ショートホープ



 10.


 火影の執務室のドアを開けた時、振り返った同期の二人は、少し意外そうにいのの顔を見た。ナルトは眉を持ち上げ、シノはその表情こそ変えないものの、身に纏う空気が少しだけ変わった。今回の任務はどうやらこのスリーマンセルで行うらしい。
 油女と山中の相性は、悪くない。同じ感知タイプということもあり、親族同士で同じ任務についている場面を何度か見たことがある。そこに万能タイプのナルトが加わるとなれば、偵察と同時並行で標的を一気に叩く任務になるだろう。部屋の扉を閉じて二人に並ぶ間に、いのはそう推察した。



 執務室を出るなり三人はすぐに散開し、自宅で装備を整えた。野営の準備に、忍具の点検。出発前にやることは、大して変わらない。一時間後に里の大門前に集合という手筈で、いのが大門に到着した時、シノはすでに腕組みをして二人を待っていた。
「相変わらず、荷物少ないのね」
「お前はいつも多すぎる」
「やあね、これが普通なのよ」
 シノの荷物には何が入っているのかを聞き出していると、そろそろ出発という時間になる。これは遅刻か、と二人とも覚悟をしたその時、ナルトがこちらに走ってくるのが見えた。
「わりぃ、探し物が見つかんなくて……」
「時間だ。出発する」
 シノはそれだけ言うと、すたすたと大門の外に向かう。シノの背中を追って、いのとナルトも大門を出た。寡黙なシノにつられるように二人とも静かだったが、ナルトはちらちらといのに物言いたげな視線を寄越してきた。また助言でも欲しいのかと思いながら、いのはその視線を放っておいた。これから三人で任務に向かうというのに、二人にしかわからない会話を交わしていたら、シノが拗ねる。そんないのの胸中を知ってか知らずか、里の森を移動している最中、ナルトはすすっといのに近寄ると、「悪かったってばよ」と決まり悪そうに耳打ちをした。いのは意味がわからず、訝しげな顔をナルトに向ける。
「悪いって、何が?」
「だから、その、こないだよ、花屋に押しかけたろ」
「あー!あれか!」
 まさか、あのことについて謝罪してくるとは思わなかった。特に迷惑を掛けられたわけでもないのだが、ナルトはしょげた顔をしている。
「脅すみたいな真似しちまって。反省してる」
「今度何か買ってくれりゃいいわよ。どうせ上手くいってないんでしょ?一日三回、毎食後に花贈るとかどう?インパクトあるわよー。うちも儲かるし」
「お前……もしかして根に持ってんのか?」
「まっさかー。深読みしすぎ」
 ただ単にからかっているだけなのだが、ナルトは不安そうにいのを見る。もう少しいじりたいところではあるが、真に受けてもらっても困るので、そろそろ引き上げ時だろう。
「お前ら、私語は慎め。任務中だぞ」
「はいはーい、シノ隊長」
 いのは移動速度を上げてシノの後ろにつくと、蟲の調子はどうかと話しかけた。
「まかせろ、絶好調だ」
 シノの声色が、心持ち軽くなる。話しかけたらこれだもの。素直でよろしい、愛い奴め。いのは胸中でこっそり笑う。
「せっかく久しぶりに同期で組むんだから、堅苦しいのはナシにしようよ」
「……里境までだぞ?」
「りょーかい。じゃ、私から近況報告ね」
 里の森を抜けるまでは、まだ距離がある。その間、いのは一人で喋り倒し、シノは「そうか」と言葉少なに相槌を打ちながら話を聞いていた。



 11.


