花、一輪



花、一輪




二.



 義手の仮装着が終わり、経絡系が繋がるのを開発室でじっと待つ日々が続いた。その間、ナルトはやたらと無口で、周囲とは必要最小限の会話しかしなかった。右腕が本当に元通りになるのか気が気じゃないのではないかと思われているようだったが、そう勘違いをして、そっとしておいてくれるのはナルトにとってありがたかった。ナルト自身は、開発チームに絶大な信頼を寄せていて、きっと動けるようになるだろうと楽観視している。では、なぜ口をきかないのか。ナルトはただひたすら、思索に沈んでいた。
 サクラちゃんは、何をしたら笑うんだろう。
 いのに知恵を借りようかと迷ったが、これは自分とサクラの問題なのだから一人でなんとか解決すべきだと結論づけて、ナルトは毎日、開発室で悩み続けた。
 二年半の修業の旅から里に戻って以来、サクラは七班の話、とりわけサスケが一緒にいた頃の思い出話をすると、嬉しそうな表情をみせた。サクラが落ち込んでいる時、あるいは元気がないように見えた時、ナルトはサクラを誘って甘味屋に行き、サクラが知らないであろうサスケの話をしてやった。昼飯休憩の途中、野良猫にパンくずをやろうとして猫に逃げられた話をすると、「あのサスケくんが?」と笑ったものだ。
「おい、何か問題でもあるのか」
 机の上に乗っている書類をじっと眺めていたので、それが気になったのか、綱手が話しかけてくる。
「や、全然。痛みがちょっとずつ落ち着いてくのがわかる。これって、馴染んでいってる証拠だろ?」
「お前は柱間細胞と相性がいいからな。派手な拒否反応がなくて、うちの奴らもホッとしてるよ」
 ナルトは左手でなんとなく書類を取り、パラパラと捲る。
「ねえ、ばあちゃん。この書類って、サクラちゃんのいる部署にも回る?」
「ん?ちょっと待て……ああ、研究室も回覧対象だから、回るだろうな」
 書類を覗き込んで、綱手が答える。この回覧文書を使って何かできないかと考えるナルトの脳裏に、とある思い出が浮かんだ。
 かつてナルトは、自分の存在を無視し続ける里の人々の気を引くために、たくさんイタズラをした。しかしひとつだけ例外があって、特定の誰かを笑わせてやるぞと思って仕込んでいたイタズラがある。それはパラパラ漫画だった。絵を描くことにさほど興味はなかったが、イタズラ書きには自信があって、アカデミーの教科書には教員や同期の似顔絵がちらほらと描いてあった。いつも叱られてばかりのイルカにその腕を見せつけてやろうと奮起したナルトは、教員同士の会議で使う書類に仕掛けをして、会議本番中、イルカを笑わせるのに見事成功した。ナルトは、その様子を窓からそーっと見ていて、気まずそうに咳をするイルカの姿を見るなり、一人ではしゃいだ。
「……やってみっかな」
 書類は合計、四枚あった。ナルトの利き腕は右手だが、暁戦で負傷した後、左手だけでもラーメンが食えるようにと特訓をしたおかげで、今は自在に動かせる。ナルトは鉛筆を手に取ると、いくらお願いしてもパックンが動いてくれなくてほとほと困っているカカシのパラパラ漫画を左隅に書いた。




「サクラさん、これ、読みました?」
 部下が手渡してくる書類を受け取って、一枚ずつめくり、内容を確かめる。おととい回ってきた書類で、中身はすでに把握していた。
「署名欄、抜けてたっけか……」
 そうひとりごちて、一番後ろの回覧印を確かめる。春野というサインは、確かに記されていた。
「うん、全部チェックしてる」
 書類を返そうとするが、「違うんですよ」と部下は言う。何が違うのか、もう一度書類を見直すと、最終ページの左隅に記された誰かのイタズラ書きに気づいた。
「もしかして、これ?」
 左の隅を指すと、部下は大きく頷いた。そこには、ブルに尻を噛まれて飛び上がっているカカシのイラストがあった。デフォルメされた造形はコミカルで愛らしく、絵心を感じさせる。これが書類でなければ、上手に描けていると褒めるのもやぶさかではない。
「……誰が書いたの?遊び心があるのは結構だけど、回覧書類でやることじゃないわね」
「ナルトらしいですよ。最近、開発室から回ってくる書類に必ず絵が描いてあるんです。これなんか、すごい凝ってて、パラパラ漫画になってますよ」
 違う書類を渡されて、パラパラそれを捲ると、イチャイチャパラダイスを読んでいるカカシに影分身のナルトが数名飛びかかり、それをひょいっと避けると大きな水溜りに着地。撥ねた水でイチャイチャパラダイスの表紙が汚れてしまい、最終ページではナルトがケラケラ笑っている。
「……もう、何やってんのよ」
 今や火影として皆を先導する立場にあるカカシを、こうも茶化すとは。サクラの生真面目な部分が、ナルトにやめさせなければと思う一方、台詞がなくても何が起こっているかを伝える表現力はすごいと感心してしまう。
「火影様もナルトにかかっちゃ形無しですね。綱手様のネタもありますよ?どこだったかな。まだ火影様には回してないはずなんだけど。あ、ちなみにイラストはうちで消してくれって言われてますんで、安心してください。火影様の閲覧書類に漫画ってのは、さすがにバツが悪いので」
 そう言いながら、部下は書類を探しつづける。ただ、見つからないのか、書類の束があちこちから出てきて、机の上に積まれていった。
「あの、そんなに探さなくても……」
「そこに置いてある書類にも、書いてあるんですよ。これがまた、笑えるんです。サクラさんも楽しめるんじゃないかな。えーと、他にもあったと思うんだけど、どこだったかなー」
 その言葉で、ふと思い出す。ナルトは確か、隣の仕事部屋で、「サクラちゃんをうんと笑わせる」と言い切った。こんなにも予想だにしない方法でアプローチしてくるとは、さすが意外性ナンバーワンというべきか。
 ナルトが七班の思い出話という一番安易な方法を選ばなかったのは、ナルトなりの誠意だとサクラは感じていた。サクラは、自分でもどうにもできない感情の沼地に囚われたまま、そこから動けずにいる。今のサクラを支えているのは、研究に没頭できる環境と単調に流れていく時間だった。
「あった!これですよ、どうぞ」
 サクラは、部下が探してくれた書類の束をひとつふたつと手に取り、左隅を見る。そこには、カカシがいた。イルカがいた。綱手がいた。いのがいた。彼らは大いに笑い、時に泣きながら、必死に毎日を生きていた。
 パラパラ漫画をすべて読み終えると、サクラの閉じた心に微風が吹いた。これが、「楽しい」という感情なのかもしれない。他にも見逃していたパラパラ漫画をすべて読んだ後、書類を元に戻しながら、「面白かった」とサクラは呟く。すると部下は、幽霊でも見たかのような驚きの表情を見せた。




2015/8/1




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