つぼみの頃



つぼみの頃




   四.


 秋の神宮球場は、すっかり紅葉色に染まった桜の木々が立ち並び、路肩には落ち葉が重なり合っていた。最初にここへ足を運んだのは、大学二年の春。サークルの仲間たちと一緒に、校旗と同じ色の服を着込んで遊びに行ったのだ。なんとなくみんなについていったサクラだったが、応援合戦は面白かったし、選手がヒットを打ったらみんなで大騒ぎ。OBなのか常連なのか、周囲の観客を巻き込んでコールをはじめる一角もあった。それに混ざるのがちょっと楽しくて、その後も何回か足を運んだ。
 そんな記憶は、ここに来るまで、ずっと忘れていた。この球場にも思い出のひとつやふたつ、ちゃんとあって、つかの間、懐かしさに浸る。




「しっかし、あんたが野球ねー」
 いのの少し呆れた声を背中に浴びながら、応援の賑やかな場所を避けて、グラウンド寄りの内野席を選んだ。見に来てくれ、と言われたことだし、見つけやすい場所に座るのがいいかと思ったのだ。階段を下りて、適当な席に腰を落ち着ける。
「スポーツ観戦、好きでしょ?」
「私、サッカーの方が好き。地元クラブの応援、時々行くし」
「代表の選手、何人かいるんだっけ」
「あんたに言っても、名前わかんないわよ」
「確かに」
 その点は、否定はしない。ルールがわかるのは、野球ぐらいだ。それでもあやふやな部分があって、ちゃんと試合の内容わかるかしら、と若干不安にもなる。いのは売店で買ったフライドポテトをもしゃもしゃ食べて、紙ナプキンで指を拭うと、バッグの中からオペラグラスを取り出した。
「……用意いいわね」
「だって、顔が見えないでしょ?」
「面食い」
「それはお互い様」
 そのまま眺めているとすぐにボール回しが終わり、母校の選手たちは一度ベンチに戻るようで、去り際に帽子を取ってグラウンドに一礼した。あの子はいるかな、と目を凝らす。金髪はとても目立つので、すぐにわかった。
「んーと、背番号は14だって」
「うん、そうみたいね」
 いのはオペラグラスを外して、スタジアムの電光掲示板に目を向ける。
「え、嘘でしょ?わー、すごい」
「んー?」
 膝に頬杖をついてなんとなくグラウンドを眺めていたサクラだが、いののはしゃいだ様子に首を傾げる。いのは、黙ってセンター方向を指さした。それを辿って電光掲示板を見ると、14番という背番号が記されている。
「……おっどろいた。まさかのスタメン。名前は、うずまきナルトくん。そりゃ、試合に見に来てくださいって言うわけだわ」
 これにはサクラも面を食らった。打順が三番ということは、実力のある打者なのだろう。スポーツ強豪大学でスタメンなんて、なろうと思ったって、そうそうなれるもんじゃない。それぐらいの知識はサクラにだってある。もしかしたら、プロを目指してるのかしら。居酒屋でガチガチになっていた姿からは、ちょっと想像がつかない。
「ウチの大学から、何人かプロになってるよね」
 サクラの考えを察したように、いのが言う。
「この間、なんとかって選手が、どっかのチームの監督になるらしいって、寄付金の案内に書いてあった」
「何、そのあやふやな情報」
「だって、読まずに捨てちゃったから」
 普通ならそんな情報すぐに忘れるだが、ゴミの分別をしようと封を切ったら、表紙にその監督が笑ってる写真がデカデカと載っていたのだ。処分したのが一昨日だったので、覚えていた。ただ、それだけの話。
「うずまきナルトくんも、プロになるのかしらねー」
「どうなんだろね」
「でもさー、野球選手でしょ?地方でガンガン遊びまくって、結局はどっかのアナウンサーと結婚ってのが定番よね」
「……野球選手に恨みでもあるの?」
 生ビールが入った紙コップを口元に運ぶ手を止めて、いのを胡乱げな目で見る。
「べっつにー。ただの一般論」
「まあ、確かにアナウンサーと結婚するパターン多いよね」
「デキ婚も多そう。あれ?ねえ、こっち見てるんだけど」
 いのの視線を追ってみると、あの子ことうずまきナルトが、ネット越しにサクラをじっと見ていた。スポーツ選手なので、目がいいのだろうか。よく見つけたなと舌を巻きながら軽く頭を下げると、ナルトは鯱ばった姿勢で、深々とお辞儀する。
「あはは、可愛いじゃん!すんごいガチガチ!」
 これは、緊張しちゃって打てなくなるかも。ハラハラするサクラだが、いざ試合がはじまってみれば、三安打の猛打賞。いの曰く、「足が速くて守備範囲も広いし、かなり有望な選手」なのだという。母校は完勝で、うずまきナルトはその勝利に十分貢献をしていた。




