王子と昼餉



王子と昼餉




(注)「ROAD TO NINJA」の特典CDで判明した四代目似メンマ設定で書いた話です。




 目を覚ますと、カーテン越しに陽射しが強く照りつけ、よく起きなかったなと不思議に思うほど部屋の中は明るかった。もう正午を回っているかもしれない。ベッドの中でしばらくボーッとしていたが、不意に夢の内容を思い出し、ボッと火がつくほどサクラの顔は赤くなった。
 メンマに「好きだ」と言われて、おまじないまで頂戴してしまった。
 現金だとは思うのだが、任務での暗い記憶は、すでに遠ざかりつつある。おそらく、夢の中でメンマ相手に弱音を吐いたのが利いたのだろう。夢に出てきてまで自分を救ってしまうのだから、メンマはすごい。「目が覚めたら虚しくなるだけだ」とメンマ相手に声をぶつけたが、額へのおまじないが、すべてをかき消してくれた。
「……やっぱり、好きだなあ」
 言葉にすると、布団を口元まで引き上げて、くすくすと笑う。昨夜、どさくさ紛れに抱きついてよかった。だからこそ感触がリアルで、自分を抱く力や温度は、今なおサクラの肌に残っていた。そのまま夢の内容を反芻してゴロゴロしていたかったのだが、空腹を覚えて、里に帰還してから何も口にしていないことに気づく。食は、すべての基本。体力を使ったのだから、エネルギーの充填が必要だ。
 サクラは、ベッドから脱け出すと、きちんとした服装に着替えてから部屋を出た。階段をおりようとしたその時、ピリっと肌が反応する。消しきれない気配を、階下から感じ取った。家の中に、誰かがいる。部屋に戻って装備を整えようか迷ったのだが、気づかない振りをして相手を油断させるのが得策だとサクラは考えた。服に仕込んだクナイを握り、気配も音も消さずに階段をおりる。仕掛けるなら、今だ。サクラは瞬時に移動速度をあげて、ターゲットを補足し、その首筋にクナイをあてる。
「……メンマ?」
「はは……起きた?」
 メンマは、ソファの上に胡坐をかき、印のようなものを組んでいた。どうしてメンマがここにいるのか、サクラはまったく理解ができず、混乱の極みに置かれる。
「えーと、とりあえず、クナイ、しまってくれるとありがたいんだけど……」
「ご、ごめん!」
 仕込みクナイをしまって、サクラはぴょんと後ろに飛び跳ねる。メンマは、ゆったりとソファから立ち上がると、腰を伸ばしながらサクラを見た。
「サクラちゃん、おなか、すいてない?」
「え?」
「弁当、あるんだ。よければ一緒にどうかな、と思って。もうお昼だしさ」
 そう言ってメンマは、壁にかけてある時計を指をさした。見れば、正午を30分ほど過ぎている。
「あ、うん……食べよう、かな?」
「あのね、サクラちゃんの様子が気になって家にきたら、玄関の鍵が開いてたんだ。サクラちゃんは部屋で休んでるみたいだし、オレが留守番しようと思ってさ。勝手なことして、ごめんね?」
「ううん!無用心なのは私だし!」
 鍵、ちゃんと閉めたわよね、と思いながら、サクラはぶんぶんと手を振る。いくら疲れ果てていたとはいえ、家の鍵を閉めるのは長年染み付いた習慣で、それを忘れるほど間抜けではない。だが、今朝の自分がおかしかったのは事実で、メンマがそう言うのだから、間違いないのだろう。嘘をつく理由なんて、どこにもなかった。メンマが気づいてくれたからよかったものの、それでも忍かと、サクラは深く反省をする。
「お礼、言わなきゃね。ありがとう」
 ひとまず心を立て直してサクラが言うと、メンマはちょっとばかり困ったような表情を浮かべて、ポリポリとこめかみをかいた。女の子の家に無断で入ってしまったことが、引っかかるのかもしれない。日頃のメンマの紳士的なふるまいを思い返せば、気にしてしまうのは至極当然だった。
「そうだ、お弁当食べるなら、お茶いれるね。ちょっと待ってて。お箸は……」
「割り箸が二膳あるから、大丈夫」
「そっか」
 茶の支度をする間、メンマはダイニングテーブルに弁当を乗せて、少しそわそわしていた。それはサクラも同じで、メンマと二人きり、家の中で食事をするなんて初めてだ。まだ夢の中にいるようなふわふわとした心地で、湯呑みをふたつ用意し、急須から茶を注ぐ。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
