つぼみの頃



つぼみの頃




   十五.


 新宿の街は、バレンタイン一色だった。商業ビルはもちろん、街灯にも「Happy Valentine's Day!」と記された旗がぶら下がっていて、街自体がピンク色のパッケージに包まれているみたいだ。どこか浮かれた雰囲気の中を歩いていれば、ナルトだって否が応でも2/14という日付を意識するようになる。
 ようやく休みが重なった二人は、街歩きをしていた。隣にはもちろんサクラがいて、手だって繋いでいる。初デートということで、どうしてもこれだけはクリアしておきたい。そう前日の夜に決めた通り、待ち合わせ場所に姿を見せたサクラが何かを言う前に、その手を取って指を絡めてみた。顔なんか、とてもじゃないが見られない。電車に乗ってしばらく経った後、ちらりと隣に目を配らせれば、サクラは素知らぬ顔で車窓を眺めている。何か反応が欲しくて、挟んだ指にちょっとだけ力を入れてみれば、視線が合わさり、サクラの親指が手の甲をすりすりと擦った。そうなると、真っ赤になるのはこちらの方で、サッと視線を外してしまう。また負けた、と思った。
 JRの新南口を掠めて、なんとなくぶらぶら歩く。こんな人ごみの中を歩くのは、何年ぶりだろう。サクラは慣れているかもしれないが、ナルトにとっては何もかもが新鮮だった。向かいから歩いてくる人々を避けながら、サクラの歩幅に合わせてゆったりと歩いた。
「ねえ、スケジュール帳、見ていい?」
「うん。どこに行けば売ってんのかな」
「じゃあ、こっち」
 サクラは、今のナルトの財力ではどうやっても手が届きそうにない装飾品やバッグが並ぶ売り場を通り抜けて、東急ハンズに入っていく。そして、エスカレーターを上へ上へとのぼっていくと、またしてもバレンタインに染められたフロアが目の前に現れた。
「あ、ちょっと待って」
 どのラッピングがいい?とか何とか聞かれるのだろうか。確かに、ここまで押しに押されると、話題に出さない方が不自然だった。君が選ぶものなら何だって嬉しい。そう告げれば、ちょっとはドキドキしてもらえるだろうか。ナルトはその言葉をすぐ取り出せるように、喉の手前に用意する。
「スマホの保護フィルム、最近キズが目立つようになったから、ついでに買っとこうと思って。ここで待ってる?」
「え、あ、うん!」
 心の動揺を悟られまいと必死だった。何期待してんだ、バーカバーカ。もう一人の自分が、しきりに罵声を浴びせてくる。こういう時、誰かが傍にいてくれると気持ちを誤魔化せるのだが、甘んじて受けるしかない。穴に入りたいとは、まさにこのことだった。
 耳を塞いで気にしてない風を装い、携帯アクセサリーの棚に移動する。なんとなく品揃えを眺めていると、ある商品が目に留まった。桜の花を模したイヤホンジャックだった。ICレコーダーのお返しをしていないことをずっと気にしていて、かといって金が余っているわけでもない。こういうのはきっと、気持ちを返しておくのが重要だ。とても似合うと思ったから。そう言って渡せばいい。迷うことなく手に取ると、サクラに気づかれないように入れ違いで商品をレジに運んだ。




 たくさん手に取り、悩みに悩んで、ようやくサクラは気に入ったスケジュール帳を見つけたようだった。ナルトの目にはどれも同じように見えるのだが、サクラには細かな違いが見て取れるようで、他の店にも足を運んで慎重に決めた。探していた物を買えた充足感に二人とも包まれながら、足を休めようとマックに入る。頼んだのは、ファンタとコーヒー。向かい合わせに座って人心地がつくと、ナルトはキバに借りたショルダーバッグから紙袋を取り出した。先ほど購入したイヤホンジャックだ。
「これ、サクラちゃんにあげるってばよ」
 テーブルの真ん中に箱を置くと、サクラは目を瞠った。初めてサクラを出し抜いたかもしれない。ちょっと浮かれる。
「今、開けていい?」
「もちろん」
 紙袋のテープを剥がすと、サクラの目の前に現れるのは、プラスティックのパッケージ。
「サクラちゃんに、似合うと思ったんだ」
 サクラは、黙ったままバッグを引き寄せると、手にしたスマホに差してあるイヤホンジャックを引き抜いた。そして、パッケージから丁寧に新品のイヤホンジャックを取り出して、それを付ける。眩しいものでも見るような視線をじっとそこに注いだ後、鮮やかに笑った。
「嬉しい、ありがと。バレンタイン、奮発しなきゃね。チョコ、好き?」
「うん」
「じゃあ、トリュフかな。食べたいものがあったら、言ってね。マフィンでも、ブラウニーでも」
 サクラからのチョコは、もちろん欲しい。今まで断り続けた女の子全員から平手打ちどころか拳で思い切り殴られようとも、今年ばかりは絶対にチョコが欲しい。しかし、それ以上にナルトには欲しいものがあった。まだ早いかなとは思う。でも、言わないと何もはじまらない。拒まれたって、次がある。
「……時間、ください」
「時間?」
「サクラちゃんの14日、オレにください」
 もっと緊張するかと思っていたのに、目も逸らさなかったし、声だって震えなかった。真正面から切り込めた自分を、ナルトは誇りに思った。いざって時はやれる男。サクラにそれを認めて欲しかった。
「意味、通じてる?」
「うん」
 サクラの反応が一切読めなくて、焦る。周囲のざわめきがひどく遠い。二人がいる場所だけ浮き上がり、まるで違う空間にいるみたいだった。
「外泊届って、出せるんだ。もちろん回数は決まってるんだけど、オレ、特に遊ぶ理由もなかったから、それが溜まってて……使いたい、って、思ってんだけど……」
 サクラは、スマホの上部に手を滑らせて、プレゼントしたばかりのイヤホンジャックを一度、二度、迷うように触れた。やがて視線が持ち上がる。
「じゃあ、ウチに、来る?」
「……いいの?」
 その問いかけに、サクラは軽く二度頷いて、スマホを置いた。その手を掴んで引き寄せたかったが、まずは話をするのが先だった。
「仕事は?」
「都合つける」
「ほんとに?」
「絶対、夜は空ける」
「期待して、いいの?」
「いいよ」
 笑みさえ浮かべて、サクラは了承した。嬉しさと照れが心の中で綯い交ぜになり、頬が緩む。ナルトはテーブルの下に手を潜らせて、サクラの指に触れた。人の目があったって、構やしなかった。人差し指、中指と徐々に重なり、指が絡まる。それはごくごく自然な所作で、やっと本当の恋人になれたような気がした。




2015/2/9




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