LIFE



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   一.


 任務の入っていない休日は、シカマルにとって特別だ。
 朝修行と鹿の世話こそ平時と変わらないが、朝飯はゆっくりと食う。母親の小言を受け流しながら、寝足りなければもう一眠り。目が冴えていれば詰め将棋をするのもいい。将棋好きの奴らはそこかしこに居るし、ちょっとした賭けに興じるのは日常茶飯事だった。常より豪勢な昼飯を楽しむために腕を磨くのも悪くない。飯が美味いのは結構なことだ。
「ごっそさん」
 ぱちんと手を合わせ、シカマルは箸を置く。両親はとっくに食事を済ませており、食卓に乗るのはシカマルの食器のみとなっていた。片づけが進まないのだろう、母ヨシノの視線が少し痛い。
「あんた、今日は休みでしょ。ちょっとお使い頼まれてくれる?」
「あー……帰ってからでいい?」
「何よ、用事があるのならそう言いなさい」
「ま、午後には戻っからさ」
 席を立つシカマルの返事は、いつもながら覇気がない。ヨシノは眉を顰めながら朝食の片づけをはじめる。食器を手に台所へ戻る際、何気ない様子でカレンダーに目を向けたヨシノは、今日が何の日であるかにようやく気づいたようだった。
「まったくあの子は……」



 手ぶらで家を出たシカマルがまず向かったのは、酒屋だった。中心地から離れているが、品揃えが良いと評判の店だ。ただし酒は買わない。大人連中がこぞって酒を差し入れるものだから、墓の周りはいつも酒瓶で溢れている。
 多種多様な酒がずらりと並ぶ店内を突っ切り、酒の肴に乾き物を一種類、そして酔い覚ましにと缶入りのお茶を手に取った。会計を済ませながら、顔なじみの店主といくつか会話を交わす。帰りに一局どうだと誘われたが、今日は用事があるからと断り、次の休みに都合をつけることで話はまとまった。
 ここの店主はシカクの将棋仲間で、相当に手強かった。ただ将棋を指すよりは、何かを賭けた方が面白い。そんな考えを持つ親父で、今度の勝負でも何かしら持ちかけてくるに違いない。そういや最近いい酒を手に入れたのだと聞いた。となれば、その酒を賭けて勝負といこう。酒に目のない紅のところへ持っていけば、きっと喜ぶはずだ。飲めない妊婦には目に毒だろうから、ひと段落した頃に持っていけばいい。
 店を出たすぐのところで、袋の中に買った覚えのない酒のつまみが入っているのに気づいた。親父の気持ちだろう。口元を綻ばせて、シカマルは里の中心へ向かう。



