LIFE



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   三.


「お前、ホント大丈夫?」
「ああ、任せろ」
「任せろって……いやいや無理じゃね?ここはオレらを頼っとけって。なあ、赤丸」
 マンションの入口で待機していた赤丸は、ご主人の問いかけにワオンと元気良く吠えてみせる。朝一に着いたはいいが、この大きな忍犬がマンションの一室で出来ることは何もなく、植え込みの影で寝ているしかなかった。だからだろう、ここからが自分の役目だとばかりに、その目を輝かせている。
「家具だの冷蔵庫だのはさ、もし落っことしたらシャレにならねぇだろうよ」
「オレがやると言っている」
「だっから!てめえのちっせえ蟲で運べるわけねえだろっつってんの!オレと赤丸がなんとかしてやっから、お前は大人しくダンボールでも運んどけ!」
 積み上げたダンボールを蹴飛ばす勢いで、キバがけしかける。ああもう、めんどくせえ。なんだってこいつらは何をするにもいちいち揉めるのだろう。どっちでもいいじゃねぇかと耳をかっぽじるシカマルは、あえて仲裁に入ることもなく、紅とヒナタの合流をぼんやり待っていた。
 荷造りを終えた部屋の中で昼飯を食べた後、腹ごなしに荷物を残らずマンションの前におろし、これから新居へ移動という段取りだった。ちなみに二人の諍いは、一階に荷物をおろし終えた瞬間からずっと続いている。すべて蟲で運べると言い張るシノと、オレがやると言って聞かないキバ。そうなるだろうと予想していた展開だが、同じ場所に居合わせるだけで疲れる。
「キバ」
 コートのポケットに手を突っ込んだ格好で、シノはキバにずいっと近づく。そして低い低い声で一言。
「くどいぞ」
 キバの纏う空気がざわりと赤色を帯び、シノの胸元を掴みかかる。
「はい、そこまで」
 絶妙のタイミングでその場に現れた紅が、猛る二人の額をごちんと打ち合わせた。一緒にマンションから出てきたヒナタはさぞおろおろしているだろうと思ったのだが、意外や意外、笑っている。
「なんであんた達は何でも一人でやろうとするの。二人でやればいいでしょう」
 叱られた二人はいかにも不服という表情を浮かべながらも口を噤み、しぶしぶといった体で役割分担を相談しはじめる。
「重いものは二人に任せて、私とシカマルくんは、軽めの荷物を運ぼうか」
 そりゃありがたい。ヒナタの提案に心の内でそう呟くと、シカマルはダンボールの山の前に立つ。
「あいつら、いっつもあんなんか?」
「え?いつも、ではないかな。喧嘩することも今はほとんどないし」
「はー、あいつらがねぇ」
 感心を見せながらも、シカマルはヒナタと視線が合うことにひっそりと驚いていた。アカデミー時代から今までを思い起こしてみても、目を合わせて会話をした覚えがない。ヒナタが変化を見せたのは、中忍試験以降だろうか。自分に自信が出てきたのか声も少し大きくなったし、それまであまり話す機会のなかったいのやサクラと笑いあっていることもある。同期連中と会うたびに受けるこうした新鮮な驚きや刺激は、シカマルの背中を力強く押し続ける。推進力だと断言してもいい。
 解体されたベッドの木枠をシカマルが持ち、ヒナタは日用品を詰めたダンボールを担いで、いまだ荷物の分担で揉めているキバとシノを横目に先を急ぐことにした。引越し先への道は、忍の足で十分程度といったところか。ダンボールを担いで十往復もすればいい運動になる。時間短縮のため、選んだ経路はマンションと新居を一直線に結んだ空の道だ。二人は地面を蹴り、新居へと駆ける。