「あのよぉ」
「……んー?」
 ばちばちと爆ぜる焚き火を挟んで、ナルトといのは身体を休めていた。薄手の布を敷いた上に寝転がり、毛布を引っかぶっている。シノはといえば、蟲を使って見張りをしている最中だ。隊長だからな、と妙な意気込みと責任感を発揮するシノに感謝をして、二人は体力を温存していた。
「お前、サスケのこと好きだったんだよな」
「……ずいぶん昔の話を掘り返すわね」
「誰かを好きじゃなくなるって、どんな感じ?それって、やっぱりおっかねーの?」
「それに、ひっどい質問してくるし。殴られたいの?あんた、朝起きたら覚えてなさいよ」
「悪いとは思ってる。でも、頼りになんのって、お前くらいしかいねーんだってばよ」
「あの頑固者に手を焼いてるみたいね」
「どうすりゃいいのか、サッパリわからん」
 らしくもなくため息を吐いて、ナルトは嘆く。やりたいことは明確なのに、そのための手段が、ただのひとつも思い浮かばない。こうして立ち往生している間にも、サクラが里を出る日はどんどん近づいてくる。気持ちは焦れるばかりだ。
「あんたはね、もっと自信持っていいのよ」
 ぽん、と放られた言葉に、ナルトは目を瞬かせた。ごろりと寝返りを打つと、焚き火ごしにいのを見る。こちらに背中を向けているため、表情はわからない。括った長い金髪が、敷き布に流れていた。
「あの子がどれだけサスケくんのこと好きだったかなんて、嫌ってほど知ってるわ。それが今はどう?あの子はね、ナルト、あんただけを見てる。ねえ、どんな手使ったのよ?あれだけ頑なだった心を解して振り向かせるなんて、そう簡単にできることじゃないわ。コツがあるなら教えてもらいたいものね。ぜひ今後の参考にしたいから」
「コツって……そんなのわかんねーよ」
 ナルトは毛布を持ち上げ、もぞりと身じろぎする。サクラが振り向いたきっかけなんて、見当も付かない。なんで自分のことを好きになってくれたのか、その理由がわからない。それさえわかれば今の膠着状態を打破できるかもしれないとも思ったが、自分から離れていこうとする今のサクラを見ていると、大いに疑問が残る。あの言動を見る限り、何をやっても無駄じゃないかと思えてならない。
「とにかく、やれることは全部やった。そしたらこっち向くようになった」
「……それが難しいのよ。人ひとりの心を変えるって、相当なものよ?あんたはね、サクラの恋心を奪ったの。サスケくんを、好きじゃなくしたの」
「そういう言い方、好きじゃねえ」
「先にひどいこと言ったのは、あんたの方よ」
「サクラちゃんは、今でもサスケのことが好きだ」
「そう思いたいだけでしょ、あんた自身が」
「……オレは、別にッ!」
 思いがけず大きな声になってしまい、ナルトは動揺する。バチン、と火が爆ぜて、木くずの燃える音が沈黙に溶け込んだ。
「そんなの、オレがサクラちゃんを不幸にしてるみたいじゃねえか……」
「誰かを好きになることが不幸ですって?そんなことあるもんですか。サクラは変わったの。十分、あんたに変えられた。サスケくんだけに注がれてた視線が、今はあんた一人に向けられてる。でも、木ノ葉に留まる意思はないし、えーと、自分のこと忘れてもいいって言ったんだっけ?その態度だけがどうしても変わらないってんなら、今度はあんた自身が変わるしかないでしょ」
 その言葉は、ナルトの心にすっと入り込んだ。サクラが変化を拒むなら、自分が変わるしかない。その考え方は、自分の中になかった。目の覚める思いだ。
「オレが……変わる?」
 確かめるように、口の中で呟く。生き方はいまさら変わらないが、想いを貫くために、今のオレが変えられること。それって、なんだろうか。ナルトは思考に沈む。
「ま、やるだけやってみたら?一度は振り向いたんだしさ。案外なんとかなるかもよ」
「……オウ」
「じゃ、おやすみ」
「ちょい待ち」
「……ったく、まだ何かあるの?手短にしてよね」
 ナルトはむくりと上半身を起き上がらせると、不機嫌そうに文句を言ういのに身体ごと向けた。
「お前さ、何か困ったことがあったら、すぐオレに言えよ。ぜってー力になってやっから。変な男に捕まったら、オレがとっちめてやる」
「ちょっと、やめてよ。あんたに惚れちゃうじゃないの」
 冗談交じりにいのが言えば、妙な沈黙が広がった。
「……それはオレが困る。サクラちゃん以外はちょっと考えらんねえし」
 ナルトのクソ真面目な態度に、思わずぶっと吹き出した。野営中ということもあり、いのは声を殺して笑う。
「あんたって、ほんっと面白いわね。惚れられないようにせいぜい気をつけてねー」
 笑いを噛み殺しながらそう言うと、いのは毛布をかぶりなおす。就寝の合図だ。ナルトもまた口を噤むと、大の字に寝転がり、夜空を見つめる。
 あの人の手を掴むために、オレは何を変えたらいいだろう。
 ただそればかりを考えていた。



 12.


