つぼみの頃



つぼみの頃




   十八.


「……というわけで、生まれて初めて年下の殿方とお付き合いすることになりました。つきましては、ご助言をどうか」
 ナルトと付き合うことになった経緯とこれまでの流れを説明すると、サクラはいのにアドバイスを求めた。場所は馴染みにしている立ち飲み屋のカウンターで、いのと隣合わせに並んでいるものだから店主に向かって頭を下げる格好になる。いのはそこに突っ込みを入れたりせず、ゆったりとした仕草で瓶を傾けると、コップにビールを注いだ。
「厚化粧に気をつけなさい」
「……失礼なこと言うわね。化粧落としたってそんな変わんないわよ。肌の調子だっていいし」
「ちーがう。そういう意味じゃない」
 サクラに目配せひとつせず、一息にコップの中身を飲み干すと、カウンターの向こうで串焼きをひっくり返している店主に揚げ出し豆腐を頼んだ。いのの好物だ。
「猫被ってないのかってこと。だらしないとこ、ちょっとは見せたの?」
「それは……これから……徐々に出していこうかと……」
 消え入りそうなその声に、いのはようやくサクラに視線を向けた。
「あんたそれ、そのうち揉めるわよ」
 よく当たる占い師の口上を聞いている気分だった。ほとんど預言者だ。実際、いのは学生時代によく恋愛相談に乗っていて、失敗に至るケースをことごとく言い当てた。面白がったクラスメイトが、学園祭で設営した喫茶店の一角に占いブースを設けて、いのを座らせたことがあった。1回100円のお遊びだ。いのもお祭り騒ぎが嫌いじゃないし、売り上げは折半という条件で話は成立した。当日はなかなかの盛況ぶりで、結果的に大成功。後日、その占いがよく当たったというので、あれは一体誰なんだと密かに話題になったりした。
「外面のよさ、だけじゃないみたいね」
「ハードル上げすぎたのは、わかってる」
「それも、ただの成り行きでしょ。好かれるのがあんまり嬉しかったから、それに応えちゃったってとこか」
 物陰からずっと観察していたんじゃないかと思うぐらい的確で鋭い。胸に深く突き刺さるが、いのに言われると素直に受け止められる。そういうところが、いのの魅力だった。
「いつもいつも、相手に甘えてたんだなあ、私」
 以前、年上じゃないと話や好みが合わないのだといのには言ったが、実際のところ、自分より年齢が上だというだけの理由で相手に甘えて、寄りかかりすぎていたのだろう。だから最終的には愛想をつかされて逃げられた。心当たりはあるし、そう考えると、辻褄が合う。
「そういうとこがきっと可愛かったんでしょ、向こうもさ」
「でも、最後はいつも上手くいかなかった。努力が足りなかったのね」
 今こうして足掻いているのは、何も考えずに恋愛を楽しんでいた自分の所業ゆえだ。これって、まともな恋愛をしたことがないに等しいんじゃないかしら。そんな懸念が浮上し、気持ちが暗くなる。
「今度は……失敗したくないな」
 いのは黙ってサクラの髪をぐしゃぐしゃと混ぜ返した。
「揚げ出し豆腐、あがったよ」
「おー、きたきた」
 髪から手を離し、出てきた好物にはしゃいだ声を出して皿を引き寄せると、そのまま箸で割って口に運ぶ。
「おかわり、同じのでいい?」
「うん」
「富乃宝山、お湯割りで」
「はいよー」
 いのが注文すると、店主は会計札にチェックをしてから、カウンターに並んでいる酒瓶を掴んだ。
「小出しでも何でもいいから、さっさと手を打たないとね」
「……うん」
 重い重い一言だった。頭ではわかっているのだが、一体どうアプローチをすればいいのか。それは自分が考えるべきことで、これを乗り越えなければ、いずれまた違う壁にぶつかる。不器用だとか言ってられる状況ではない。広がる不安を誤魔化すように、最後の一口を喉に流し込んだ。




 帰り道、バッグの中でスマホが鳴動する。取り出せば、メールが届いていた。
 お仕事お疲れ様。おやすみなさい。
 いつも寝る前に、ナルトはメールをくれる。律儀で、礼を尽くし、その気持ちに応えたいと相手に思わせてしまう。そういう彼だからこそ、好きになった。
 練習お疲れ様。おやすみなさい。
 ほとんど定型文だが、過去のメールを流用することなく、一文字一文字丁寧に打つ。きっと、ナルトもそうしているだろう。それどころか、こちらの負担にならないようにと、会話をしたいのに我慢している。告白をされた時、ナルトが消した文字を追いかけようと決めたはずだ。
 メールを一旦保護すると、アドレス帳からナルトを探して、通話ボタンを押した。
「あ、まだ起きてた。うん、うん。今、帰ってるとこ。大丈夫よ、周りに変な人いないから。誰かに襲われてると思ったんでしょ?」
 慌てふためいて電話に出るものだから、何を考えているのかすぐにわかった。
「違うのよ。ちょっと、声が聞きたかっただけ」
 一瞬、間があいて、照れたような笑い声が聞こえた。電話越しの声は優しく、疲れた身体に染みる。明日もお互いに早い。アパートに帰るまでの間だけ、会話を楽しもう。サクラは、少しだけ歩調を緩めて、ゆっくりと帰り道を辿った。




2015/2/26




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