二.



 時は流れて、一年後。
 日用品の買い足しにと、ふらりと入った雑貨屋で、可愛らしいカエルのマスコットがついたキーホルダーを見つけたのは、ナルトの誕生日の三日前だった。最初はちらりと視線を投げるだけ。手ぬぐいだの錆止めだのを入れた店内持ち歩き用の四角い籠を片肘に引っ掛けて、会計のある入り口付近まで戻ろうとする。だが、その足は二歩、三歩と進んだところでふと止まり、背後を振り返るとカエルの形に仕上げてある値札をじっと凝視する。
 品物は、たかがキーホルダー。下忍の新米忍者でも手軽に買える金額だ。サクラは、誕生日にプレゼントをあげるという行為に、深い意味を持たせたくなかった。渡した後の展開をぐるぐると考えていたが、値札に描かれたカエルのふざけた表情に、何を迷うことがあるだろうと吹っ切れた。
 日ごろの感謝をこめて、新しいキーホルダーを。
 子供のお小遣い程度のちゃちなプレゼントなのだから、「本気ではないのだ」という建前は綺麗に通る。
「……よし、決めた」
 サクラは鼻と口の位置が微妙に違うマスコットをひとつひとつ確かめて、両の目がちょっと寄っているカエルを選んだ。不細工な様が、かえって可愛かったのだ。さて、あとは会計を済ませるのみ。だが、サクラは影縫いの術をくらったようにその場から動かない。ナルト用のカエルを籠に入れたまま、カエルの山からひとつひとつを物色しはじめる。倍以上の時間をかけてじっくりと選ぶのだから、念の入れようがわかるというもの。
「これが、一番可愛いかな」
 キーホルダーの輪っかを指でつまんで、サクラはそう一人ごちる。お気に入りの品物がようやく見つかり、しゃがんだ姿勢からからようやく立ち上がると、サクラは今度こそ会計処へと歩みだした。




