明日の日付が変わる頃、少しだけ会えないかな?と、ナルトが言った。 七班は解散となり、義手の開発・改良は綱手に一任され、ナルトとは現状、わずかな接点もない。気づけば、もう一年以上も顔すら合わせていなくて、その声が大人の男を意識させる低さになったのをサクラは初めて知った。 「……えーと、知ってる、よね?」 病院の裏手で待ち伏せをしていたナルトは、もう暦は春だというのに冬の名残を思わせる寒気に鼻や耳を赤くさせていて、呼び出しでもすればよかったのにとサクラは返事を待ちながら思う。 「うん、知ってる。日付が変わったら、十九歳になるんだろ?」 だったら、そんな日に、なぜ。質問を発する前に、ナルトは眉尻を下げて笑った。 「どうしても、会いたいんだ。その日じゃないと、意味がなくってさ」 少しでも色気を含んだ声色なら、断っていた。だが、感じられるのはある種の諦念で、ひとつの踏ん切りをつけたいのかな、とサクラは敏感に察した。 いつまでもナルトが自分を想ってくれている、なんて思い上がれるほどサクラは愚かではなかった。幼い頃はナルトの好意を踏みにじる真似を平気でしていたし、大戦が終わってからは疎遠になり、別の想い人を見つけていたとしてもまったく不思議ではない。 ただ、おこがましいことを言ってしまえば、ナルトにとっての自分への恋心には、一途さと健気さがいつも存在していて、その想いはきっと特別だったように思う。両親の愛を知らない男の子が、人を好きになる。振り返ってみれば、なんて尊い気持ちなのだろうと眩しくなる。それと同時に、その相手が自分であったことが、ひどく申し訳ない。もっと優しくて思いやりのある女の子だったら、純粋な想いはきっと報われたであろう。 私で、ごめんなさい。 何度胸の内で呟いたかわからない贖罪の言葉を抱えて、ナルトが楽になるのであれば、とサクラは会う約束をすることにした。 待ち合わせの場所は、第三演習場だった。とはいっても、里の崩壊により元の演習場の面影は何ひとつ残っていない。三本の丸太もなければ、掲げられた札も別物だ。ただ、フェンスで囲われているのは同じで、入り口に足を向ければ、鍵を片手にぶら下げたナルトが待っていた。 「こんな時間に、演習場なんてよく手配できたわね」 「そこは、ま、伝手があるんで」 ニシシと笑うナルトは、鍵を開けると、お先にどうぞと言わんばかりにサッと左手を中に向けて振る。演習場に入ると、複数の小隊が集まれる広場があり、あとは鬱蒼とした森が広がるばかり。素っ気ないながらも、星空はやけに綺麗で、こんな風にただボーッと空を眺めたのは、いったいいつぶりだろうかと、サクラはただただ美しさに見とれた。 「任務中じゃ、空を見てる暇なんかねーからな。綺麗なもんだなぁ」 星空から目が離せないサクラに、ナルトが同じく空を仰ぎながら言った。野営となれば、見張りの際には周囲の気配や風の匂いにも敏感に反応し、交代した後は休養に徹する。星が綺麗だ、なんて思う暇は微塵もない。 「任務、忙しいの?」 「うん、まあ、それなりにね」 「上忍、なれそう?」 「んー……どうだろ。義手ってハンデもあるし、九喇嘛も完全に信用されてるってわけじゃなくてさ。上の方は、結構ピリピリしてるみたいよ。とはいっても、オレってば人気者なもんで、中忍のままでも指名争い激しいし、先方がどうしてもって頼み込むから危険手当やら何やらモリモリ上乗せになって、ヘタな上忍より稼げるんだって」 「……そうなっちゃうんだ」 飼い殺し、という言葉がサクラの脳裏に浮かぶ。上忍並みの働きをしているのに中忍のまま燻っているのは、ナルトにとっても不満が募るだろう。