つぼみの頃



つぼみの頃




   十七.


 いつもよりぐっすり寝てしまったナルトは、まだ外が薄暗い時刻に、ハッと目を覚ました。決して大きいとはいえないパイプベッドがギシリと軋み、落ちかけたところを体幹の強さでなんとか持ちこたえる。
「やっべえ!朝錬!」
 布団を剥ごうと身動きすると、素っ裸だった。ここは見るからに寮の部屋ではなく、隣に惚れた女が寝ているわけだから、状況を把握しようと努力する必要はなかった。昨夜の出来事は脳裏にしっかりと刻みついている。ナルトは布団を被り、もぞもぞと元居た場所に戻った。
 昨夜、ナルトは生まれて初めて女を抱いた。どういう段取りで事に持ち込むか、ベッドに押し倒したらどんな手順で進めるか、ありがたいことに現代社会には教材が溢れ返っている。セオリー通りにうまくやろうと思っていたのだが、サクラの部屋に足を踏み入れた途端、全部すっ飛んだ。ブツンと回路が千切れて、非常電源さえ動かない。とにかく、この人が早く欲しい。そんな逸る気持ちを抑えようと理性が働いたのが、奇跡のように思える。
 布団に隠れている裸の肩に、そーっと触れる。2月の朝は空気が冷え切っているのだが、人のぬくもりが傍らにあるおかげで、寒さは感じない。上半身を持ち上げて、サクラの寝顔を見る。すうすうと気持ちよさそうに寝ていて、このままずっと見ていたいと思うが、昨日の夜、定時出社だと言っていたのが気になる
「……何時ぐらいに、起きるのかな」
 きっとアラームぐらいは設定しているのだろうけれど、勤め先までどれぐらい時間がかかるのかわからないし、遅刻なんてさせるわけにはいかない。ついっと軽く肩を引き寄せると、サクラは寝返りを打って、ナルトの胸に収まった。この体勢、やばいです。まずいです。朝の生理現象は、変わらぬ日課だとばかりに通常運転で、抱きしめてしまえば絶対に止まらなくなる。
 気にせず自由奔放にふるまうか、疎ましく思われないようにじっとしているか。選択肢は二つあったが、ナルトは迷わず後者を選び取り、サクラちゃん、と弱々しく声をかける。もぞり、とサクラの身体が動いて、今度は仰向けになった。もしかして寝相悪いのかな、と怒られそうなことを思ってしまう。
「サクラちゃん、朝だよ」
 うっすらと瞼が開かれて、天井をしばし見つめた後、その顔がこてりと枕に横たわった。眼差しが、ナルトに注がれる。
「おはよ」
 囁くように紡がれたその声は、下っ腹に効いた。赤くなるのは、ナルトの方だった。もっと慌てふためくかと思っていたのに、サクラはいつだって余裕たっぷりで、この状況を楽しんでいるようにも感じられた。自分だって、楽しみたい。なのに、邪な欲が邪魔をして楽しめない。遊びに弾かれたナルトは、入る隙間を見つけられなくて、少しだけ拗ねる。
「今、何時?」
 目元を腕で覆って、サクラが尋ねる。
「えと……六時半」
「会社近いから、まだゆっくりできる」
「……そか」
「ご飯、外で一緒に食べようか。何もなくて、ごめんね」
「じゃあ、マックとか?」
「そうね、駅前だとそうなるかな」
「……んーと、もうちょっと、寝る?オレ、起こすから」
「あー、起きたくないなー」
 布団の中で身体を伸ばしながら、サクラが言う。そんなことを言ってしまえば、ナルトだって、起きたくない。ここから出たくないし、ずっとこうしていたい。一日中ここにいたって、退屈なんてしない。絶対の自信がある。
「やっぱり狭いね、このベッド」
 二人並んで仰向けに寝ることは不可能で、ナルトは昨晩からずっと身体を横たえている。
「私、起きるから寝てていいよ。窮屈だもんね。ゆっくりしてて」
 サクラはそのまま起き上がるかと思いきや、布団で身体隠して、言いにくそうに口を開いた。
「ごめん、ちょっとだけ後ろ向いてくれる?」
「……やだ」
 予想外の答えだったのだろう、驚きが見て取れる。起きぬけからずーっと心臓はバクバクしっぱなしで、自分だけ慌てふためくのは不公平だ。オレにだって、サクラちゃんをびっくりさせることはできるんだぞ、と子供みたいなことを思う。
「じゃあ、バスタオル、取って」
「やだ」
 枕の上に肘をついて、手のひらに顔を乗っける。オレを越えていけとばかりに身体で進路を塞いでいると、サクラが諦めたように息をはいた。
「……一時間しかないんだけどな」
 いったん窓に目を向けてから、ナルトをまた見る。すっと顔が近づいてきて、唇が重ねられた。その動きに、ナルトは目を瞬かせる。唇が離れた後、ぽかんと間抜け顔でサクラを見ていると、サクラは何かが違うと気づいたのか、身体をスッと引いた。
「……あれ?」
 次の瞬間には、みるみるうちに顔が真っ赤に染まり、それを悟られまいと慌てて視線を外した。サクラが何を勘違いしているのかをナルトはようやく理解し、つられて赤くなる。ただの通せんぼだったのだが、誘っている風に見えたらしい。
「ごめん、忘れて。起きるから、忘れて」
 そういう顔を、見たかったんだ。そして、誘いに乗ったのは、サクラの方。意図していた展開とは違うが、サクラを驚かせることができた。ナルトは自分が優位に立てるカードを握り締めて、ベッドから離れようとするサクラの身体を抱き寄せた。
「忘れられっかよ」
 そのままベッドに縫いとめて、首筋に顔を埋める。
「まだ一時間あるんでしょ?」
「……身支度、あるから」
 顔を覗き込むと、目を合わすことなくサクラは抗った。
「じゃあ、喋ってる時間、もったいねえな」
 有無を言わさず唇を塞ぐ。キスの仕方は、昨日覚えた。ためらい気味に受け止める唇の表皮を舌でなぞって、小刻みなキスを繰り返す。
「ほんとに、やだ?」
 サクラは顔を横たえたまま、ナルトを見ようとしない。身体を押して拒絶することだってできるのに、それをしないのはなぜなのか。ためしに、舌を割り入れてみる。最初は反応を返さなかったが、探るうちにキスの角度が変わり、やがて絡み合った。
「……シャワー浴びたいから、一時間は、無理」
 残された時間は、おそらく50分前後。一秒でも長く抱き合っていたい。声を返すことなく、サクラの上に覆いかぶさった。




2015/2/15




次ページ