三.



 待ち合わせはどこがいいかと悩んだが、ベンチがあるので木ノ葉病院近くの公園にしようということで話は落ち着いた。珍しく定時で仕事を終えたサクラは、待機が解けるまでそのベンチに座ってナルトを待つ。そういえば、どこに連れて行くつもりなのだろうか。待機所から出る際、ナルトはサクラに向けてこう言った。
 あ、一楽とかじゃないから安心してよ。いい店、知ってんだ。期待してて!
 その少し大人びた口調に、サクラは面を食らった。瞬く間に上忍へと駆け上がったナルトは、先輩忍者に連れられて、色んな店に行っているのだとうかがえる。病院と自宅の往復生活が板についているサクラにとっては、何ともうらやましい話ではある。
「お待たせ、サクラちゃん!」
 その声に顔を持ち上げると、ナルトがこちらに向かって駆けてくるのが見えた。サクラはベンチから立ち上がり、ナルトを迎える。
「オレさー、楽しみすぎて今日は一日ソワソワしっぱなしだったよ。時計は全然進まねーし、パズルはなかなか解けねーし、昼飯食ってからがまた、長い、長い」
 見るからに浮かれているのがわかるナルトは、いつも以上に饒舌で、どれだけ自分が夕食を楽しみにしていたかを訥々と語った。へー、とか、ふーん、とか言葉を返していると、ナルトはパンとひとつ手を打って、ついっと指を公園の出口に向ける。
「んじゃ、行こっか」
 そう言うと、両手をポケットに突っ込んで、サクラと共に公園を出る。病院の前を通り過ぎ、歓楽街へと足を向け、酒酒屋の脇をすり抜けると、暖簾もかかっていなければ店名も記されていない一軒家の木戸をカラリと開けた。えっ、とびっくりするサクラに、いたずら小僧のような笑みを見せて、ナルトは言う。
「へへ、オレが知ってる、一番イイ店」
 一足先に十九歳になったナルトは、自分とは違う人生経験を積んでいるようだ。ナルトのくせに、と心の中で呟きながらサクラは木戸を潜る。石灯籠の灯る砂利道を十歩ほど進むと玄関に辿り着き、扉を開きながら「すんませーん」とナルトが声を出す。すると、奥から着物を綺麗に着付けた女性店員が現れた。
「いらっしゃいませ」
「今日は、二人。できれば、個室がいいんすけど」
「ご用意できますよ。こちらへどうぞ」
 履物を脱ぐように勧められて、サクラはまごつきながら店の中に入る。見たところ、一軒家をそのまま飲食店に使っているらしい。いくら誕生日だからって、こんな高そうな店、あまりにも敷居が高い。そんな表情を察したのか、ナルトはすっと顔を寄せるとサクラの耳元で囁く。
「雰囲気いい店だけど、そんな高くねーから、安心していいよ」
 それは、上忍様のお給金を基本に考えて、でしょうか。そんな嫌味が自然と湧き出るが、今日はナルトの誕生日。つまらない空気は作るまいと自重する。
 二人が通されたのは、二階のこぢんまりとした部屋だった。簾で仕切りをしている程度ではなく、しっかりとした造りだ。テーブルの上には、「今日のおすすめ料理」という筆文字の品書きが広げられている。
 あれ、ほんとに高くない。
 先ほどの嫌味を発さなくて本当によかった。ホッと胸をなでおろし、サクラはナルトに勧められるまま座椅子に腰をおろす。
「あんた、もしかして相当遊んでる?」
 ナルトは目を丸くして驚いた後、にた〜っと笑みを浮かべる。
「何よ、その笑い」
「……それ、もしかして嫉妬?」
「んなわけないでしょ!この馬鹿!」
「いってえ!」
 手を伸ばしてバシンと頭を叩けば、なんとも幸せそうな顔で痛みを訴える。今日のナルトは、どこまでも浮かれているように映った。それがなんとなく気恥ずかしくて、照れくさくて。ふてくされた態度を取りたくなるところを、めでたい席だからと自分に言い聞かせて、なんとか抑える。
「飲み物、ウーロン茶でいい?」
「……ん」
「食べたい物あったら、言ってね」
「揚げだし豆腐、食べたい」
「うん、じゃあ頼もう」
「がんもどきと大根の炊き合わせも」
「うん、うん」
「サラダは、絶対外せない」
 生野菜が苦手なはずなのに、ナルトは文句ひとつ口にしない。サクラが何を言っても、こちらがどぎまぎするぐらい柔らかな笑みを湛えていて、優しい声で相槌を打つ。すべての言動にどこかしら余裕のようなものがあり、少しばかり低い声は時折サクラをドキリとさせた。
 ナルトは、こんな男だったろうか?サクラは、ちょっとした違和感を覚える。一楽のせわしない店内ではないからか、それとも自分より先に一個歳を取ったからか。
「あと……誕生日、おめでとう」
 忘れないうちに、改めてもう一度。
 ナルトはパッと顔を持ち上げて、嬉しさを抑えきれないのが丸わかりの顔で、くしゃりと笑う。
「へへ、今日、サクラちゃんと二人でここ来れて、サイコーに嬉しい。ありがとな!」
 あ、今、知ってる顔に戻った。
 もうちょっとだけ、この空気のままでいたいな、とサクラは思う。
 きっとナルトは、自分の知らないところで大人になりつつある。それを咎める気なんて毛頭ないが、そんなに先に行かないでと思う気持ちがあるのもまた確かだった。