 メンマの前に湯呑みをことりと置き、その向かいには、自分の湯呑み。サクラが椅子に座ると、二人同時に弁当を広げる。
「もしかして、クシナさんの手作り?」
「うん。サクラちゃんに差し入れしたいって言ったら、張り切っちゃってさ」
 どうりで、中身が豪華なわけだ。彩りがよく、栄養のバランスがちゃんと考えられていて、ぎゅうぎゅうに詰められているご飯は、白飯ではなく炊き込みご飯。ちなみに煮物の人参は、桜を象っている。
「嬉しいな、こういうの」
「そう?」
「そりゃそうよ。誰かが作ってくれたご飯って、特別な味がするの。いのの家でご馳走になることがあるんだけど、みんなでご飯食べるのって、楽しいよね」
 いただきます、と手を合わせてから、サクラは炊き込みご飯を口に運ぶ。自分のために料理をする時は、ここまで凝った献立は作らない。炊き込みご飯なんて、久しぶりだ。メンマと二人きりなのを意識しすぎて味なんてわかるかしらと若干不安だったが、お店で売っているのとは違う手作り弁当は、サクラの食欲を刺激した。
「じゃあ、今度、ウチで一緒にご飯食べようよ」
 もぐもぐと大事に弁当を味わっていると、メンマがさらりと言う。
「……へ?」
 今、ものすごく間抜けな声が出てしまった。好きな人の家に、はじめてのお呼ばれ。大変な光栄だが、それ以上に動転する。
「二人とも喜ぶしさ、それに、オレも、嬉しいし……」
 最後の方は尻すぼみだったが、「嬉しい」とメンマは確かに言った。
 神様、なんですか、これ。夢の続きでも見ているんでしょうか。
 何が夢で、何が現実なんだが、わからなくなりつつある。
「えーと、どうかな?」
 メンマは箸を止めて、ちらりとサクラの様子を窺う。返事を待つメンマは、やや緊張をしているらしく、その表情はとても新鮮だった。今朝方まで抱えていた澱みが、またひとつ拭われていくのがわかる。その心遣いがありがたくて、嬉しくて、胸がいっぱいになった。
「……本当に、いいの?」
「うん、もちろん」
「じゃあ、お邪魔させてもらおうかな」
「そっか!じゃあ、決まりだ!」
 メンマの顔がパッと明るくなり、里芋をぱくんと食べる。
「お弁当、ほんと美味しいね。煮物の味付け、教わりたいな」
 サクラが言うと、メンマは少しいたずらな笑みを浮かべた。
「そりゃそうだってばよ。得意料理しか入ってないもの。見栄っ張りだからさ、ここぞって時の鉄板メニューばっかり」
「……そんなこと言ったら、叱られるわよ?」
「えーと、オフレコでお願いします」
 急に神妙な顔に変わるメンマがおかしくて、ひっそりと笑う。赤い血潮のハバネロという異名は、サクラの耳にも届いていた。メンマがこっぴどく叱られる姿なんて想像ができないのだが、どんな時に怒らせるのだろうと、興味がある。
 そうだ、興味といえば。
 サクラは、夢の中で聞いたとある話が気にかかり、何気なくそれを口にする。
「話は変わるんだけど、自来也さまに師事した時って、どんな感じだったの?そういえば、聞いたことなかったかなーと思って。うちの師匠の場合はね、」
 まずは自分の話から切り出そうとするサクラだが、メンマはといえば、口にしたお茶を噴き出しそうになる。
「え!ちょっと、大丈夫!?」
「へ、へーき、ちょっとむせただけ……」
 げほげほと咳き込むその顔は、なぜだかほのかに赤い。
「……もしかして、聞かれたくないことだった?」
「へ?ん?いや?そんなことないってばよ?」
 あきらかに挙動がおかしい。メンマは、律儀に「借りるよ」と断ってから、テーブルの上にこぼれてしまったお茶を台拭きで拭く。その動作も、なんだかわたわたしていて、落ち着きがない。メンマにだって、聞かれたくないことのひとつやふたつ、あるのは当たり前。調子に乗って踏み込みすぎたかな、とすっかり意気消沈し、サクラは「ごめんね」と謝罪をした。
「あ、謝ることないんだって!ただ、さ……その……オレ、すんなりと弟子入りってわけにはいかなかったから……」
「え?そうなの?」
「サクラちゃんと同じ時期くらいに弟子にしてくださいって師匠に頭下げて、そっからも、色々あって……うん」