さぞ溜め込んでいるのではないかと、そっとナルトの顔を伺えば、物足りない表情はそこになく、むしろこざっぱりとしている。 「まあ、オレってば中忍とか上忍とか、そんなにこだわりないしな」 「え、そうなの?」 てっきり、早く上忍になりたいものだと思っていたサクラは、驚きに目を瞠る。 「中忍から一足飛びで火影ってのもカッケーなと思って、目下それ狙い」 にたりと不敵に笑って、ナルトは続ける。 「今は、師匠が使ってた情報網の整理してるとこ。オレ、修行時代に色んなとこ連れ回されたんだけどさ、無駄な場所って実は一個もなかったんだ。まあ、根っからの女好きだったから、人と情報が集まる歓楽街に入り浸るってのが不審に思われないってのは、計算なのか何なのか、ビミョーなとこだけどな。オレってば、どうも浮いちゃうから、田舎から出てきたばっかのカモを装うのが精一杯だよ」 頬をぽりぽりとかいてナルトが言えば、そんなことをしているのかと、サクラは少なからず衝撃を受けた。高ランク任務にこだわって、さぞカカシを困らせているんだろうな、なんて思っていた自分は、なんと浅はかさだったか。ナルトは、将来を見据えて目的地への道のりを着々と整備している。サクラとて忍者として遅れをとっているなんて思ってはいないが、ナルトの背中は、いつだって大きい。追いつこうと駆け続けた日々が、懐かしく呼び起こされた。 「オレね、今まで三回、サクラちゃんを諦めようとしたことがある」 サクラを現実に引き戻したのは、ナルトのそんな言葉だった。 「その三回目ってのは、オレが十九になる日だったんだ。師匠の足跡を辿ったはいいけど、どっから手ぇつけていいのかわかんなかったオレに、色々と世話焼いてくれる人がいてさ。師匠がオレを置いてどっか行ってる時とか、話し相手になってくれて、里のこととか話してたんだ。サクラちゃんのことも、知ってる。その人が、言ってくれたんだよね。『忘れさせてあげようか?』って」 ナルトがどんな顔をしているのかは、わからない。二人とも、なんとなく空を仰いでいる。 「それもいいかなって思った。いつまでも一人でふらついてちゃ、サクラちゃんも安心できねーだろうし、オレだって家族は欲しい。一歩踏み出すなら、今しかない。オレは、その人の手を取ってみた」 「そう……なんだ」 それしか言えなかった。おめでとう、と言えばよかったのに、なぜか浮かんでもこなかったのだ。どんどん先に行ってしまうな、なんて感傷すら置き去りにして、ナルトは前に進んでいく。いつだって先を行くナルトの背中なんて見慣れているのに、チクリどころじゃない、脊椎まで到達する太い針をいきなり刺されたみたいな痛みを感じる。 気持ちの区切りをつけるのだと察していたのに、いまさらどうしてこんなに動揺するのか。サクラは自らの両手をぎゅっと握り、身体が急降下していくような感覚に耐える。 「誰か大事な人がいるってのは、いいもんだなって思った。柄にもなくマメにプレゼントとかしちゃってさ。帰還ルートをこっそり迂回して、顔を見に行ったり。オレにもとうとう春が来たかーなんて感慨にふけったもんですよ」 サクラは、もうすぐ十九歳になる。「彼氏もいないんだから、私が祝ってあげるわよ」と言ってくれたいのとの約束を蹴ってまでこの場にいるというのに、いったいどうして人の惚気話を聞いているのか。ふつふつと怒りが湧き上がりそうになるが、ナルトを散々振り回した自覚があるサクラとしては、ナルトの新しい一歩を歓迎すべきだと自分に言い聞かせる。 痛みも、身体の軋みも、まだ消えてはいない。サクラはふっと息を吐くと、ナルトが好んでくれていた笑顔を可能な限り再現して、ナルトを見上げた。 