つぼみの頃



つぼみの頃




   十四.


 好きな人と、彼氏彼女になりました。ちゅーもしました。抱き合ったりもしました。ちょーラブいっす。ちょー可愛いっす。むっちゃくちゃ可愛いっす。愛してるってばよ、サクラちゃん!
 てなことを寮の屋上から力の限りに叫びたい衝動に何度もかられたが、野球部の面々にはまだ言わないことに決めた。せっかく集まった妖精さん募金を没収されても、困る。これは貴重な財源で、ちょっとでも何か欲しそうな表情を見せたら、それをすぐさま拾い上げ、惜しみなく金を使うつもりだった。なにせ、勉強会とは違う日に、デートの約束も取り付けているのだ。練習の休息日とサクラの休みが奇跡的に重なったので、その日は朝からずっと一緒にいると決めている。
「キバくーん、ぼく、行ってくるねー」
「おー、ちゃんと抜いたかー」
 相変わらず尻をかきながら、こちらを振り向きもせずにキバが言う。こいつにぐらいはサクラとのことを伝えておこうと思ったのだ。キバの彼女溺愛は有名で、うまくいくコツを伝授してもらおうかと思っている。
「心外だな!お勉強をしにいくのに、みだらな妄想なんてするわけないってばよ!」
「がっつくなよー」
 さっさと行けとばかりにキバは手を振る。踊り場を軽快な足取りで折れ曲がり、階段を下りる。今週は、カラオケボックスで音読をする予定だ。この年末年始、壊れるかと思うぐらい繰り返し聴いたICレコーダーの成果を、絶対に見せてやる。勇んで寮を飛び出すと、待ち合わせ時間にはまだまだ余裕があるのに、駅に向かって猛然と駆けていった。




 広げた教科書を二人で覗き込み、ナルトが音読している文章を目で辿る。この暗さにも、だんだん目が慣れてきた。昔は曲を探して分厚い冊子を捲ったらしいし、教科書やノートだって読めないこともないのだろう。初回こそたどたどしい調子で音読していたナルトだが、ICレコーダーが効いたのか、今日は格段に上手くなっている。
「つっかえずに読めてきたね。これなら、先生だって何も言わないよ」
「へへ!オレってば、すげえ勉強したもんね!」
 会うたびに人懐こくなって、言葉が砕けていく。サクラもこんな風に自分を曝け出せればいいのだが、まだちょっと怖くて、余裕があるフリをしてみたりする。そのたびに、外面ばっかりいいんだから、といういのの指摘が胸にチクチク刺さった。
「こいで、出席日数確保できれば、バッチリ!ぜってー単位取ってやるってばよ!」
「授業に同級生がいないのは、辛いかな?」
 クラス単位で受講するはずだから、ナルトはちょっと浮いてしまうかもしれない。
「野球部以外で親しい奴、特にいないから。そこは、へーき。わりと慣れてる」
「……そういうもの?」
「だって、遊べねーもの。ちょっと話ぐらいはするけど、飲み会で盛り上がった仲間とツルむようになるから、なんとなく話さなくなる」
「そういうの、寂しかったりする?」
「えー?どうだろ。あんまり考えたことないってばよ」
 サクラの中には、やっぱりラグビー部の彼の姿がこびりついていて、そこにどうしてもナルトを重ねがちだった。誓って言うが、好意はなかった。ただ、その境遇がなぜか苦い思い出になっているだけで。力になってくれる友達がいてくれたら、何かが変わったんじゃなかろうか。
「友達、いた方がいいよ」
「んー、サクラちゃんが言うなら、頑張ってみる」
「素直でよろしい」
 ナルトは、ご褒美を欲しがってる犬の顔をする。髪を撫でてやると、嬉しそうにはするのだが、すぐに不満顔に変わった。
「足りないってばよ」
「あのね、カメラがついてるの。ここではダメ」
 おとなしく引き下がったのは、素直に言い分を聞いたわけではなく、外でならしてもいいと解釈をしたのだろう。口元が緩んでいるので、なんとなくわかる。その後は真面目に音読を繰り返し、10分前の知らせが聞こえると、もう一ページだけ進めて、帰り支度をした。
 店を出ると、ナルトがちょんとサクラの手の甲に触れて、こちらも触り返してやると、そろそろと握ってくる。臆病な手が指を絡ませたいのだと伝えてくるが、重ねるだけの繋ぎ方は高校以来で、懐かしくもじれったい距離感をもう少しだけ味わいたかった。指の付け根がカチカチに硬くて、てのひらは分厚い。一回軽く握ってみれば、ナルトも握り返す。そんなちょっとした遊びに興じていると、手を引っぱられた。初めて見せた強引な所作に男を感じて、ドキリと心臓が跳ねる。導かれたのは、通りを外れた細道だった。そこは行き止まりで、換気口からごうごうと空気が吐き出され、ビールケースが所狭しと積み重なっている。通りからは死角になる場所に引き込んで、ナルトはサクラの腰に両手を回した。
「このまま帰るの、ちょっと、寂しい」
「うん、私も」
 ナルトを見習って、素直な心情を伝えてみた。するとナルトは頭を傾けて、サクラを覗き込む。その後はもうためらいはなくて、サクラの身体に負担にならないように肘から上をコンクリの壁に押しあてた。唇に触れるのは、二度、三度。それだって、きっとナルトにとっては一大事で、ここに連れてくるのだってすごく勇気が必要だったに違いない。それに応えたいとは思うけれど、自分の方から踏み込んだら、驚かれるかもしれない。
 重ねるだけの口づけに、おそるおそる唇を食む所作が加わる。こんな可愛いキスも、きっと今だけなのだろう。最後にサクラの方からほんのり唇に触れるのが、今の二人には似合っていた。
 帰り際、名残惜しそうに幾度も振り返るナルトに向かって、手を振り続けた。角を折れるまできっちり見守ると、くるりと背中を向けて、独り言を呟く。
「ちょっとずつ、がんばろ」




2015/2/4




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