LIFE



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   四.


「はー、もう食えねえ」
 門を出た直後、満足げに腹を擦りながらキバが言う。玄関先まで見送りに来ていた紅に聞こえるんじゃないかと思ったのはシカマルだけではないようで、ヒナタが困ったように笑った。
「お前は遠慮という言葉を知ることだ」
「てめえは食わなさすぎだ、シノ。せっかくご馳走になるんだから、美味そうに食うのが呼ばれたモンの務めってやつだろ」
 馴染みの店の生蕎麦なのだと言っていたが、確かに美味かった。普段はあまり食べないシカマルも進んで箸をつけ、全員合わせると結構な量を食べたはずだ。
「つっても、蕎麦で腹膨らますってどんだけ食ったんだよ」
「蕎麦だけじゃねーぞ!天ぷらもたらふく食った!あとお前の母ちゃん、煮物うめーな!ウチは肉料理なら結構イケるんだけど、煮物の味は絶望的なのよ」
 今日の引越しで一番張り切っていたのは、間違いなくキバだった。それはもう任務より真剣なんじゃないかと思うぐらいの仕事ぶりで、引越し業者への転職を勧めたいぐらいだ。これほど張り切る理由を、今のシカマルは理解している。キバにとってこれが、恩師のためにできる唯一のことなのだ。拳を振り上げようにも明確な敵はすでに消え、憔悴する恩師を見守ることしかできない。無力感とやるせなさは、今も消えないまま燻っているはずだ。元来短気なこいつがよくも辛抱強くなったものだと、本人が聞いたらひどく立腹しそうなことを考える。
「ヒナタはシノが送ってやれよ。方角同じなんだから」
「わかっている」
「その前に、ちっとだけいいか?」
 今日はこのまま解散。そういう流れになりそうなところを、シカマルが待ったをかけた。一体何を改まって?そう言いたげな表情で、三人はシカマルの顔を見る。
「紅先生の子供のことだ」
 三人の視線が、探るような、あるいは試すような性質のものに変わった。
「オレが師になるって決めた」
 突然の宣言に、三人はそれぞれ息を呑む。最初に動いたのは、キバだった。
「師って……お前、何言っちゃってんの?つーか、決めたってなんだよ」
 面を食らった顔から一転、目つきも鋭く、掴みかからんばかりの勢いでキバは食って掛かる。
「アスマの墓の前で、紅先生と話した。先生は笑って頷いてたけど、これはお前らにも了承を得ておくべきことだろ?だから今、言っておこうと思った」
「シカマル」
 普段は寡黙なシノが話に割って入ったことに、キバもヒナタも驚きを隠せないようだった。シノの言葉に、じっと耳を傾ける。
「師になるとは、忍として、ということか」
「ああ、そうだ」
「ならば子供が忍になることを望まなかったらどうする?それでもお前は『師になる』と言い張るのか?子供の生き方を、お前が決めるとでも?」
 至極もっともな問いかけだった。誰しもそう思うだろう。シカマルとて考えなかったわけではない。そして導き出した答えは。
「そうなったら、そうなっただ。生きる道を選ぶのは本人だからな。そん時はまあ、人として生きてく見本になろうと思う。それで文句はねえだろ」
 シノはふん、と鼻を鳴らす。
「……お前の好きにしろ」
 その胸中で一体何を考えたのか。感情を表に出さないこの男から、それは伺えない。だが、シノの答えは紛れもなく肯定だった。
「そうさせてもらう」
「おいシノ、てめえ何勝手に……」
「ええと……私もいいと思うよ?むしろ、シカマルくんになら安心して任せられるかなって思う」
「はあ?マジか!」
 お前も賛成するのか、とばかりにキバが悲鳴をあげた。鼻息荒く反論をする気だったようだが、二人の言葉はなにしろ決定的だった。キバはすっかり気勢を削がれたようで、肩を落とす。
「ヒナタもかよ……あークソ!これで反対したら、オレ一人が駄々こねてるみたいになるじゃねーか!」
 顔を覆って嘆くキバを見上げ、赤丸が主人を慰めるようにくぅんと鳴いた。