 川を越えると、人通りが急に多くなる。まばらだった民家もあちこちに見かけるようになり、気づけばあっという間に住宅密集地だ。
 中心地の住宅事情はあまり快適とは言えない。土地が狭小なために建物は縦に長くなり、アパートや長屋が所狭しと並んでいる。アカデミーに通っていた頃は、このざわざわとした雑多な空気にどうも馴染めなかった。ごちゃごちゃした街から離れて、さっさと家でごろごろしたい。そんな年寄りくさいことを思ったものだ。
 焼肉Qの前では、主人が店先に水を撒いていた。挨拶をすると、ついでにと言って菓子を持たせてくれる。煙草屋の婆さんがシカマルを呼び止め、今月分の煙草を手渡す。ただ歩いているだけで、荷物は次々と増えていった。その重みは不思議と心地よく、それらを運ぶことは苦にならない。
「あんた、まだそんなの吸ってんの?」
 声を掛けられたのは、坂を下りている途中のことだった。のっそりと顔を持ち上げると、いのは緩く長い坂を見渡せる高台の手すりに身体を預け、シカマルを見下ろしていた。いつもの忍服姿ではない。どうやら同じく休みらしい。
 右手に提げたビニール袋をよく見ると、アスマが好んで吸っていた銘柄のロゴが、ビニール越しに透けていた。
「ちげーよ。アスマの一ヶ月分」
「なぁんだ、おばあちゃんからか。いよっと」
 いのは軽やかに手すりを乗り越え、音もなくシカマルの傍らに着地した。手には花束。こぼれる花びらが色鮮やかに宙を舞い、その様はなかなかに綺麗だった。
「チョウジは一緒じゃないのか」
「おじさんと一緒に任務だって。これからはチョウジとの任務も少なくなるんじゃないかな」
 十班の班員はそれぞれ隊長格となり、請け負う任務の内容も一族固有の能力をより生かす方向へとシフトしている。特にいのは情報部に出入りしているらしく、近々異動になるんじゃないかと聞いていた。再び三人で同じ任務をこなすのは、しばらく先の話になるだろう。
「おばあちゃん元気だった?」
「口はよく動いてたぜ。ただし足腰きかねえから、煙草を代わりに供えとけってさ」
 木ノ葉病院のほど近くにある小さな煙草屋。アスマが煙草を買う時は、必ずそこと決まっていた。店主は気風のいい婆さんで、アスマがほんの小さな頃から付き合いがあるのだそうだ。婆さんに言わせればアスマはいつまで経っても放蕩息子らしく、アスマが店に顔を出すたび、ほとんど喧嘩じゃないのかという会話を交わすのが常だった。
 たまにお使いで煙草屋に行くと、婆さんは昔話を聞かせてくれた。「お前さん方があの馬鹿の手綱を握っておくんだよ」と、アスマが若い頃にやらかした失敗談や意外な弱みなども色々と吹き込まれた。いざという時はそれを切り札にして暴走を止めろ、ということらしい。それらを行使する機会はついぞ訪れなかったが、近しい人間から話を聞くことにより、何を考えているのかわからない熊みたいな風貌の上官にくっきりと輪郭が与えられたように思う。それは結果として第十班の結束を強くすることに繋がった。
「じゃあ、はい」
「何だよ」
「もらったんでしょ、チョコ」
「ああ、はいよ」
 差し出されたいのの手のひらに、一口大にパッケージされたチョコレートをぱらぱらと乗せる。あの店へ煙草のお使いに行くと、きまってチョコレートをくれるのだ。その帰り道、チョウジといのが半分ずつ分けて食べ、甘ったるいものが苦手なシカマルはひとり興味のない顔でアスマの煙草を持っていた。
 ほんの三年前は、それが日常だった。
「はー、久しぶりに食べたな、これ」
「特別美味いわけじゃねぇんだろ?」
「そりゃ普通の駄菓子だもの。駄菓子らしい味がする」
「駄菓子らしいって……どんな味だよ」
「んー?懐かしくって、涙が出そうになる味」
「ほんとかよ」
 軽口を叩きあいながら二人は歩く。目的の場所はどうせ同じだ。一緒に顔を出せば、アスマも喜ぶだろう。



