砕かないし壊さない



砕かないし壊さない

nekochoko!/みなせ様



「お前と同じ名前なんだ。」
アカデミーに入学する前日、父がそっと私の手のひらに乗せたもの。
「わあ、きれい!」
その小さな数枚の貝殻は、名前の通り美しい桜色をしていた。うす桃と白が細いラインで層になっているのを見て、子どもっぽくも苺みるくのキャンディーに似ていると思った。そっとつまんで蛍光灯の光に晒すと、向こう側がうっすら透けて見えた。
「すっごく薄いからな、砕かないように気を付けるんだぞ。」
サクラはなかなか力が強いから、と失礼なことを言って笑う父をむうっと睨みつけて、私は確かに言ったのだ。
「そんなことしない!たからものにするんだもん!」

1枚目は偶然だった。つまみ上げた拍子に少し力が籠ってしまい、ぱらりと崩れた。あまりの呆気なさに驚いたような、拍子抜けしたような。脆いとは分かってたけど、たったこれだけで割れちゃうなんて。
そう思うともう止まらなかった。美しくて儚いそれを、息をひそめながら砕いていくのを止められなかった。
父の手から桜貝を受け取ってほんの1週間後、数枚のそれは全て、粉々の欠片になってしまった。

 思えば、元々大切にするのが苦手な子どもだったのだと思う。それが美しくあればあるほど、その裏側に潜むとんでもない脆さが怖くてたまらない。いつ壊れてしまうか分からない状態に、心が落ち着かない。
だったらいっそ、自分の手で・・・。
 そんな自分の、ある意味ゾっとするような性質にはっきり気が付いたのは、サスケ君が里を抜けた頃だった。そしてそれは同時に、ナルトから向けられている好意を確信した時でもあった。アイツは前々から特に隠そうともしなかったけど、サスケくんがいなくなって取り乱す私を見るナルトの真剣な瞳で、傲慢だけど確信した。
ああ、ナルトは私の事が本気で好きなんだ。
本当に、大切に思ってくれてるんだ。
それは憧れの少女漫画なんて比べ物にならないくらいに、驚くほど綺麗で淀み一つない想いだった。
信じられなかった。
だっていっぱい傷付けてきたはずだ。幼くて無知で、サスケ君にしか目がなかったあの頃の私は、無神経なことだっていっぱい言ってしまったはずなのだ。
それでも、ナルトの私への想いはどこまでも真っ直ぐで、まるでナルト本人のように暖かくて眩しかった。
私には眩しすぎた。
だから、真っ先に壊した。
『一生のお願い、サスケくんを取り戻して!』
サイに言われた通りの、呪印のような言葉で。
必死に縋り付いた腕で、涙で。
そんな綺麗な気持ちを、私なんかに向けないでよ。そんな真っ直ぐな瞳で見ないでよ。
その気持ちだって、いつかは消えてなくなってしまうんだから。
それなら、早い方が。
私の叫びにも近い言葉に眉を下げて、それでもにっと笑って答えたナルトに、心臓がズキリと痛んだ。
ああ、壊した。壊れちゃった。壊せたんだ。
心の底に感じた密やかな痛みには目を瞑り、私はあの時心底ほっとしたのだ。
これで、この先私がナルトを壊すことはない。ナルトが今まで、血の涙を流しながら積み重ねてきたものを。そして、これから積み重ねていくであろうものを、私はもう壊さなくて済む。
済むはずだったのに。