「あいつら、まだ揉めてんのか?ついてくる気配、全っ然ねぇんだけど」
 道も中ほどというところで、シカマルは背後を窺いながらそう口にした。愚痴めいた台詞になってしまったが、朝も早くから駆けつけた二人がしょうもないことで揉めて出遅れるというのは、はっきり言って解せない。
「うーん、今回はちょっと時間がかかるかも……。こういう時、二人ともなかなか引かないから」
「こういう時?」
 それ自体は、大した考えもない問いかけだった。言ってみれば、相槌代わりだ。
「役に立ちたい時、かな。私たち、何もできなかったから」
 予想もしない返答にシカマルは喉を詰まらせ、ヒナタもまたシカマルの沈黙を持て余してしまう。どうしたものかと戸惑っているようだったが、やがて意を決したようにヒナタは口を開いた。
「実はね、何度も話し合ったの。私たちに何かできることはないかなって。でも、何度みんなで話し合っても、待つことしかできないって……。私たちも居るんだよって知らせたかったけど、今はその時期じゃないって、シノくんが」
 痛みを分かち合えるのであれば、傍らに居ることは容易い。むしろ寄り添うことで心は癒されるのかもしれない。しかし、いくら分かち合いたいと願っても、アスマという存在は八班にとって遠すぎたし、何より紅の傍には十班の面々が居た。……いや、主に自分が、か。
 そもそもシカマルと紅の接点はそう多くない。合同演習のほかに任務を共にした経験はないし、同期の上忍師として幾度か会話をかわしたぐらいだ。もしアスマがああいうことになっていなかったら、これほど距離が近づくことはなかっただろう。
 紅にアスマの戦死を告げたあの日から、喪失の共有者という意識でしか紅と接していなかったことに、今ようやく気づかされる。アスマが遺した「頼んだぞ」という言葉に、視野が狭くなっていたのかもしれない。紅から見れば自分など一介の中忍に過ぎないというのに、ずいぶんと厚かましいことをしてきたのではないかと、今更ながら冷や汗が出た。
「だから私ね、シカマルくんに一度お礼が言いたかったの」
「……お礼?」
「先生の傍に居てくれて、ありがとう。私が言うことじゃないってわかってる。だけど、あの時にどうしてもできなかったことだから。先生、何も言わないけどきっとシカマルくんに助けられていたんだと思う」
 ヒナタは、心からシカマルに感謝をしている。その真摯な声に、シカマルは墓地の前で誓った己の決意を思い返した。腹の子を守る師になる。手前勝手にそう決めたはいいが、八班の連中からしてみれば、自分たちを差し置いて一体何を?という話になるはずだ。腹の子は、アスマの忘れ形見であると同時に、八班の上忍師、夕日紅の子供でもある。師を慕う心は誰もが同じだ。自分たちがアスマを慕うように、八班は皆、紅を大事に思っている。だからこそ今日まであえて何もせず、紅を影から見守り続けてきたのだ。
「あ、もうすぐ新しい家が見えるよ」
 実は新居を見るのは初めてなのだと楽しげに言うヒナタに、シカマルは笑って答えながらも、胸の内では物思いを巡らせていた。
 けじめをつけなければならない。仁義を切る、というやつだ。勝手に決めて勝手にその気になるのではなく、子供の師になることを三人に告げ、三人共に頷いてもらわねばならない。特にキバの気の短さを考えると、こっぴどく殴られるのも覚悟の上だ。それが、シカマルの通すべき筋だった。
「礼を言う必要はねえよ。や、必要ねえっつったら、違うか。オレ自身、それで救われてたわけだし」
「シカマルくん……」
「オレも先生に礼ができりゃいいなと思ってここに居るんだ。チョウジだって、もちろん、いのだってそうだ。今日来れなかったこと、あいつらすっげー残念がってたんだぜ?」
「いのさんに聞いたよ。その代わり庭造りは任せてって言ってくれたから」
 その時の様子を思い出したのか、ヒナタはくすりと笑う。
「お前さ、」
「え?」
「呼び捨てにしろとまでは言わねぇけどさ、その『いのさん』っての、やめてやったらどうだ?あいつ、あれでけっこー気にしてんぜ?」
 私、そんなに怖そうに見えるのかしら。
 いのが珍しく真剣な顔でシカマルにそう問いかけてきたのは、一年ほど前になるだろうか。曰く、人を寄せ付けないオーラみたいなものを振りまいているのじゃないか、だそうだ。もしもいのが人を寄せ付けないのだったら、大抵の人間は一人で生きていかなくてはならなくなる。あまりに馬鹿馬鹿しかったので大笑いをしてみせたら、いのは本気で怒り出し、機嫌を直すのに骨が折れた。
「あ、これは口癖みたいなものだから……」
「まあ、お前らがよければそれでいいんだけどよ」
 無駄口をしまいこむと、その足は前へ前へ。新居はもう目と鼻の先だ。大きなケヤキの枝を勢いよく蹴ると、屋根が覗いて見えた。適度に植えられた木々と、小さな花壇。日当りのよさそうな縁側に、落ち着いた風情の建物。この場所で子供が育つのだと思うと、いくらか感慨深いものが胸をこみ上げてくる。それはヒナタも同じらしく、二人はしばらくその家をじっと見入った。



