鼓動、重なる



鼓動、重なる

アメフラシ/sako



 ヤマトとサイが建物内に忍び込むのを見届けると、サクラはポーチから手袋を取り出して、両手にそれを嵌めた。
「さて、こっちも行動開始ね」
「おうよ!」
 ナルトもまた、額当ての端をぎゅっと結びなおし、気合を入れる。潜入組が動きやすいように、ナルトとサクラのツーマンセルで周囲の警戒を担うことになっていた。たとえドタバタ忍者が派手に暴れても、お目付け役のサクラがリードを握っている限りは、外での陽動役になってくれるはず。そう判断したヤマトは、上手く立ち回るようにとサクラにこっそり言い含めていた。
 建物をぐるりと取り囲む林の中を、二人は移動する。忍五大国が絶大な力を得ているのが今の世界だが、小国同士の衝突は絶えることがない。依頼主が上級官僚として仕える国でも、隣国絡みで不穏な空気が漂っていた。水面下で動いている依頼主は、考えを同じくする隣国の上層部に宛てた密書をヤマト班に託し、戦争の回避を目指している。内通者の存在も確認できているし、建物周囲に妨害工作の網が張られていてもおかしくない。
 視線を四方に配らせながら移動していると、甘い匂いがサクラの鼻を掠めた。この場所に自生するはずのない、亜熱帯で育つ果物の匂いだ。続いて、視野がどんどん狭くなる。これは、毒霧だ。文献で読んだことがある。甘い果実が熟すような匂いが特徴の、五感をじわじわと奪う毒。サクラは手近な枝を蹴り飛ばして方向転換すると、後方から追いかけてくるナルトの身体を抱きかかえた。当身を食らった格好になるナルトは、ごほっと咳き込み、ぐらりと体勢を崩す。
「撤退する!」
「え、ちょっと、サクラちゃん?」
 素っ頓狂な声でナルトは戸惑っているが、怪力チャクラを駆使して離れることを許さなかった。その場を全力で離脱する。移動の途中、視界は白と黒のモノクロームに変わった。その後は、黒が優勢のオセロみたいに、ぱたぱたと白い部分が消えていく。光という光が、闇に吸い込まれた。ただし、焦りはない。サソリと対峙して以降、窮地に立たされると、頭の芯がすっと冷える感覚が芽生えるようになった。戦闘を前にした高揚とも違うこの感じは、状況判断をより早く、より正確にしてくれる。
「なあ、サクラちゃん!何だって撤退なんかすんだよ!」
 状況が見えていないナルトをそのままに、サクラは風の流れを読み、ここならば問題はないという場所に足を止めた。手探りで幹を掴む。
「もしかして……目ぇ見えてないだろ!」
 目の焦点が合っていないことに、ナルトもすぐに気づいたようだ。焦りが伝わってくる。
「五感を潰す毒霧よ。ねえ、果物が熟してる甘い匂い、嗅いだ覚えある?」
「毒?クッソ、何してくれてんだッ!」
 飛び出そうとするナルトの気配を察して、手を握った。影分身の印を結ばせないためだ。
「質問に答えなさい!」
「……匂いは、感じなかったってばよ」
 サクラの勢いに気圧されて、ナルトはもごもごと答える。
「なあ、五感を潰すって、今どんな状態?ちゃんと治るのか?平気なのか?」
「里に戻ったら、解毒剤を作る。それを飲んで休めば治るわ、大丈夫。生死に関わる話じゃない。問題は、今よ」
 おそらく、周辺に潜んでいる間者をいぶりだすため、毒霧を使ったのだろう。動きが鈍った目標を捕縛し、素性を洗うつもりだ。この分だと、潜入した建物の中にも、敵が待ち受けているはず。だがそこは、ヤマトとサイの腕を信じるしかない。サクラはこれから取るべき道を、瞬時に弾き出した。
「任務後のことも考えて、術者はできればここで仕留めたい」
「んなこと言ったって……」