 「サックラちゃ〜ん、来たってばよ〜。」
歌うように言いながら入ってきたナルトは、私の返事も聞かずに背後の丸椅子にドカっと腰を下ろした。
「相変わらず騒がしいわね、ここ一応病院よ?」
顔を顰めて振り返ると、へへっと笑いながら人差し指でぽりぽりと頬を掻く。
だから、褒めてないっつーの。
「まぁいいわ、ほら、足出して。」
「ほい。」
ナルトがズボンの裾を捲ると、膝からふくらはぎにかけて巻かれた包帯にはまだ生々しく新しい血が滲んでいた。
「化膿はしてないみたいね、薬塗って包帯変えるわ。」
「なあ、そろそろ任務出ていいよな?包帯も、毎日やってもらわなくても自分で出来るってばよ?」
「文句言わないの!あんた前そう言って薬サボって逆にひどくしちゃったでしょ?いくら回復力が強くても正しく手当てしなきゃ意味ないんだから。それに任務ならちゃんと貰ってるじゃない。」
傷全体を覆うように薬を塗って、新しい包帯をくるくると巻き付けていく作業も今日で3日目だ。
「うー・・・。そうなんだけどさー・・・。Dランクじゃ張り合いがねぇってばよ・・・。」
不満そうに降ってくるナルトの声を聞きながらも、手は休めない。ナルトが任務中に右足を怪我してから3日間、簡単な任務しか与えられないようにしたのは実は私だっだ。ナルトの事だから放っておくと悪化させかねないと思い、その日のうちに頼みに行ったのだ。
『サクラはどうにもナルトに過保護だな。』
綱手様は苦笑しながらも、まあもうすぐ里の長になる男だし安静にさせとくか、と言って頷いてくれた。戦争が終わり、里の情勢もやっと落ち着いてきた今だからこそ聞き入れられた、甘い願いだ。
「はい、おしまい!もう少し経過見たいから、明日も来てね。」
そう言って、話は終わりとばかりにクルリと背を向ける。
「なあ、サクラちゃん。あのさっ、オレってば今任務もなくてヒマだし、今度休暇とかあれば」
「あいにくずーっと仕事よ。空き時間作ってる暇なんて1秒たりともないわ。」
「う〜・・・。そっかぁ・・・。手当てあんがとな。」
何か言いたそうな雰囲気を残しながらも、ナルトは素直に部屋を出て行った。
背後の気配が完全になくなるのを待ってから、ふう、と息を吐く。目を閉じて指でこめかみの辺りを押さえた。
 最近になって、相変わらず優しすぎるナルトに、再び昔のような恐怖を感じるようになっていた。
戦争は終わった。
サスケ君も戻ってきた。
私には何一つ、口実がなくなってしまったのだ。ナルトと向き合わないための口実が。
平和な里が戻ってきても、変わらないナルト。
いつだって前を向いて、自分の忍道を貫くナルト。
私への綺麗すぎる想いを隠さないナルト。
そんな風にされたら、思わず手を伸ばしてしまいそうになる。あんなに傷付けた狡い自分を都合よく忘れて、差し出された手に応えてしまいそうになる。
「あーあ、私、疲れてるなあ。」
ぽつりと呟いて、押さえたこめかみをぐりぐりと揉む。最近気付けばこんなことばかり考えていて、自分でも気が滅入るほどだ。ぐるぐるとした思考に終着点などなくて、結局またふりだしに戻るだけなのに。こういう湿っぽいことを考え出すと止まらない癖は、やはり大人になっても大して変わらないんだなあ、とどこか他人事のように思った。
病院での仕事が忙しいのは本当のことだ。でも、空き時間が作れない程だというのは嘘だ。
「バレてるわよね・・・。」
ナルトの方も私に何となく避けられていると気付き始めているのだろう。会えばすかさず真意を探るような眼差しを向けてくるようになったし、ゆっくり話がしたいのだと言わんばかりに、しばしば約束を取り付けようとする。足の怪我くらいで大人しく病院に通ってくるのも、きっと私の態度に違和感を感じているからだ。いつものナルトなら、とっくに無理やりにでも任務に駆け出している頃だろう。
それでも今はとにかく、ナルトと接しているのが怖かった。
私には元から、ナルトの気持ちを受け取る資格などないのだ。
本当の私は、いつだって頭の中でどうすれば自分が傷付かずに済むか、そんなことばかり考えているのに。
今ナルトのそばにいると、またあの時のように傷つけてしまいそうで、壊してしまいそうで怖い。頭にははっきりと、あの日のかわいそうな桜貝たちが思い浮かぶ。
 「ああ、だめだ。」
煮詰まる思考を振り切るように首を振り、耐えきれずに立ち上がった。
駄目だ駄目だ、こんな堂々巡りはやめよう。 
座りっぱなしで肩も凝ったし、ちょっと外の空気でも吸おうと思い廊下に出ると、見舞いか何かで来ているのだろう子ども達が楽しそうに声を上げて駆け回っていた。
「こーら!病院の中で走っちゃだめでしょー?」 
そう声をかけると途端にしゅん、としおらしくなる素直さが微笑ましい。何か飴でもなかったかしら、と白衣のポケットを探っていると、その内の1人が近付いてきた。
「せんせい、これあげる!」 
きゅっと差し出された小さな拳に、なあに?としゃがんで目線を合わせる。
「せんせいの髪の色といっしょだよ!」
手のひらにそっと乗せられたのは、ずっと頭の中から離れなかった、でも実際に目にするのは随分と久しぶりなものだった。
ああ、なんて皮肉な偶然なのだろう。
「わあ、綺麗ね、ありがとう。」
そう言ってほほ笑むと、くすぐったそうに頬を染めて笑う少女の笑顔が可愛い。
潰してしまわないように注意深く、そっと受け取った。