「あっれえ?珍しい」
 いのの素っ頓狂な声に、シノはその視線を辿る。任務上がりの開放感からか、いのの声や動作は、いつもより大きい。里に帰還している今、シノも特に咎めることはない。
「……サクラか」
 病院に詰めているはずの顔が、アカデミーから書類を抱えて出てきた。これから受付所へ報告に行く予定の二人とは入れ違いになる。任務にはもう出てないはずだし、珍しいこともあるものだ。
「行っていいぞ」
「え、いいの?」
 思いがけない言葉に隣を仰ぎ見れば、シノはこくりと頷いた。
「隊長はオレだ」
「さっすがシノ!器が大きい!じゃ、悪いけどここで解散ってことで!」
 シノに手を振って別れると、いのはサクラの背中を追った。
「ごぶさたー」
 後ろから声を掛けると、サクラの肩をポンと叩く。いのの姿を認めると、その足が止まった。振り返ったサクラは、どこか浮かない表情をしていた。ナルトとの関係がどうなっているのかは知らないが、サクラなりに色々と考えているのだろう。思い煩う性質なのは、いのもよくわかっている。
「その格好、任務帰り?お疲れ様」
「まあね、ちょっと里の外に出てた。あのさ、あんたのこともあるし、近々同期の奴ら集めようと思うんだけど。送別会?いや、違うな、激励会?あー、どっちでもいいや!とにかく、あんたが主役で集まる予定。どう?」
「そりゃ、やってくれるんなら嬉しいけど……。出発まであんまり時間ないわよ?」
「時間は作るものよ、サクラ。とりあえず、みんなのスケジュール把握するから。今週中に集まろう。都合が合う奴だけでもさ」
「……ありがと」
「これから病院戻るの?」
 サクラが腕に抱える書類に目を移して、いのが言う。
「うん、そう。あんたは?」
「私はこれからオフ。顔合わせるの久しぶりだし、病院まで歩こうか」
 話したいことは二人とも溜まっている。いのが病院の方角をついっと指さすのをきっかけに、肩を並べて歩きはじめた。




「また思い切った決断したわねー」
「ん、まあね」
「やるだけやって、気が済んだら帰ってきなさい。とびきりのイイ男とっ捕まえて、あんたに自慢したげるから。男見つける暇なんて、どうせないんでしょ?」
「あのねえ、遊びに行くわけじゃないんだから……」
「私さー、あんたよりも絶対イイ男捕まえてやるって思ってたんだけど、最近ちょっと自信なくなってきたわ」
 いきなり話が変わったため、サクラは小首を傾げる。その襟元から、見慣れないアクセサリーが覗き見えた。あの時の助言に従ってナルトが買ったのかしら、といのは見当をつける。贈り物を身に着けるぐらいなら、さっさと飛び込めばいいのに。何がネックになっているのか知らないが、ナルトがあれだけ必死になるのも無理はないと、妙な納得をした。
「あんたは何もかも振り切って向こうに行くのね」
 サクラの首元を見つめながら、いのが言う。その脳裏に蘇るのは、花屋での人が変わったようなナルトの表情と、一緒に任務に出た時の途方に暮れた声。それでもあの一途なバカは、諦めることを知らない。少しばかり発破を掛けてやったが、はてさて、どう転ぶやら。
「あいつのこと、あんまり甘く見ない方がいいわよ」
「私は、そんなこと……」
 もごもごと口ごもりながら、サクラは反論をする。
「ま、いいわ。この話はやめよう。お互いに楽しくないもの」
「……あんたが先に切り出したんでしょ」
「あはは、そうだった。ごめんごめん」
 それからの道中は、噂話に互いの近況、それと少しの愚痴。いつも通りの会話を交わして、笑い合った。ほどなくして病院に到着し、門柱の前で二人は別れる。その去り際、いのはくるりと身体を反転させた。
「ナルト、まだ戻らないわよ」
「え?」
「今回一緒に組んだんだけど、追加の任務が入ったらしくて、一人でどっか行っちゃった。帰還予定は私にもわかんない」
「へえ、そうなんだ」
「だから、今週の同期会には間に合わないかもって話。じゃあね、仕事頑張ってー」
 物思いに沈むサクラを置いて、いのは病院から離れた。これでどうにかならないようなら、そもそも縁がなかったのだと思うより他ない。
「私も世話焼き体質だなー」
 両手の指を組むと、うんと前に伸ばして、いのは言う。今日のオフは、同期の姿を探すことに当てよう。久しぶりに話をする奴もいるし、これはこれで有意義な時間の使い方だ。まずは荷物を置いてから、待機所に顔を出すことに決める。
「その前に、まずはシノから誘うかな」
 いのは鼻歌まじりにそう言うと、軽快な足取りで実家を目指した。



