花、一輪



花、一輪




三.



 開発室では、義手の調整が詰めの段階を迎えていて、研究室に回ってくる書類もおのずと量が増えていった。そんな忙しさもなんのその、ナルトが手がけるパラパラ漫画は、登場人物がどんどん増えていく。ナルトの同期はもちろん、ヤマトやサイも登場するようになった。イビキ、アンコ、イズモ、コテツと様々な忍たちが、ナルトの手によって生き生きと描写される。書類が回されるたびに、「今日は何かしら」と期待してる自分がいるのは、サクラも気づいていた。
 特に気合が入った漫画が読めるのは、研究室で保管する書類だった。消されずに取っておけるのを知っているのか、やたらと凝った漫画はサクラの笑みをほのかに誘い、そのままファイリングされる。書類を探している時など、お気に入りのパラパラ漫画を読み返すこともあり、そのたびに新鮮な風がサクラの心を通り抜けた。
 そして、机の上には、相変わらず花が一輪。
 外には、ナルトの気配が感じられる。窓を薄く開けて、「……ありがと」とサクラが小さく呟けば、ナルトは風のように去っていく。そんな日々が、しばらく続いた。




 季節は巡り、やがて義手の開発は大成功を収め、開発チームの縮小と定期メンテナンスへの移行が決定した。自然、開発室から回ってくる書類も激減し、ナルトの漫画を目にする機会はどんどん減っていく。中には、「もう読めないんですかね?」とこぼす研究員もいた。
 そんなある朝、花が一輪置かれた隣に、書類が添えてあった。昨晩帰宅した後に回ってきたのかと思い、バッグを机の上に置くと、書類を手に取る。機密性の高い内容ならばこんなところに放っておかないし、おそらく簡単な回覧文書だろう。左隅には、お馴染みになりつつあるナルトのイタズラ書き。中身の確認はとりあえず後回しにして、パラパラと書類を捲くる。
 今日の漫画は、正面からナルトがてくてく歩いてくる場面からはじまった。実際、こちらに向かって歩いてくるように見えるのだから、絵心を感じる。上手いものねと感嘆しながら、二枚、三枚と進んだ後、二頭身ナルトは、後ろに隠していた花束をパッと差し出した。吹き出しには、「Marry me?」の文字。
「え……何、これ?」
 驚いたサクラは左右に首を振るが、誰の姿もない。何がどうなっているのかと慌てふためいていると、施錠金具をあらかじめ開けておいたのだろう、窓がからりと開く。そして、やまなか花店謹製の華美な花束を両手に抱えたナルトが颯爽と登場した。
 机の脇を通り抜け、ナルトはサクラの真向かいに立つ。そのまま話の口火を切ろうとするナルトだが、花束の隙間にレシートが突き刺さっているのを目にして、一瞬動揺する。これでは格好がつかないと判断したのだろう、レシートの回収を試みるのだが、両手が塞がっているため、口で迎えに行くはめになった。するとふわふわした花が鼻を擽って、「ぶえっくし!」とくしゃみを一発。レシートはその勢いに乗って、サクラの肩に見事に着地した。レシートを手に取って確認すると、なかなかいい値段が記してある。
「……花束って、高いのね」
 サクラがそう呟くと、スポイトで液体を吸い上げるみたいに、ナルトの首から額までが、カーッと赤く染まっていく。
「こ、これは違くって!いや、違うっていうか本当なんだけど!でも!ああ、クソ、カッコつかねぇなあ……」
 両手に花束を抱えて真っ赤になっているナルトを見て、サクラは、笑った。思い切り笑った。腹を抱えて、息が苦しくなるほど、とにかく笑った。まるで、ナルトが描いたパラパラ漫画のオチみたいだ。精一杯気取ったくせに、こんなバカみたいな失敗するなんて、ありえない。
 楽しいって、嬉しいって、いとおしいって、こんな感じだった。木ノ葉隠れのうずまきナルトと過ごした他愛もない毎日が、奔流となって体中を駆け巡る。確かに、ナルトと自分を繋ぐのは、七班だけじゃなかった。カカシの野菜便をいつも腐らせてしまうというので、仕方なしにナルトの家に料理を作りに行った。非番の日にサクラの後をついて図書館に入ったはいいが、寝言を呟きはじめたので怪力チャクラを使って追い出した。きつい任務の帰り道、あんこに目がない者同士、一緒に甘味屋に行った。
 アカデミー時代からはじまる思い出の渦は、ひどく膿んでいる傷口をじゃぶじゃぶと洗って、薄い瘡蓋をそこに貼りつける。その傷跡を覆う薄皮は、爪を立てると血が吹き出そうなほど頼りないけれども、再び戻りつつある感情が、前向きに心を治療したいと思わせる。
「……こんなはずじゃなかったんだけど、でも、笑ったな」
 まだ頬に赤みの残るナルトが、花束を抱えたまま、サクラに告げる。サクラは、目じりに滲む涙を指で拭って、くすりともう一度笑った。
「うん、あんたが言ったとおり、うんと笑ったわ」
 笑うと、何だかせいせいした。久しぶりに青空を見たような気分だった。
「サクラちゃんの笑い声、久しぶりに聞いたよ。うん、やっぱ、サクラちゃんが笑うと、元気出るわ」
 ナルトは、くしゃりと顔を崩す。
「パラパラ漫画、面白かった」
「へっへー。ああいうの、結構得意なんだ」
「だから、笑わせるって言ったの?」
「んー、あん時は、なーんも考えてなかった。ぜってー笑わせてやる!とは思ってたけどね」
 思い切り笑ったからだろうか、いつもどこかしら緊張感のあった二人だが、今はするすると会話が成立する。
「今でも、オレと会いたくないって思う?」
 サクラは、静かに首を振った。
「オレとの思い出、たくさんあるよな」
 なぜかじわりと涙が浮かんで、こくんとひとつ頷く。
 ナルトが花束をうやうやしく渡せば、サクラもまた、それを大事にそっと抱えた。少しの沈黙が流れた後、ナルトは床に目を伏せてから、思い切ってぐいっと顔をあげる。
「……返事は?」
 期待を込めた眼差しに、サクラは鮮やかに笑って、綺麗にお辞儀をした。
「前向きに検討をさせて頂きます」




2015/8/8