□□□

 顔を上げると目の前の窓からは太陽の光が惜しみなく差し込んでいた。
「うう、痛・・・。」
その眩しさに目を細めながら、机につっぷしていたせいですっかり固まってしまった背中をゆっくりと逸らす。
昨日はあの後綱手様に呼び出されたり、急な手術が入ったりと仕事に負われ、病院の簡易なシャワーを済ませたあとは朝方まで巻物を読んでいたのだが、いつの間にか眠ってしまったらしい。
「我ながら色気のない生活だわ・・・。」
大きく伸びをしながらぼんやりと呟き、ふとテーブルの隅に目が留まる。
薬を入れる小さなケースを空けると、昨日貰った数枚の桜貝がさらさらとテーブルの上に散った。
「あの子は壊さないのかしら。」
きっと初めて桜貝を手にした時の私と同じくらいの年だっただろう。小さな手は、それでもびっくりするほど優しくこの薄い貝を包んでいた。それはもう、いい年してこんなにも悩んでる自分が馬鹿みたいに思えるほど、優しく。
灰色の無機質な机の上に散らばる貝は、まるで本物の桜の花びらのように美しい。その1つをそっと親指で押してみると、やはり呆気なく、音も立てずに砕けた。
あの頃と何も変わらない。こんなにも儚い。
念を押すようにぐりぐりと指をねじると、すぐに原型も留めないパウダーのようになる。
「痛っ。」
ふいにちくりとした衝撃を感じて指を離すと、小さな貝殻の欠片が皮膚に刺さっていた。砕けた貝は意外と鋭くて、見えないほど小さい傷口からじんわりと血が滲んでくる。肺がぎゅっと狭くなった気がした。目の奥が焼けるように熱い。
そう、あの頃と何も変わらないんだ。私は今でも、こんなにも、