 最初の月命日であるこの日、墓の周りはとても賑やかだった。まだ陽も昇りきらない時間だというのに、先客がずいぶん居たらしい。やはり酒は買わなくて正解だった。二日酔いどころか三日酔いは間違いないだろうと思われる数の酒瓶が、あちこちに置かれている。
 墓の前に膝を折り、袋の中から煙草を取り出す。猿飛の放蕩息子に、と煙草屋の婆さんから手渡された奴だ。フィルムを取り去り、そこから一本引き抜く。ひとまずそれを口に咥え、使い古されたジッポライターで火をつける。すっと一口吸い込むと、葉の燃える音がチリリと小さく鳴り、その先端に濃いオレンジ色が点った。
「へえ、やっぱりむせない」
「んだよ」
「もしかして煙草はじめるのかなって、実はちょっと思ってたんだ。先生のライターもあるしさ」
「オレはやらねぇよ」
 肺に入れた煙を吐き出し、指に挟んだ煙草を墓前に供える。それは立派に線香の代わりを果たし、か細い煙をゆらゆらと空に向ける。
「煙草の吸い方は、教えてもらってねぇからな」
 酒も煙草も教えてもらう年を迎える前に、師は逝ってしまった。
 たとえ嗜める年齢に達したとしても、己の酒量を弁えた飲み方はできない気がするし、格好いい煙草の吸い方なんて見当もつかない。きっとどちらも自分には縁がない代物なのだろうと思う。
「生きるも死ぬも、身ひとつ」
 いのは花束を墓前に供え、そう口にした。
「アスマ先生、何も残さないのが忍の死だ、なんて言ってたけどさ。こんなに残しちゃってるじゃなのよ、ねえ?」
 アスマの墓の周りには、酒瓶や菓子、お供えの花束が途切れない。
 何も残さない忍の墓が、こんなにも賑わうものか。
「簡単に消せるもんなんて、この世にそうそう転がってねぇんだよ。それがわかってなかったんだよな、あのセンコー」
「それにあの頃はまだ、紅先生と親しい仲じゃなかったしね」
「つーことはお前……いつ頃からそういう仲になったかって、知ってんのか?」
「おおよそはね。そんなの見てりゃわかるわよ。アスマ先生、その辺すっごくわかりやすかったし。紅先生に会う予定がある日なんか、時間前からそわそわしちゃってさ」
「そんで、お前んとこで花買って、待ち合わせ場所に行くわけだ。そりゃバレバレだ」
「そうそう」
 ひとしきり話終えたところで、シカマルは腰を持ち上げる。
 いのにひとつ言っておきたいことがあった。ずっと言う機会を伺っていたのだが、この場所、この時が一番ふさわしいように思えた。
「あん時さ、」
「ん?何?」
 軽く一息ついて、いのと視線を合わせる。
 いつもながら、人の目をじっと見つめて話を聞く奴だ。
「オレらが十班だけでケリつけようって決めた時。お前が居てくれて良かったよ。感謝してる」
「……は?」
 怪訝な顔でいのにそう返され、立つ瀬がない。真剣な顔で謝辞を送ったのだが、聞こえなかったのだろうか。いや、聞こえているからこその返答か?
「は?ってお前……オレはなあ、」
「もしかしてあんた、誰かに何か言われた?」
 あまりの察しの良さに、続く言葉は喉の奥へと引っ込んだ。
「あー!わかった!テンテンさんだ!そうでしょ!」
 シカマルの無言を、いのは肯定と受け取ったようだ。これまた図星だった。
 つい先日、休憩時間に外のベンチで昼寝をしていたらテンテンに突然起こされ、任務の話かと思って話を聞けば、「いのが落ち込んでいるから一声掛けてやれ」と言われたのだ。一声掛けるも何も、落ち込む理由がわからないのだからどうしようもないと断れば、理由はシカマルにあるときっぱり言われた。もう何が何やらわからない。降参して詳細を尋ねてみると、どうやら先の暁戦で全く役に立たなかったことを悔いているらしいのだ。
 シカマルは正直、そんなことを考えたこともなかった。「降って湧く」とは、きっとこの時のためにある言葉だろう。そもそもああいう事態に陥ったのは自分の作戦に非があり、いのが気に病む必要など全くない。まさに寝耳に水とばかりに何も言えず呆けていると、テンテンからとどめの一言。
 あんたはいのを空気か何かと勘違いしている。胡坐をかくのも大概にしなさい。
「私が元気ないって話になったんでしょ。はー、なるほどねー」
「……実際そうだったんだろうが」
「ん?まあ、ね」
「なあ、」
「ちょい待ち」
 口を開きかけたシカマルに手にひらを向けて、いのが言う。
「よし、わかった。私も腹を括りましょう。私はね、あんたが組んだ作戦を全面的に信頼してるの。口では何やかや言うかもしれないけど、疑ったことなんて一度もないわ。チョウジも同じ。いや、それ以上かな?チョウジは。とにかく私はね、あんたの組んだ作戦の範囲内に収まっちゃった自分を恥じたの。これ、意味わかる?」
 口を挟むことなく、ひとまず頷いて続きを促す。
「これでもさ、自分の枠組みを広げようとしてたわけよ。それが医療忍者になった理由のひとつだし。選択の余地がないっていう状況を作りたくないのね、私は。手詰まりになった時、ひとつやふたつは余計に引き出し持っておきたいじゃない。その限界ってやつをさ、嫌ってほど思い知らされたのよね、あの時は」
 追い詰められた際に発した、「単純な戦闘じゃ役に立てない」といういのの言葉を思い出す。こいつ、そんなことを考えていたのか。
「だから、今回の原因は私自身にあるってこと。あーもうテンテンさん、気ぃ回しすぎ。だから頼っちゃうんだけどさ」
「いや、正直ありがてえよ。話してみないとわからないもんだ」
 テンテンの言葉の真意は、二人できちんと話をしろということだろう。確かに自分たちは、良くも悪くも言葉をないがしろにする傾向がある。言葉のいらない安心感に甘え、チョウジと同じようにいのと接したところで、いつか限界がやってくるのは明らかだった。
 普段シカマルが男だ女だとしきりに言うのは、体格や思考回路の違いをより重要視しているからだ。同列に扱ったとして、上手く回るわけがない。だからこそ細心の注意を払っていたはずなのに、まさか同じ十班のいのを相手に失敗するとは。いや、この場合は相手がいのだからこそだろう。テンテンに胡坐をかいていると言われても仕方がない。これだから自分はボンクラなのだ。
「やっぱり、オレが原因だな」
「ええ?だから違うって……」
「お前は最高だよ、いの」
 いのをじっと見据えて、とん、と拳の裏でその肩を軽く叩く。長い付き合いになるが、面と向かってこういうことを言うのは初めてのことだ。ぽかんと呆けたいのの顔が、見る見るうちに赤くなる。
「照れたな、オイ」
 にっと笑うと、いのは照れ隠しにバシバシとシカマルの背中を叩いてくる。痛ぇよ、と口では言いながらも、それほど悪い気はしなかった。