 店員にメニューを頼むと、昔話に花が咲き、部屋中を懐かしい空気が包む。
 ナルトは大げさな身振り手振りを加えて話題を提供し、サクラもまた、屈託なく笑う。下忍だった頃と、何ら変わらぬ二人の面影がそこにあり、いつまでもここにいたいなとサクラに思わせた。
 その日は、日付が変わる手前までじっくり腰を据えて話し込み、閉店時間に合わせて店を出た。帰り道、ナルトはスゲー楽しかったな!と感想を漏らし、サクラもまた、まんざらでもない顔で頷く。
「ね、サクラちゃん」
「……んー?」
「今日の食事ってさ、デート?」
「へ?」
 間抜けな声を出したのは、思いがけない言葉がふりかかってきたからだ。
「二人きりでメシ食うって、デートだろ?違う?」
「違わ……ない」
「じゃあ、オレ、誕生日にサクラちゃんと初デートしたってことになるんだな。へへ、やっぱ今日は、オレの人生最高の誕生日だ!」
 顔をぐんと顎を上げると、ナルトは天に向かって両の拳を突き上げる。
「だったら……手ぐらい、繋いどく?」
 サクラの提案に、ナルトは声も出ない。ぱくぱくと口を開けたり閉じたりを繰り返した後、十五歳の頃に戻ったかのようにおずおずとサクラの様子を窺う。
「……いいの?」
「誕生日だし、ね」
「そんじゃ、遠慮なく」
 ナルトは左手を服の裾でごしごし擦ってから、無防備になっているサクラの手を取った。手加減なんて全然わからないので、手を繋いでいるというよりも、手を囲っているといった方が正しい。ナルトもサクラも緊張しているのか、何も話そうとしない。ちぐはぐな沈黙の中、ずっと鼻をすする音が響いた。
「あんた、感激して泣いてんの?」
「な、泣いてねーよ!なんか鼻の調子悪いだけで!」
 たとえ手を繋いでいたとしても、静かに夜の里を歩くより、掛け合いをしていた方がずっと落ち着く。それが今の二人の距離感で、ナルトもサクラも今までにない居心地の良さを感じ取っていた。
「今度は、サクラちゃんの誕生日、祝ってやんなきゃな」
「気が早いわね。まだ十月よ?」
「サクラちゃんは人気が高そうだから、今のうちに予約しとかないと」
 どうやらナルトは、サクラの誕生日も二人で過ごそうと提案をしているらしい。
「予約、入れていい?」
 繋いだ手に、ほんのりと力を入れて、ナルトが問いかける。
「暇なら、どうぞ……」
 なんと返事をしていいやらわからず、適当な感じに答えてみれば、ナルトはブハッと盛大に吹き出した。
「な、何よ!」
「いや、おもしれー答えが返ってきたな、と思って。暇ならどうぞって……あんま言わなくね?」
 おかしなことを口走った自覚のあるサクラはプイッと顔を逸らして、手を引っ込めようとする。
「あー、あー、ごめん!馬鹿にするつもりはなかったんだ。ただ、嬉しくってさ、ちと浮かれすぎた。ごめんな」
 ナルトはサクラの手を引き寄せると、今度は腕同士をピタリとくっつけて、二人の距離を縮めた。
「逃げられないようにしてみました」
「……逃げたりしないわよ」
 それから二人は、ぽつぽつと話をしながら、サクラの自宅まで手を繋いだまま帰った。



2015/10/10




番外編