 紅から預かった鍵で、扉を開ける。
 本当は一緒に鍵を開けたかったのだが、下の道をゆっくり歩いている紅を待つ間にひと仕事できると思うと、やはり先に入っていた方が合理的だろう。
 雨戸を開けて、空気を入れ替える。以前の家主が大事に使っていたらしく、痛みがちな水場も綺麗なものだったし、なにより手入れが行き届いていた。昨日のうちに軽く掃除は済ませたのだと紅が言っていたから、すぐに荷解きができる。運んできたベッドの木枠は、見取り図に「寝室」と記してある部屋に置いた。
「いい家だよな」
 差し込む日差しに目を眇めながら、シカマルがぽつりと零す。その言葉に、ヒナタも頷きながら答えた。
「そうだね。あったかいおうちだよね」
 アカデミー生だった頃、早く自分ちに帰ってごろごろしてえ!と思ったことを、シカマルはとても幸福な記憶だと思っている。帰るべき家があり、しかも居心地が良いのであれば、人生は八割方うまく回る。きちんと居場所さえ作ってしまえば子供は勝手に育っていくもんだろうし、もしも外でつまらないことがあったら、飯を食って風呂に入って寝て忘れてしまえばいい。家とはきっとそういう場所なのだろう。
 この家は、きっとどこよりも安らげる場所になれる。入った瞬間に、そうわかった。
 アスマ、やっぱあんた、趣味がいいわ。
 この一軒家は、アスマが見つけてきたのだと言っていた。だっせえ腰布つけたオッサンが誰より格好良く見えたのは、こういう家をぽんと見つけてしまうからなのだろう。使い込んで味の出てきたジッポライターを実は狙っていただなんて、アスマは知っていただろうか。
「うえーい、着いた着いたー!」
 からりと玄関の戸が開き、キバが勢いよく入ってくる。
「おう、お疲れ。んでお前、結局何運んだんだよ」
「ん?冷蔵庫でーす。早めに運んで電源入れて、よく冷えたお茶を飲むのだよ、シカマルくん」
「ちなみにオレは本棚だ。これがなくては、先生もさぞ困るだろう」
「わかったから揉めるな。頼むから揉めるな」
 先手を打って二人を遮る。やることは山積みだ。
「家具の配置はどうする?全部運んでからにすっか?」
 キバの問いかけに、シカマルは一枚の紙をひらりと広げた。
「見取り図は、先生から預かってる」
「そんじゃ、オレとシノが適宜配置していくって段取りでいこうぜ。どうだ?」
「うむ。異論はない」
 キバの提案にシノが頷く。今度はすんなりと話がまとまった。
「お前とヒナタは、ダンボール運んだ後、かたっぱしから開梱して元の場所にしまってくれ。オレとシノも終わったら合流する」
「んじゃ、こいつらに任せてオレらは行くか」
「うん、そうしよう」
 シカマルは、ヒナタと示し合わせて家を出る。陽の高さからいって、時間は一時すぎといったところだろう。急げば夕方には終わるはず。目標時間を設定すると、作業は案外はかどるものだ。
 ダンボールを半数近く運び終える頃にはキバとシノが合流し、四人が揃うと運搬作業はあっという間に完了した。家電家具がきっちりと揃った家の中は、人の住処としてすっかり形を整えており、当面必要な日用品を優先して次々と開梱する。最初は空っぽだった家がどんどん作りあがっていく様は、見ていて面白いものだった。配置図通りに家具は収められ、棚の中は引越し前の状態へ戻されていく。
「おお、人の住む家っぽいじゃん」
 夕陽の差し込む新居のリビングで仁王立ちになり、キバが感嘆の声をあげる。壁に掛かった時計の指す時刻は五時半。目標時間にズレはない。
「馬鹿、これから住むんだよ」
 シカマルの声が聞こえているのかいないのか、キバは奥へとずんずん歩を進め、紅の姿を探す。そして、寝室にカーテンを掛けていたその後姿に向けてこう言った。
「なぁ先生。今日の飯って、どうすんの」
 飯タカってんじゃねえよ。どんだけ腹減ってんだ。
 首根っこを掴んで連れ戻そうと思ったが、引越し蕎麦を振舞う予定だというので準備を手伝うことになった。手伝うといっても台所方面はからっきしのため、活躍したのは主にヒナタだ。男連中は何をしていいやらわからず、結局は皿運びぐらいしかやっていない。
 ご相伴に預かった蕎麦は、この上なく美味かった。




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