一.



 ナルトは、家の鍵にキーホルダーをつけている。
 アカデミーの授業が終わった後、いつもの面子で遊んでいるとなぜかポケットから落ちてしまうことが重なり、鍵を探すのを手伝ってくれたシカマルが、「いちいち探すのめんどくせーから、つけとけよ」と言ってその存在を教えてくれたのだ。ナルトは早速、いつも日用品を買う雑貨屋に立ち寄って、キーホルダーを探すことにした。それ自体はすぐに見つかったのだが、大きな輪っかに鍵ひとつしかついていないのは、どことなく味気ない。ナルトはガマ財布とおそろいのカエルをモチーフにしたマスコットを探すべく店内を観察しながら歩いた。
 ガマちゃん、ガマちゃん、おー、ガマちゃん。
 独特の節回しで鼻歌を歌いながら店内を物色するナルトだったが、桜を象った飾りを見つけた時は、胸がドキンと高鳴り、それらが入った籠ごとキラキラと輝いて見えた。すっかり運命を感じてしまったのだ。
 これって、サクラちゃんみたいだってばよ!
 そう思ったナルトは、迷わず手に取り、そうっと桜の飾りを手のひらに乗せた。小さな鈴がついているのも、落とした時にわかりやすくてちょうどいい。会計を済ませた後、若干苦労をしながらも桜の飾りをキーホルダーの頭に通すことに成功した。鍵を摘んで優しく揺らすと、鈴はちりりんと軽やかな音を奏でる。その後は、鈴の音をわざと鳴らしながら一楽に出向き、味噌チャーシュー大盛りに替え玉まで頼んだ。あれは、本当に幸福な一日だった。
 キーホルダーに桜の飾りをつけているのは、誰にも内緒だった。自宅の鍵なんて進んで見せるものでもないし、自慢するようなものでもない。むしろ、自分だけの密かな楽しみで、時折取り出してはサクラのことを思い出した。下忍になってからも飾りはそのままで、二年半の修行の旅ではお守り感覚でずっと持ち歩き、忍界大戦が終わった後も留まり続けた。
 これは、そんなある日のこと。



