこれはひどい。
「ちょっと、君ねえ、いきなりなんだい」
 ヤマトは、通りを歩く人々の視線をちらちらと気にしながら、サイとの距離をぐっと詰め、小声でその言動を咎めた。それでもサイは、ヤマトの焦りになど構っていられるかとばかりに、言いたいことをぶつけてくる。
「大きさには自信があるんですが、そこまで遊び慣れてないものですから、テクニックというものにいささか問題がある気がします」
「あのね、だから……」
 まだ続けようとするサイの口を手で覆ってやろうかとも思うのだが、珍しく切羽詰っている様子で、ヤマトの言葉が耳に届いているのかさえ疑問だ。
「手練手管に長けた女性のところに通って、しばらく腕を磨いた方がいいでしょうか」
「あー……わかったから。少し移動しようか。その間に、ボクも自分の意見を頭の中で整理するから」
 整理する、という言葉はどうやら届いたらしい。サイはようやく口を噤んで、視線を下方に向けた。とりあえずこの場を離れるのが賢明だと判断し、ヤマトは店の戸を閉めて歩き出す。気に入りの蕎麦屋なのだが、次に入る時は、少々気まずい思いをするかもしれない。あの出汁を超える蕎麦屋なんて、そうそう見つからないというのに。
 昼時の賑やかな商店街を抜けると、人通りはまばらになる。民家が建ち並ぶ方角を避けて、新緑の眩しい散歩道を選んだ。こんな話は、本来なら居酒屋で済ませるのが正解なのだが、すぐにでも答えを欲しがっている元部下は、夜まで待ってはくれないだろう。そもそも場所や時間に気を遣える性格だったら、今こうして森林浴を楽しんではいない。
「君も、難題にぶち当たったな」
 揶揄する言葉をかければ、隣を歩くサイは、弱りきった顔で「そのようです」と答えた。
「いい女かい?」
 口端を吊り上げて、ヤマトは隣を見る。サイがどんな女に引っ掛かったのか、少しだけ興味があった。
「どうでしょう。わかりません。今は、まるで客観性が持てないものですから」
「振り回されるのは、嫌いか」
「そんなの……好きな人なんて、いないでしょ」
「それがいるんだよなぁ。手間のかかる相手ばかりを好きになっちゃう奴がさ。君の周りは、アクの強い人間が多いからな。癖になったか?」
 感情を埋没させる生き方を叩き込まれたサイが、一番最初に心を動かされたのは、きっとナルトだ。やがて、ナルトと行動を共にするサクラの胸中を考えるようになり、二人が固執しているサスケにも興味が移った。眠らせたはずの感情が引き戻される強烈な感覚が、忘れられないのかもしれない。そうなると、一筋縄ではいかない相手にばかり惹かれる運命だ。その点、サイには同情する。
「君は、その相手と話をしたかい?もちろん、寝た後にね」
「それは……一度も」
「言葉にしないで終わらせようとしても、いつか限界は来るぞ」
 相手といかに接触を持たずに、事を上手く運ぶか。もしそんなことを考えているのなら、楽をするなと諭してやりたい。これは親心っていうのかな、と頭の片隅でヤマトは考える。
「どうしても処理できない感情や疑問があるなら、ちゃんと相手にぶつけてみろ。藪の中は、突いてみなけりゃ何が潜んでるのかわからないんだから。案外、君の欲しい物が転がってるかもしれないぞ」
「嘘を見破るのは、得意なんです」
 唐突に、サイが言う。その脈絡のなさに、ちゃんと話を聞いていたのかと呆れる人間もいるだろう。しかし、サイの中では繋がっているはずだと、長年の経験からヤマトは導く。かすかな表情の変化や物言いで、それは確実だった。
「真意を見抜けなかったことが、ボクは悔しい。ボクにならわかるはずだと、少し自惚れていたのかもしれません」
「女は、嘘が得意なものさ」
 反論をしようと口を開くサイだが、結局は何も言うことなく、顔を俯けた。
「見抜けなかったのなら、聞き出すしか方法はないよ。尋問、得意だろ?」
「これは任務じゃないですよ」
「そうか、それは失礼」
 ムッとしたサイの様子に、ヤマトはくぐもった声で笑う。今日はずいぶんと可愛げのあることばかり言うので、からかいたくなった。当分は蕎麦を食う店に困るのだから、これぐらいは遊ばせてもらいたい。
「ただ、聞き方には気をつけろよ?蕎麦屋の前で言ったようなことを相手にぶつけたら、君、平手打ちじゃすまないぞ」
「……はあ」
 なんとも頼りないサイの返事に、ヤマトは眉尻を下げる。この分だと、話が進展するどころか、ますますこじらせるだけで終わりそうだ。
「おいおい、大丈夫か。せめて昼間に話し掛けるのはやめて、夜にしてみたらどうだ?だいたいね、君は普段から周囲の目ってもんを、もう少し……」
 午後の召集までは、幸い時間がある。とりあえず、相手を怒らせる真似だけはさせまいと、ヤマトは時間ぎりぎりまでサイの人生相談に付き合うことにした。




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