 太陽はもうすぐ真上にあがり、正午が近いことを知らせる。きっとこれから夜勤明けの忍がここへやって来るだろう。長居しては迷惑だと、二人は帰路に着いた。互いの家への分岐路が近くなったところで、ほんの少し先を歩くいのがちらりと振り返った。
「紅先生の引越し、確か明後日だったよね?」
「おう」
「シカマルは手伝うんだよね。休み取ったらしいし」
 暁討伐後に与えられた休養期間も終わり、十班はそれぞれ違う任務についている。シカマルはちょうど次の任務までに時間があり、渡りに船とばかりに休暇を取っていた。
「任務さえ入ってなけりゃ、私も手伝うんだけどさ」
「あんま人数いても、かえって紅先生に気ぃ遣わせちまうからな。四人くらいがちょうどいいんだよ」
「そう?」
「だから、気に病むな」
 引越しが終わったら、庭に植える花の種と室内用の花束を贈るのだと、いのは張り切っていた。子供が遊べるほどの庭があるらしいので、そこはやまなか花店の出番だろう。配達ならチョウジの奴が喜んで申し出るに違いない。
「先生によろしく伝えておいてよ」
 そう言って手を振るいのに片手をあげて、その日は別れた。
 今日は時間もあることだし、これからテンテンを捕まえて礼を言うことにしよう。あいつはちゃっかり者だから、お礼の言葉はいいから昼飯代、という流れになるだろう。出掛けに聞いた母からの頼まれごとは、それが済んでからでいい。そうと決まれば、ガイ班探しだ。よし、と小さく口に出し、シカマルは歩みを速めた。




※この話は、2010/5/3に発行したオフ本の再録です。極小部数しか発行できなかったため、サイトに掲載をしました。



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