 三日後、簡素な包装のプレゼントを手に、サクラは朝一の上忍待機所へ向かった。時折サクラも詰めることのある待機所だが、百戦錬磨の上忍たちの存在感に圧倒されて、ドアを開ける前に心臓が震えることもある。こうしてドアの前に立っている今、少々緊張した面持ちなのは、それが理由だった。ふう、と深呼吸をして、ドアを開ける。待機所に詰めているのは、ただ一人。サクラの探し人は、珍しくクロスワードパズルなんてものをやっていた。あれだけ語彙の少ない男に解けるパズルなんてあるのだろうか。そんな失礼なことを考えながら、サクラは後ろ手に待機所のドアを閉めて、ナルトの元に向かう。眉根をやや寄せているその顔をスッと持ち上げたのは、人影を感じ取ったからか、あるいは来客がサクラだとわかったからか。
「おー、ご無沙汰!今日は朝からツイてんな!サクラちゃんに会えちゃった!」
 ニカリと笑うと、クロスワードパズルを横に放り投げ、その反対側をぽんぽんと叩く。お座んなさい、という合図だ。
「長居する気はないのよ」
「ありゃ、これから任務?」
「や、そうじゃないんだけど……」
 ナルトは、今日が自分の誕生日だとわかっているのだろうか。プレゼントを要求したり、祝いの言葉をせがんだりしない。
 ……ナルトの誕生日って、今日よね?
 サクラは、ナルトのあまりの変わらないさぶりにうろたえて、武器ポーチに入れたプレゼントを出すタイミングを完全に逸してしまった。
「……出直すわ」
「あー。待った、待った、わかんないことがあるんだけど、ちょい聞いていい?」
 義手のことで何か問題でもあるのか、サクラの表情が医者のそれに変わる。
「うん、何でも聞いて」
 ナルトはパッと顔を輝かせると、傍らに放置したクロスワードパズルの雑誌をひったくり、パラパラとめくる。
「どこだったかなー……えっとね……そうそうこれだ!この意味、わかる?」
 指をさした先には、医療用語が並んでいた。ナルトに答えを教えると、縦のマスにその言葉を入れる。このパズルを全部解こうとすれば、医療従事者の力を借りなければ、まず無理だろう。なかなかマニアックなパズルだ。
「さっすがサクラちゃん!助かったー!」
 ナルトは雑誌を閉じると、手足を伸ばして喜びを表現をする。
「たとえゲーム感覚でもさ、こうやって語彙を増やしてくのって、そう悪いことじゃないと思うんだ」
「うん。有意義なことだと、私は思うわよ?あんたも、ちゃんと考えてんのね」
 サクラの手が、自然と武器ポーチに伸びる。この流れなら、プレゼントを渡せそうだ。
「はい、これ。いつも頑張ってるあんたに」
「オ、オレに?」
 ナルトは目をまん丸にして、人さし指を自分に向ける。
「たいしたものじゃないから、期待しないでね」
 サクラの忠告も何のその、ナルトは包装を解くのを待ちきれない。
「ね、ね、開けていい?中身、チョー気になる!」
 小さく頷くとナルトは丁寧に梱包を解いて、不細工な顔をしたマスコットを手に取った。
「あんた、あのくたびれたやつ、まだ鍵につけてるでしょ。これ、代わりに使って?」
 ナルトは一瞬だけ泣きそうに顔をゆがめた後、ニカリと眩しく笑った。
「うわー!チョー大事にする!そんでね、オレね、誕生日なの!だからさ、これ、誕生日プレゼントってことにしていい?」
 やっぱり、忘れているわけではなかったか。
 誕生日だというのにそれを口外せず、いつもと変わらぬ態度を貫きとおすのは、ナルトの得意技だった。そのことに、サクラはようやく思い至る。そもそも、無類の目立ちたがり屋が自分の誕生日について周囲に吹聴しないはずがない。それをしないのは、九尾事件の傷跡が今なお癒えていないからだ。
「もちろん。私も、そのつもりだったから」
 というわりには、ずいぶんちゃちだけど。そう言いかけたサクラだったが、その声はナルトの言葉に追いやられる。
「へへ、スッゲー嬉しいってばよ!」
 ナルトは、曇りひとつなく笑う。里の闇を一人抱えて生きていた頃の自分は、決してナルトに優しくなかった。その反動だからだろうか、今はナルトのためならなんだってやってやろうという気持ちさえ生まれてしまう。咄嗟に頭を掠めた提案は、そんなサクラの心意気から起こったものだった。
「今夜、さ。予定、あったりする?」
「へ?」
 カエルのマスコットを大事そうにいじっていたナルトは思いがけない問いかけに、間抜けな声を返す。
「お祝い、しよっか。どうせなら、同期のみんな呼べるだけ呼んで……」
「二人が!」
 被り気味にナルトが小さく叫ぶと、サクラは言葉を止めた。
「その……二人きりが、いい」
 ナルトの我侭を受け入れるには、相当な決断力が必要だった。
「……みんながいるの、イヤ?」
「イヤじゃねーけど、オレは、サクラちゃんと二人がいい」
 うっすらと赤くなった顔で、ナルトはサクラをじっと見つめる。
「……仕方ないわね」
 すっと視線をはずしたのは、サクラが先だった。ナルトの瞳から溢れる熱情に、アテられてしまいそうだったからだ。
「行きたいとこ、あったりするの?」
「てことは、オッケーってこと?」
 質問を質問で返されるのはあまり好きな行為ではなかったが、ナルトがあんまりにも期待に満ちた顔を見せるので、ひとつこくんと頷くと、ナルトは大きくガッツポーズをしてみせた。
「やったぜ!サクラちゃんと二人きりッ!」
 いくら待機所に二人しかいないとはいえ、誰が入ってくるかわからない。声のトーンを落とすように言えば、ナルトは決まりの悪そうな顔でえへへと笑った。



2015/10/10




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