「サックラちゃ〜ん、来たってばよ〜。」
突然背後からかかった声に、慌てて親指を隠して振り返った。
「どーした?サクラちゃん。」
私の様子がいつもと違うことに気が付いたのか、ナルトが不安そうな顔で覗き込んでくる。
「あ、血、出てるじゃん。」
どう答えようか迷っている間に、咄嗟に隠したはずだったはずの親指はあっというまに見つかって手を取られた。
「ちょっと借りるな。」
ナルトは私の手を握ったままそう言うと、机の横の棚から消毒液と脱脂綿を取り出した。
「い、いいわよこれくらい。」
逃げようとする手は強く掴まれていてびくともしない。消毒液を付けた脱脂綿をそっと傷口に当てるナルトは黙ったままだ。
自分には恐ろしいくらいに執着がない。それなのに、周りの人のことは、そりゃもうやりすぎってくらいに大切にする。
私とは、まるで正反対の人だ。
慣れない手当てをするたどたどしくて優しい手の甲に、ぽろぽろと涙が滴り落ちた。
コイツなら、この手は、桜貝を砕かない。
「どこが好きなの?」
気付いた時には、頭の中で思ったことがそのまま口を出てしまっていた。
「へっ?」
「私の、どこが好きなの?」
「なっ、なに!急に・・・。」
俯いている私からは見えないけど、きっと顔を真っ赤にして慌てているんだろう。
「サ、クラちゃん・・・?」
真剣な声に戻ったから、今度は真剣な顔で私を覗き込んでいるに違いない。
小さく震える私の手を、ナルトの手がふわりと包んだ。
「どこが好きって、そんなのわかんねーよ・・・。好きになるのに理由も何もいらないってば。」
思わぬ返事に顔を上げると、予想した通りの、とてつもなく真剣で優しい瞳がそこにあった。
その目を見て、またじわりと瞼が重くなる。
「わ、私には、ナルトを好きになる資格なんてないの。」
詰まった喉から震える声を絞り出す。
「壊しちゃうの。この手で。ナルトのことも、全部。」
俯きたいのに。その青い瞳に捕らえられたように動けない。
「ナルトが、今まで積み上げてきたもの。壊したくないのっ。」
生暖かい感触が次々と頬を伝っていく。
ナルトは私の目をじっと見たあと、ふ、と柔らかく頬を緩めた。目線を下ろすと包んだ私の手を、まるで宝物でも触るかのようにそっと撫でる。
「サクラちゃんの手は優しいってばよ。」
冷えきった手をナルトの指がなぞると、そこだけじわりと温度を取り戻した。
「忍術じゃなくても、魔法みたいに、触ったところがあったかくて安心するんだ。」
再び両手でしっかりと包み込まれると、今度は心がじわりと震える。
「俺だけじゃないってばよ?サクラちゃんが治療を始めると、泣いてる子どももスッと泣き止むだろ。」
ナルトの青い瞳が、もう一度私を捕らえる。
「いろんなものを、ずっと大切にしてきた手だ。」
「でもっ、」
「サクラちゃんの手は何も壊さねぇよ。」
「わたしっ、」

「サクラちゃんの手はオレを壊さねぇ。」

念を押すようにギュッと力が込められた両手に。
どうして?なんでそんなに。私は、私だってずっと・・・。
言いたいことは山ほどあるのに、出てくるのは涙ばかりで、喉から漏れるのは嗚咽だけだ。
「ばっ・・・、馬鹿ナルトっ・・・。」
喉を詰まらせながらも何とか紡いだ言葉がそれだなんて、
ああ私ってば、なんて可愛くないんだろう。
「ええっ、なんでここでそれっ?」
ナルトは顔を顰めて唸ると、箱からティッシュを引き抜き、私のぐちゃぐちゃな顔をたどたどしく拭った。何を今さらという感じだが、頬が赤く染まっている。
「サクラちゃんの手は魔法の手なんだから、大切にしなきゃ駄目だってばよ・・・。」
ふて腐れたような顔をしてる。目が泳いでる。汗もかいてる。
私は思わず吹き出してしまった。
ナルトは好きなのに理由なんかいらないと言った。じゃあ、好きになる資格も、好きになってもらう資格も、そんなもの全部、いらないと思っていいのだろうか。
「なっ、なんで笑うんだよ!サクラちゃん、泣いたり笑ったり忙しいってば!」
例えばこういうところが好きだ。
もー、なんか恥ずい・・・と唇を尖らせて俯く、そういうところが好きだ。
「う〜・・・。あっ、それ貝?うわ〜、砕けたら光が反射して、キラキラするんだな!初めて見たってばよ!」
ほら、そういうところも好きだ。

確かに、好きなるのに理由なんてないのかもしれない。
だってきっと、丸ごと全部が理由だったりするから。
「桜の花がそのまんま粉になったみたいで、すごいってばよ。」
そういってほほ笑んで、まるで子どものように瞳を輝かせる。その全部が魔法のようで、その全部が私は大好きだ。
 やっと、私の番が来たのだ。
長い間貰い続けてきたものには少々劣るかもしれないけど、きっとあちこちが古びてしまってるだろうけど、
それでも私のこの気持ちは、まだ砕けても潰れてもいないのだから。

息を吸った。喉の奥で涙の味がした。私たちが7班だった頃の、懐かしい味だ。

「ナルト、あのね、」



end





【コメント】
ナルサクwebアンソロジー「73love」開催おめでとうございます!
このような素敵な企画に参加させていただけて本当にうれしいです(* ´ω` *)
皆さまのナルサクをたっぷり堪能したいと思います!






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