二. ナルトは座敷に一度戻ったが、彼女が席についたのを見届けると、また便所に立って後ろ手に扉を閉め、両手で顔を覆ってずるずると床にしゃがみこんだ。 「やっべえ、超かわいいってばよ……」 頑張ってください、と女の子から声をかけられるのは、さして珍しくないことだった。甲子園の出場が決まった時は、顔も知らない同級生が増えて、合コンのお誘いは毎日ひっきりなし。付き合いもあるので、最初は顔を出したりしていたが、次第にうんざりするようになり、自然と野球漬けの毎日に戻っていった。そんなこんなで女と付き合うことなく、今日、二十歳になった。 「なんて名前なんだろ」 扉に頭を預けて、ぼんやりと呟く。初めて会った女にここまで興味を惹かれるのは、生まれて初めてだ。女絡みといえば、スポーツが昔から得意だったので、バレンタインのお返しに苦労した記憶しかない。身勝手なことを言わせてもらうと、あれはかなり面倒な行事だった。顔も名前もいっぺんには覚えられなくて、高校に入ってからは、申し訳ないが全部お断りをさせてもらった。目立ちたがり屋のくせに変なところで面倒くさがりで、大雑把で、どこか薄情。それがどうだ。彼女の顔は絶対に忘れられそうにないし、名前だって知りたい。 あの人が店に入った時から、目が釘付けになった。便所に立った時、その横顔にすっかり見とれてしまって、店の柱に頭をぶつけそうになり、キバが散々バカにしてきた。 どうせ二度と会えないだろうから、行ってこい!そんで気持ちよく玉砕しろ! 確かに、きっと二度と会えない。だとしたら、恥はかきすて。言われた通り、玉砕覚悟だ。その場の勢いに乗じて席を立ち、どう声をかけていいやらわからなかったが、単刀直入に一緒に飲みませんか、と誘ってみた。結果は散々だったが、その代わり、便所、いやいや、ここは上品にお化粧室と呼ぶことにしよう。その扉の前でばったり出くわした時、ちょっとだけ会話ができた。笑顔も見れた。きっと顔も覚えてもらったんじゃないだろうか。 「もっかい、声かけてみようかな……」 友達と合流したみたいだが、ちょっとでも隙があったら、もう一度。善は急げとばかりに、扉を勢いよく開けて、店のフロアに戻る。目あての席を探せば、二人は盛り上がっていて、メニューを持ってきた店員でも会話を遮るのは難しそうだ。しょぼくれながら、座敷に戻る。 「なあなあ、あそこん席の後から来た女、すげえ美人なんだけど!美人の友達って、なんで美人なの?今この店にいるツートップじゃね?」 キバのやかましい声を浴びながら、座布団の上に胡坐をかいた。今日、ようやく解禁されたビールは、苦くて飲みつけない。オレンジジュースを瓶ごと掴んで、一気に飲み干す。 「今度は、お前が声かけてこいってばよ」 「オレぁ女に困ってねーからいいんだよ!大事にしたい女がいると、辛い練習も耐えられるってもんよ」 思い出し笑いだろう、にやにやと気持ち悪い顔でキバが言う。 「女日照りのお前が、ようやく発情期に突入と思ったんだがなー」 「そんなんじゃねってばよ!」 声をかけるチャンスを失った憤りを隠さずに怒鳴りつければ、キバはそ知らぬ顔でビールの入ったコップを掲げた。 「えー、うずまきナルトくんの生誕を祝って、もいちどカンパーイ!」 キバが音頭を取ると、全員がコップを持ち、「カンパーイ」と粗野な声が響く。非常にむさくるしい。今度はコーラの瓶に手を伸ばすと、ちらりと視線を感じた。あの人が、振り返ったような気がした。 寮から戻り、自室に入ると、ベッドにどさりと身体を投げ出した。 「なんで女って、あんなイイ匂いすんだろ……」 便所、もとい、お化粧室の前で向かい合った時、タバコや食事の匂いに消されることなく、あの可愛い女の人の匂いが鼻腔を擽った。あれは香水なんだろうか、化粧だろうか、はたまた。 「やっべえ……」 あの人の匂いかもと想像したら、勃ってきた。だってもう、本当に好みだったのだ。顔は可愛いし細くてスタイルもよかったが、それ以前に、佇まいが良かった。スマホをいじる仕草とか、店員が枝豆とビールを運んできた時の笑い方とか、ごくごく飲んだ後、「おいしい」とひっそり呟く感じとか。全部が好ましくて、見惚れてしまった。だからこそ、あの罰ゲームみたいな遊びに乗っかって、どうにかして番号ぐらい聞き出したかった。 「名前、なんてーんだろーなー。知りてーなー」 枕に顔を埋めて、ため息をつく。 「うずまきー!戻ったらオレんとこ来いっつったろーが!」 「サーセン!今行きます!」 廊下に響き渡るのは、主将の声だった。外出後は必ず主将の部屋をノックして、寮に帰ったことを知らせなければいけない。ベッドから跳ね起きる。ムズムズとした下半身の疼きはすっかり掻き消え、ドタドタと足音を響かせて廊下に出た。 2015/1/16
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