 ナルトの手を掴む感触は、分厚いゴム手袋を嵌めているように、鈍かった。たぶん舌もやられてる。生きているのは聴覚と、わずかな触覚だけだろう。ただ、耳が生きていることは、サクラにとって大変な幸運だ。どこに支障が生じるかは個体差が出るはずなので、聴覚には効かなかったらしい。
「アンタ、無線持ってるわよね」
「もちろん」
「じゃあ、私に指示を送って。アンタの指示通りに、私は動く」
 ナルトが息を呑むのがわかった。かろうじて生きている耳で、無線から飛ばされる指示通りに身体を動かす。ナルトを毒から守り、なおかつ術者を倒すには、それしかなかった。このまま潜んでいても、埒が明かない。
「アカデミーで実習やったでしょ?」
 できないなんて、言わせない。強い口調で問えば、ナルトの口からは情けない声がこぼれる。
「オレ、一度もまともにやれたことねえってばよ!」
「それでもやるしかないのよ!」
 サクラが一喝すると、ナルトはぐっと喉を詰まらせた。
「アンタはこの三年間、何やってたのよ?それぐらい、できて当然!アンタならやれる!」
 叱咤の言葉に、ナルトの醸す空気が、かすかに変わった。それを敏感に察知したサクラは、さらに口を開く。
「自来也様と修行したことを、思い出しなさい」
 しゅるりと布が解ける音が聞こえる。おそらく、ナルトが額当てを外したのだ。その仕草を作戦の了承と受け止めたサクラもまた、額当てを外す。木ノ葉隠れで使用される無線機は、額当ての両脇に器具を取り付けるタイプだ。無線のセッティングは、アカデミー時代から幾度となく繰り返してきた動作であり、たとえ目が見えなくても、なんら問題はない。サクラはポーチから無線機を取り出すと、てきぱきとそれを額当てに取り付ける。
「用意は?」
「……額当ての裏側に、セットはできたってばよ」
 まだ、戸惑いの色が濃い。サクラはナルトの後頭部に手を置くと、ぐいっとこちらに引き寄せた。二人の額が、こつりと合わさる。息が届くほど近いその距離に、ナルトが狼狽する空気が、ひしひしと伝わってきた。
「私の命、アンタに預けた」
 五感のうち、三つが剥ぎ取られたせいだろうか。サクラの感覚は研ぎ澄まされ、相手の纏う雰囲気から、考えていることが手に取るようにわかった。ナルトの戦意は、サクラの言葉を受けて、間違いなく高揚している。
「……オウ!」
 その声に、迷いはない。どうやら振り切ったようだ。二人は額当てを巻きつけ、布端をきゅっと縛る。すると、人の気配がひとつ増えた。影分身を先行させるつもりだろう。いい判断だ。
「準備はいい?」
 ナルトは答える代わりにサクラの膝裏を掬うと、その身体を両腕で抱えた。
「途中まで、エスコートしちゃる!しっかり掴まってろよ!」
 鼓膜を震わせる士気の高い声に、サクラは口端を吊り上げる。
「……落とすんじゃないわよ」
「わかってらあ!」
 緑の匂いと、風の流れを全身で感じる。いつも以上に鋭敏な感覚に包まれながら、サクラは作戦の流れをイメージした。この手の術を好んで使う相手は、近接戦闘を苦手とする傾向がある。相性は、決して悪くない。
 身体全部を預けるというのに、不安はない。サクラの中には、不思議な万能感があった。ナルトと二人ならば、どんな敵でも蹴散らせる。己はただ、耳に飛び込んでくるナルトの声にのみ反応をして、動けばいいのだ。慢心は最大の敵だが、作戦の失敗を想像できない。サクラは手袋を嵌め直すと、ナルトが出す合図を待った。






【コメント】
天地橋の任務後の話です。ナルサクは、背中を預けられる関係に、とても夢を見ます。





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