 シノ、ヒナタと別れた後、キバと二人きりで帰り道を歩く。苦虫を噛み潰したように顔を顰め、不機嫌さを隠そうともしない。その足音は荒く、その傍らを歩く赤丸が心配そうにちらちらとキバの顔を伺っている。
 それは、長い長い沈黙だった。
「お前、いつから」
 不貞腐れた声で、キバが呟く。ずっと面白くなさそうにそっぽを向いていたが、ようやくシカマルと目を合わせた。
「明確にいつからってのは、オレにもよくわかんねえ。暁の奴ら片付けて里に戻ってきてから、になるかな」
「師になるって?」
「それ以外、頭に浮かばなかった」
「いくらなんでも飛躍しすぎじゃねえ?どうしてそうなんだよ」
 キバは、腹の底から深いため息をついた。
「てめえは昔っからそうなんだよ。めんどくせえーなんつって何も考えてねえようで、一歩も二歩も先に思考が飛んでんだ」
「そうか?」
「そうだよ!何でいきなり師匠弟子って関係になんの?もっとこう、漠然とさ、生まれてくる子供を守ってやろうって考えるのならわかるよ。そんなのオレだってそうだし。全力で可愛がってやんよ。だけど師って!いきなり師って!忍になること前提かよ!みたいなさあ!」
 溜まりに溜まった鬱憤をひとしきり捲くし立てた後、自らを落ち着かせるように、ふう、と息を吐く。
「お前、凄いね」
「凄い?何がだ」
「オレもそれなりに色々考えてたのよ。ウチは兄弟いねぇからさ、男だったら弟みてえに可愛がるだろうし、女だったらまあ、美人になるわなー。父親代わりとはいかねえけどよ、ままごとの付き合いぐらいしてやるかーとか。……あれ、ちょっと待てよ?オレ、子供の遊び相手になることぐらいしか考えてねえな……」
「全力で遊ぶだろ」
「おうよ、全力よ、手なんか抜いてやらねえよ、オレは」
 いつもの調子でそう返され、シカマルはようやく笑う。紅の家を出てからというもの、ずっと顔がこわばっていたのだ。柄にもなく緊張をしていたらしい。
「とにかくさ、お前みたいにそこまで考えが及ばんのよ、実際。オレは、そんな先のことまで見通して決断できねえ」
「そんな大層なモンじゃねえよ」
「いや、ご大層な話だよ。まだ生まれてもいねぇ子供のことをそこまで考えられる奴、そうそういねえよ。少なくとも、オレは知らない」
「本当はさ、もっと大きなモンを託されたんじゃねえかと思う。もしかしたら、アスマが託したかったこととは違うのかもしれない。けれどオレからすれば同じことだ」
 里の未来は、子供の未来。これからは大人たちに支えてもらうのではなく、支える側として生きていく。その覚悟のあらわれが、子供の師になるという選択肢だった。それ以外に道はないと思った。
「まあ、いいんじゃねえの?そういう身近なとこからってのはさ、大事だと思うぜ。すぐ手の届くところにあれば、迷うこともねえしな。そういやお前さ、女扱うの苦手なんじゃないのかよ。もし生まれたのが女だったらどーすんの」
「別にどうもしねえよ。立派なくノ一に育てるさ」
「すげえ気ぃ強えんだぜ、きっと」
「そうかもな」
「くノ一になろうって女はさ、一筋縄じゃいかねえのよ。オレん家見てたらわかるわ。いやもう、ホント凄いから」
 こいつ今、この里どころか世の中すべてのくノ一に喧嘩を売りやがった。果たしていのやサクラの前で同じ事を言えるのだろうか。
「つーかさ、くノ一になるんなら、紅先生に任せた方が安心じゃね?」
「お前、さっきから何だよ。めんどくせえなあ!」
「あらら、自信ないんだ?大丈夫かよ、シカマルくーん」
「あーもう、うるっせえ」
 さっきまで続いていたらしくもない静けさは一体何だったのか。きっと腹いせなのだろう、その後もあれやこれやと絡まれたが、構わず言わせておくことにした。
「なあ」
 別れ際、キバは急に真顔に戻る。
「ほんと頼むぜ。オレらにとっちゃ、あの人が先生だからよ」
「……わかってる」
「ん、ならいいんだ」
 ひとつふたつ頷いて、キバはシカマルの背中をぽんと叩いた。
「頑張れよ、先生」
「ああ、任せろ」
 シカマルらしからぬ力強い物言いに、似合わねえ!とキバは腹を抱えて笑った。



 家へと続く道を、一人歩く。
 内容の濃い一日だったせいか、任務をこなしたわけでもないのに疲れを感じた。首をぐるりと回した後、空を仰ぐ。見慣れたこの星空が、実はとても綺麗なものなのだと知ったのは、里を出る任務につくようになってからだ。里の外において、星は方角を知る指針のひとつにすぎない。ぼんやりと何も考えずに眺めていられるのは、里に居る時くらいだ。
 今日も木の葉は、星が煌々と輝いている。
 それほど身奇麗な里じゃないということは、とうの昔に気づいていた。大人は誰も口にしないが、酷い時代があったというのは周知の事実。忍稼業に身を投じる以上、ある程度の覚悟はしていたが、実際に現場でその一片に触れてみると、少なからず衝撃を受けた。止むに止まれず、あるいは進んで里のために。どんな理由であれ、汚れ仕事に身を染める忍は、少なくない。
 近隣各国のパワーバランスを崩そうと動く勢力はいまだに衰えを知らないし、身にかかる火の粉は振り払うまでとばかりに、それらを当たり前のように討伐する。使えるとわかれば利用し、必要がなくなると切り捨て、そうして今もどこかで名もなき民が犠牲になっているのだろう。それを論う立場にシカマルは居ない。安全な場所に立って彼らを糾弾するのはとても簡単な話だ。そうした所業の上に成り立っているのが木の葉なのだと、受け入れてしまうほかない。シカマルは、何もかもをひっくるめて、この里を愛しく思っている。
 腹の子供は、里を愛せるだろうか。
 上澄みの中で育つ幼少期はまだいい。やがて沈む泥の味を知る頃には、幼い潔癖さが里に不信感を抱かせるかもしれない。
 だが、そんな心配をする必要はないだろう。この里には、ナルトが居る。
 里の抱える闇を誰より知っているはずのナルトが、キラッキラした目で里の未来を語るのを見ていると、この里は大丈夫なのだと力強く思える。あいつが居れば、里は陽の差す方角へ歩いていけるだろう。そして自分はやるべきことをやるまでだ。
「さぁて、家に帰るかな」
 空になった重箱をぶらつかせて、夜路を行く。




<了>