 春野サクラとネームタグが仮留めしてある執務室の前で立ち止まると、ナルトは左手に書類を抱えた格好で声を張り上げる。
「サクラちゃーん。書類持ってきたよー、開けてー」
「はいはい、ちょっと待ってね」
 左手が書類で埋まっている今、扉をノックする方法がない。それゆえの掛け声だった。
 サスケとの戦いで失くした右手は、専用の義手を作成する方向で話は決まっている。だが、完成への道のりは容易ではなく、ナルトは右手をまったく使えない生活を余儀なくされていた。暁戦で右手を大怪我した時もだいぶ苦労したのだが、今回はそれ以上に支障をきたしている。そういうわけでここ最近は忍者らしく、左手一本でも遜色なく動けるようにと鍛錬を重ねていた。ちなみに自分自身に課した最初の修行が、「一楽ラーメンを左手で食べられるようになる」ということだったのは、さもありなんといったところか。
 返事からややあって、サクラの足音が近づいてくる。扉が開くと、ちょっと疲れた顔のサクラがナルトを出迎えた。部屋の奥をちらりと確認すると、応接ソファの背もたれには毛布が掛けられていた。
「……まさか、また徹夜?」
「仮眠はとった」
「オレが言うこっちゃないけどさ、身体壊さないようにしてね?」
「ヘーキ。あんたが心配することは何もないわよ。不便だろうけど、もうちょっと待っててね」
 ナルトの義手を作成するプロジェクトは、綱手の主導によって進められている。その途中に立ちはだかるいくつもの難題を乗り越える支えになっているのは弟子であるシズネとサクラで、ここ最近、三人は義手の調整にかかりきりになっていた。中忍であるにも関わらずサクラに専用の執務室が与えられたのは、この案件に対応するためだ。
「えと、よろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げると、左手に抱えた書類の存在を思い出した。
「そうだ、これ、チェックしてくれる?」
「あ、これね。数が多かったから、大変だったでしょ」
 ナルトが持ってきた書類は、義手に関わる説明書兼同意書だった。サインをする部分が何箇所もあって、漏れがないかとナルト自身何回もチェックをした。サクラは早速書類を受け取ると、その場で確認をはじめる。ナルトのサインを見つけるたび、眉間に皺が寄っていくのは、気のせいではない。
「……かろうじて、読めるかな……」
「ほら、左手だからさ、うまく書けなくて……」
「そりゃそうよね、うん、これで大丈夫」
 義手に関する話になると、サクラは途端に優しくなる。ナルトはそのたびにちょっと戸惑ってしまう。サクラに優しくされたいと常日頃思ってはいるが、この一件に関して言えば素直に喜んでいいのかわからないのだ。
「……あれ?」
 扉脇に立ったままページを数えるサクラだが、最終ページに辿り着くと、軽く首を捻ってもう一度書類の端をパラパラと捲る。
「やっぱり、一枚足りない」
「えー!ウッソだあ!」
「確認してみる?」
 サクラが持っている書類に左手をかけて、一枚、二枚と順調に数えはじめるも、その途中、抜けているページ番号が確かにあった。どう数えても一枚だけ足りない。
「あれぇ!?あんだけ確認したのに!」
「あんた、今から師匠のとこ行くんでしょ?」
「うん、時間厳守だって」
「そっか……」
 検査機器を使う時間が決まっているらしく、遅刻は厳禁とされている。とはいえ、書類提出は今日の午前〆で、提出まで時間がない。こんな時はいつもなら影分身に任せて書類を取りに行かせるところだが、印を結べないから影分身も作れない。どうしたものかと弱り果てていると、口元に手をあてたサクラが、ひとつ頷きながら、とある提案を口にした。
「……私、あんたのアパートまで取りに行くわ」
 ナルトは、見られて困るものはないだろうかと部屋の中をぼんやり思い出す。脱いだ服は洗濯機に入れたし、台所は綺麗にしている。そもそも、左手一本で暮らしている今、部屋を散らかしようがない。よし、問題なし。頭の中でGOサインを出したナルトは、サクラに向かって頷いた。
「たぶんね、ちゃぶ台の横んとこに積んである雑誌の間に挟まっていると思う。そこぐらいしか、考えらんねーわ」
「ちゃぶ台の横ね、オッケー。じゃあ、鍵、貸して?」
 言われるがままナルトはポケットから鍵を取り出し、サクラに渡す。ちゃりん、といつもの鈴の音が鳴ると、サクラが「あ、」と声を出す。しまったと思っても、もう遅い。鍵には、お気に入りのキーホルダーがぶら下がっている。
「あんた……」
 桜を模した飾りを後生大事につけているのが、よりにもよってサクラにバレてしまった。今まで誰にも内緒にしてきたというのに、なんと迂闊なことか。ナルトはみるみるうちに赤くなる顔を隠すように、左手をぶんぶんと振る。
「ち、違うんだってばよ!」
 何が違うのか自分でもわからないまま、ナルトは衝動的に声を張り上げる。だが、サクラの返事は、予想もしないところへ着地した。
「何これ!すんごいくたびれてるじゃない!いい加減、買い換えたら!?」
「……へ?あ、はい、そうですね……」
「あちこち擦り切れてるし、千切れちゃったら落っことしちゃうじゃない。もー、あんたはこういうとこに気が回らないのよね」
 サクラちゃんにだけは、絶対に言われたくない。
 ナルトは真顔でそう言い返そうとして、やめた。
「じゃあ、今から取りに行くから。あんたも遅れずにね!」
 サクラは書類を応接テーブルに置くと、ナルトの背中をぽんと叩いてから、執務室を出て行く。鍵を片手に小走りで遠ざかるサクラの姿を眺めながら、ナルトはぽつんと呟いた。
「フツー、気づくだろ……」
 今回ほど、サクラが鈍い人でよかったなと思ったことはない。自分から招いたことではあったが、朝からやけに疲れてしまった。頭をばりばりとかいた後、首をコキリと鳴らす。
「……そろそろ行くか」
 サクラのいなくなった執務室の扉を閉めると、右腕の袖をふらふらと揺らしながら、ナルトもまた検査室に向かった。



2015/10/10




次ページ