拍手御礼短文(2)



◎ ナルトと春野さん



 窓の開け放たれた部屋の中、ナルトは荷造り用のガムテープを手で弄びながら、顰め面を床に向けていた。建て直した木ノ葉病院の一角にサクラの仕事部屋が割り振られたのは、大戦直後の混乱時だった。寝る暇がないのならここで休め、と上から与えられたらしい。
「どうしても行くのか」
「うん」
 サクラは小気味の良い返事をかえすと、ダンボールの中に私物を次々と突っ込んでいく。ナルトが凭れかかっている本棚は数冊を残して空になり、文字の判別がつかなくなった古い皮の表紙が転がっている。
「半年くらい?」
 机の引き出しから探り当てたのか、サクラは懐かしそうに目を細めて写真を眺める。その写真に誰が写っているのか、いつ撮ったものなのか。ナルトに見せることなく仕舞われた。
「それとも一年?」
「自分で納得がいくまで」
「なんだそりゃ」
 不満を隠すことなくつまらなそうに呟くが、サクラの表情は何も変わらなかった。それがまた面白くなくて、窓の外に視線を投げる。腹が立つほどの快晴で、人の気も知らずに鳥が気持ち良さそうに喉を鳴らしていた。
「戻ってくるんだろ?」
 何で返事を寄越さないのか。紙の擦れる音は途切れることなく、ダンボールがそこかしこに転がる部屋の中を響いている。動揺だとか、惑いだとか、付け入る隙を一切見せないのが悔しい。文句を言っている自分が何も知らないガキに思えてくる。それでもナルトは足掻くことを止めなかった。
「なあ、戻ってくんだろっ!」
 今度は腹の底から声を出し、期待通りの返事を引き出そうと試みる。知らんふりを決め込んでいるのか、サクラは椅子に腰掛け、机の整理を続けている。くそっ、と吐き捨てると、ナルトは乱暴な足取りでサクラに近づき、手首を掴んだ。冷静そのものな瞳が、ナルトの苛立ちをさらに煽る。
「うんって言わないと、酷いことするよ」
 サクラは答えない。頷きもせず、声も漏らさず。力任せな恫喝に臆する気配もなく、さりとて挑むように睨みつけるわけでもなく。ただ黙って、ナルトを見る。
「……できるわけねぇだろが」
 ナルトの顔が、ぐにゃりと歪む。サクラにはひたすら優しさだけを注ぐように。自分という人間の頭と身体には、そういう強い刷り込みが為されている。サクラの心を折るような真似なんか、到底できるはずがないのだ。手首を掴む力が緩み、その手はサクラの人差し指に巻きつかれる。
「行くなって……」
 控えめな所作でサクラがナルトの指をくっと引いた。それはサクラがこの部屋ではじめて見せた揺らぎだった。そのわずかばかりの兆しを手放すまいと、ナルトはサクラを抱き寄せる。サクラの身体は、抗うことなく腕の中に収まった。
「ごめん。でも、行く」
 日頃あれだけ眩しく映るサクラの潔さを、今は恨めしく思う。こんな時にまで強情になることはないのに。
「あんたに何も残さずに行く。手紙も出さない。自分の両足でちゃんと立てることが証明できたら、帰ってくる」
「残せよ、一つでいいから」
 サクラの両肩に手を乗せて身体を離すと、噛み付くように言う。顔を近寄せるが、残りの数センチがどうしても埋まらない。
「物でも、言葉でも、何でもいい。残せ。どうせなら、オレの中に手ひどい傷の一つでも刻み付けてから行け。じゃなけりゃ、」
「あなたが好きよ」
 粗暴な言葉を遮って、サクラが囁いた。耳底が焼ける。何か残せと詰め寄ったのは自分だが、そんな甘い言葉を残されてどうする。チクショウめ。
「だから、里を出るの。ナルトの隣に立っていたいから」
「今のままでいいだろ。隣にいろよ」
「全然足りないよ。今のままなら私、逃げ出したくなる。消えたくなる」
「逃げたって何したって、オレは追うぞ」
 ナルトの身体に回されたサクラの手が、忍服の背中をきゅっと掴む。
「忘れてもいいよ」
「忘れられるか、ふざけんな」
 息のかかる距離で、ナルトは何とかサクラを思いとどまらせようと抗い続ける。サクラの瞳が伏せられ、空気が揺れる。濃密な沈黙が広がり、引き寄せられるように唇は重ねられた。頑なだった態度が嘘のように、いともたやすく唇は割り開かれる。熱い吐息が絡まり、永遠に埋まることはないと思えた距離がゼロになる。
 時計の針を今すぐ止めてやりたい。鳥の声よ、死に絶えろ。
「行くな」
 懇願にも似たその声に、サクラが頷くことはなかった。



※もし続きがあるとしたら、こんな感じ。



◎ シカマルといのちゃん



「おう、オレだ。見舞いに来た」
 花屋の二階、いのの部屋の前で、シカマルが控えめに声を掛ける。扉の奥で、気配がごそりと動いた。どうやら眠ってはいないようだ。
「入っていいか?」
「……どうぞー」
 張りのない小さな声を受けて、部屋に入る。窓が開いているのだろう、オレンジ色のカーテンが弱い風に合わせてひらひらとその裾をはためかせていた。扉の隙間を薄く開けたままにして、シカマルは壁際に腰を落とす。
「ごめんね、まだ起きられないんだ」
「そのままでいい。様子を見に寄っただけだ」
 情報部に異動してから、いのは時々寝込むようになった。とはいえ、回数はそう多くない。それは他人の記憶、しかもかなり特殊な部類のものに触れた時と決まっていた。慣れない頃にはよくある話で、任務に揉まれるうちに耐性がつくのだと、いのいちが言っていた。
「あんたもマメよねー。めんどくさがりのくせに、寝込むと必ず顔を見に来るんだもの」
「奈良と山中は一蓮托生だ。気にすんのが当たり前だろ」
 胡坐をかいた格好で、ベッドに目を向ける。いのの顔どころか、身体も見えない。膨らんだ布団が見えるだけだ。
「これはさ、あれよ。チョウジが食べすぎでおなか壊すのと同じだから」
「……全然ちげーだろ」
「同じだって。チョウジは忍術のためにたくさん食べて、消化ができなくなる。私もそう。覗いた記憶が頭の中で氾濫してるだけ。ただの消化不良よ。少しすれば落ち着くわ」
 これは、いのの精神が脆弱であるとかそういう問題ではない。ちょっとやそっとのことでは動じない奴だ。そういう人間が振り回されるほどの記憶とは、いったいどんなものか。想像したくもない。背筋がぞっとする。
「だからさ、そういうマメさは彼女のために取って置きなさい」
「オレは、チョウジが食いすぎで入院したら、必ず見舞いに行く」
「うん」
「今のお前がチョウジと同じだっていうなら、ここに来るのはやめねぇよ」
「……早く彼女作って、ご機嫌取りに専念しなさいよ」
「お前こそ、男でも作って気晴らしすりゃいいんだ」
 そうすれば、もうこんな風に奇妙な時間を過ごすことはない。相手を見つけるのはどちらが先か。部屋は沈黙に包まれる。宙ぶらりんな関係は、崩れない。