 試合も終わり、あとは帰るだけ。ゴミを片付けて荷物をまとめていると、バックの中でスマホが暴れている。見れば、会社からだ。
「ごめん、電話だ。ちょっといい?」
「あーはいはい、ここで待ってるから」
 小走りで席から離れると、スタンド内通路で通話ボタンを押す。電話に出ると、上司が「休みに悪いね」と断りを入れてから、昨日の申し送りについて質問をしてきた。どうしても仕事を残したくなくて、雑になってしまった部分があったかもしれない。内心慌てる。
「はい、はい、そうです。その件はペンディングになってて、先方の連絡待ちなんですよ。回答はギリギリになるかもって……はい、調整は私がします」
 受け答えをしていると、ガチャガチャと慌しいスパイクの音が、遠くから聞こえてくる。そちらに視線を移せば、きょろきょろと誰かを探すナルトの姿があった。もしかして私を探しているのかしら。じっと見ていると、バチッと目が合って、互いに会釈する。手のひらを掲げて、「ちょっと待ってて」の意を伝えると、すぐに通話は終了した。ナルトはおずおずという言葉がとても似合う様子で、こちらに近づいてくる。
「すごいね、もしかしてレギュラーなの?」
「あ、ハイ、なんとかやらせてもらってます」
「しかも、猛打賞。頑張ったねー」
「や、その、来てるって、わかったんで……その……」
 がしがしと頭をかいて、視線をふっと外した。会話が、なかなか続かない。挨拶もしたし、そろそろ帰ろうかと思うと、ナルトは縋るような目でサクラを見た。
「あー!っと、えっと、今日、お休みなんですか?」
「うん、そう。たまたまなんだけどね」
「忙しいんすか?」
「うーん、そう、かな?残業も多いし」
「あの……どこに行けば、会えますか?」
「ん?」
 いきなり話が変わって、サクラは目を瞬かせる。
「あの居酒屋行ったら、また会えますか?何時ぐらいに駅にいますか?お住まい、どこらへんなんすか?」
 立て続けに質問を食らって、何から答えていいのやら、と大いに戸惑う。それでも、嫌な気はしなかった。ナンパみたいな口調ではなくて、話を続けようと必死なのが見て取れる。
「えーっと……そうだな、次の試合は、いつなの?」
「火曜日の16時です」
「その次は?」
「木曜日の昼、です」
「んー……平日に見に行くのは無理だなあ……」
 加えて、土日に仕事が入ることも珍しくない。生活は不規則だ。どこに行けば会えるか、なんて即答はできない。
「今、台風来てるんです。この感じだと、雨で二日くらい順延すると思います。そうすると決勝は、土曜日です」
 真っ赤な顔をした男の子の表情から、野球選手のそれに変わる。
 この子、絶対に勝つ気なんだ。
 母校に対する思い入れは極めて薄い方だと思っているが、なんだか最後まで見届けたくなった。
「雨降らなかったら、来れないわよ?」
「それなら、それで、仕方ないっす」
「……じゃあ、もし雨だったら、土曜日。またスタンドで応援してる」
「できれば内野席に座ってください。オレ、試合終わったら、絶対に寄りますから」
「今日座ったあたりでいい?」
「はい!もちろんっす!今日、来てくださってありがとうございました!」
 きっちり90度のお辞儀をすると、スパイクの音を響かせて通路を去っていった。グラウンドを動いている姿はなかなか精悍で、ユニフォーム越しにも鍛えてるのがよくわかる。それでもサクラの頭の中には、居酒屋で不器用なナンパもどきをしてきた姿が根強く残っていて、なんだか面白い子という印象が抜けない。
「……ユニフォーム姿は、カッコイイかな?」
 スマホの真っ暗な液晶に向かって、そっと呟く。
 その後、母校は順調に勝ち上がったが、大型の台風が関東を直撃し、決勝は土曜日に順延となった。




2015/1/18




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