「じゃあ、お祝いしなきゃね!」 ありがとう、という明るい声が返ってくるかと思いきや、ナルトは空から目を離すと、眉尻を下げてサクラを見る。 「でもね、ダメだったんだ」 「……え?」 「年を越したあたりまでは、うまくいってた。でもさ、もうすぐ誕生日が来るんだなって思うと、どうしても心をもってかれる。しまいには、間違って相手のこと『サクラちゃん』って呼んじゃって……」 「な、何やってるのよ、あんたは!」 女の子をこれほど傷つける言動がこの世に存在するだろうか。サクラの中から何もかもが吹き飛んで、叱咤の声が喉から飛び出た。 「自分があれほど誰かを傷つけることができるなんて、知りたくもなかったよ」 自らへの失望を顔を浮かべて、ナルトは苦く言った。 「オレは、オレの想いをナメてた。もう一緒に行動もしていない。時間も気にせず会いに行くなんて無茶もしなくなった。だから、すぐに忘れられるって、思い込んでたんだ。でも、ダメだ。消せないし、上書きもできないし、ましてやオレ自身が忘れたくないって願ってる」 ナルトはポケットに手を突っ込んで、何かを取り出す。静かな広場に金属音が小さく鳴り響き、星明りが懐中時計の盤面を照らす。 「だからね、オレは、諦めることにした。もう降参。オレの心はオレだけのものだし、好き勝手に生きる。そう決めたよ」 さん、にい、いち。サクラの戸惑いをよそに、カウントダウンをするナルトの声は、どこか楽しげだ。 「サクラちゃん。誕生日、おめでとう。十九歳になっても、オレはサクラちゃんが好きなままだ。この先も、オレはオレの気が済むまで、好きでいつづけるよ」 「あんた……何言って……」 「だってさ、もうオレ、誰も傷つけたくない。抵抗したってダメなら、流れに身を任せるだけだ」 「だからって、」 「だーいじょうぶ!しつこくつきまとったり、サクラちゃんの邪魔したりなんかしないよ。安心して。これは、オレの問題だからさ」 そう言ってナルトは、鮮やかに笑う。好きだと直接告げられたのは初めてだというのに、ナルトはいつも通りで、接し方が変わる気配は少しもない。 「あー、すっきりしたー!うん、オレは、サクラちゃんが好きだ。口に出すと、気分がいいな!」 ナルトの中では、すっかり円環が作られていた。どこにぶつけるでもなく、その想いは自己完結している。好意を告げられたサクラが何を思うのか、想像もしないで。 「きっと、明日も早いんだろ?オレの我侭に付き合ってくれて、ありがとうな。鍵は、オレが責任もって返しておくから。行こうぜ」 ナルトは広場を後にし、慌ててサクラもそれに続く。後ろの頭に両手を組んだナルトは、気分がよさそうに鼻歌なんかを口ずさんでいる。いつもいつも、大きく見えるその背中。ふと手が持ち上がり、無意識に伸ばそうとしたのだと気づいて、サクラは自分の手を凝視した。 その仕草は、愛する人を見つけたというナルトに動揺し、地面に足がついているはずなのに身体が落ちていくような先ほどの感覚と容易に繋がった。もしかして、ナルトが向けてくれる好意が、自分の支えになっていたんじゃなかろうか。それを失ったからこそ、足元が崩れたのだと考えれば、納得もいく。 鍵、かけちゃうよーと、暢気なナルトの声が聞こえる。 何かがはじまり、何かが変わろうとしていた。サクラは、そんな予感に捉われ、足を一歩踏み出すごとに、それは大きく膨らんでいく。 もしも、自分の在り様が変わったら、ナルトの築いた円環はどうなるのだろう。そう思いはすれども、自らが変わる気配を感じ取っただけの今、それを壊す勇気は持ち得なかった。 2018/3/28 |