 13.


 ナルトの不在を聞かされてから、帰りがけにナルトの家を見に行くのが日課になった。部屋を見上げて、電気がついているかどうかを確認してから、自宅に帰る。方角は違うし、完全な遠回りなのだが、そうしなければ気がすまなかった。
 しかし、二日経っても、三日が過ぎても、ナルトの部屋は真っ暗なままだった。自宅で気配を消すような奴ではないし、戻っていないのだろう。任務が長引くようなら、あれがナルトとの別れになる。気取った言葉を贈るつもりはないが、それでも、もう少しだけ話をしたかったと思う。それはたぶん、未練だ。向こうに渡ってナルトのことを忘れるまで、その手のぐずぐずとした割り切れない思いを抱えて生きていくのだろう。そういう生き方を、自分は選んだ。それだけのことだ。




 その日の夜は、いのの仕切りで同期会が開かれた。都合のつかないメンバーもちらほら居たが、気心の知れた面々と久しぶりに顔を合わせるのは楽しかった。こういう機会でもなければ、皆が同じ場所に集まることもない。頑張れよ、と肩を叩かれ、餞別を受け取り、店の前でその日は解散となった。帰りの道中はいのと二人で歩いていたが、分岐路で別れた後は、ここ数日の習慣通り、ナルトの家に向かった。
「……戻ってないか」
 角を曲がった時、電気がついていないことは目で確認していたのだが、アパートの前まで歩き、主のいない部屋をじっと見上げた。いつになったら戻ってくるのだろうか。会える会えないというより、ナルトの身体が心配だった。無茶をしていないといいんだけど。怪我をしてませんようにと祈りながら、アパートに背を向ける。
「サクラちゃん?」
 暗がりから聞こえてきたその声に、サクラの肩が揺れる。
「やっぱりサクラちゃんだ!」
 振り返れば、背嚢を担いだナルトが駆け寄ってくるのが見えた。
「ごめんな、オレ、追加で任務入っちゃってさ。里空けんのは三日ぐらいって言ったくせに、戻るのに一週間もかかっちまった。あ、そだ!これからウチ寄ってってよ」
「え?」
「お茶買ったんだってばよ、任務先で。こないだ、水しか出せなかったろ?だから、今日はその埋め合わせ」
 ニカッと笑うナルトに手を引かれて、アパートの階段を上がる。身体の動かし方に不自然なところはない。怪我がなかったことに、安堵した。
「はい、どーぞ」
 ナルトはドアを開けて、サクラを部屋の中に招きいれた。おじゃましますと小声で言いながら玄関扉をくぐり、靴を脱ぐ。部屋に入って一番最初に気づいた違和感は、布団だった。先日訪れた時はめくれっぱなしだったのに、今は綺麗に整えられている。雑誌はきちんと積まれ、床にはゴミひとつ落ちてない。任務に向かう前の忍らしく、こざっぱりとしていた。ナルトの覚悟が、この部屋にはあった。
 ナルトはベッド脇に背嚢を下ろし、額宛と木ノ葉ベストを取り去る。その傍らで、サクラは覚悟のひとつひとつと向き合った。自分だって、任務につく前はいつもこうだ。それでも他人の、しかも好いた男の潔い様を目の当たりにすると、心は痛む。この痛みさえも、いつかは忘れ去ってしまうのだろうか。そんなことを考えていると、真正面に影が差した。ナルトが目の前に立っていた。
「なあ、サクラちゃん」
 部屋の真ん中で、二人は向き合う。ナルトはいつになく真剣な面持ちでサクラを見ていた。
「オレのこと、忘れていいよ」




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