 その流れ、どこかで聞いたことがある。というか、夢の内容とそっくりなのだ。そんな偶然もあるものだな、とサクラは妙な感心をしながら、口を開いた。
「私の時はね、シズネさんが後押ししてくれたんだ。師匠はあの通り、医療忍者の育成に積極的だけど、弟子は取ってなかったから。一人に目をかけるくらいなら、多くの忍者に幅広い知識をって考えてらっしゃった師匠を、説き伏せてくださったの。『あなたの貴重な術を、私の代で絶やすおつもりですか!』って」
「はは、シズネさんらしいね」
 メンマの表情にいつもの柔らかさが戻り、サクラはホッとする。美味しいお弁当を食べているのだから、できれば会話を楽しみたい。なにせ、メンマを家の中で独り占めしているのだ。この際、自分の失態は脇に置いて、思いがけず訪れた夢のようなひと時を、もっともっと満喫したかった。
「さっき、邪魔しちゃってごめんね?」
「ん?何が?」
 あらかた弁当を食べ終えたメンマは、湯呑みを持ち上げて、首を傾げる。
「ソファの上で、瞑想でもしてたのかなと思って。それとも、何か違う修業かな?」
 メンマは、ぶはっとお茶を盛大に茶を噴き出した。テーブルどころか服にまでお茶が飛び散り、「あっつ!」と小さく叫んで椅子から飛び跳ねる。
「大変!タオル取ってくる!」
「ごめん、お願い……あッ!やっぱり、いい!」
 背後から焦りきったメンマの声が聞こえ、椅子がガタンと派手な音を立てた。こんな時まで遠慮することないのに。律儀すぎる性格も、考えものだ。サクラは洗面所へと急ぎ、メンマはといえば、どたどたと足音を響かせてサクラを追いかけ、その手を掴む。
「タオルなんて、勿体ないってばよ!台拭きでいいから!」
「台拭き?そんなの汚いじゃない。タオルぐらい、うちにあるから」
 新しいタオルがないほどガサツだと思われたくない。サクラはムキになって、少々チャクラを錬り、ぶんっとメンマの手を振りほどいた。そして、目の前にある洗面所の引き戸を、ガラリと開ける。
「……あれ?」
 洗濯機の上には、使った覚えのないドライヤーと、簡単に畳まれたタオルが置いてあった。今朝は、タオルで髪を乾かしながら階段をあがって、ベッドに入ったんじゃなかったか?そのわりに、部屋の中にタオルが見当たらなかったのは、どう考えてもおかしい。今朝の行動をもう一度トレースしようと、サクラは試みる。
「ああー……台なしだってばよ……」
 すぐ後ろでは、メンマが床にしゃがみこみ、頭を抱えていた。その様子にサクラの思考は散らばり、具合でも悪いのかとメンマに近づく。
「あのね、サクラちゃん。今朝のこと、夢じゃないんだ」
 消え入るようなメンマの声に、サクラは固まる。
 年代物の蓄音機は、聞くところによると手動式だったらしい。ぐるぐるとハンドルを手で回し、レコードを乗せ、針を落とすことで、ようやく音が鳴る。サクラの頭の中は、それと同じような現象が起きていた。
 ハテ、今朝のこと、とは。ドライヤーとタオルを見つめることで、ゆっくりゆっくり頭が動きはじめる。先ほど見た夢の中でサクラは、「夢だってわかってるのよ!」とメンマを突き放した。そしてメンマは今、「夢じゃない」と言い切った。針がようやく落ち、サクラは思い切り叫ぶ。
「ゆ、ゆ、夢じゃなかったのぉ!?」
 ひっくり返った声は、家中にくまなく響き渡った。メンマは、うずくまったまま、動かない。
「だって、だって!さっきメンマ、玄関の鍵が開いてたって……!それに、お弁当!」
「あれ、嘘」
「な、な、なんで嘘なんかつくのよ!」
 メンマはようやく顔をあげると、いかにも決まりが悪そうにサクラを見る。
「サクラちゃんは夢だと思い込んでるみたいだから、そのままにしとこうと思って。弁当は、最初から持ってたんだ。サクラちゃんは、気づいてなかったみたいだけど」
「……何、それ……」
 メンマからもらった数々の言葉、そして、おまじない。それら全部を夢のままにしたかったのだというメンマの願望を前に、サクラの内部がガラガラと崩れていく。
「あんなこと言って、後悔してるんだ……」
 いっそのこと泣いてしまいたかったが、あいにくと、サクラの涙は乾ききっている。今朝の出来事は、すべて自分を慰めるための優しさだと思い込もうとしたが、虚しさばかりが胸に押し寄せる。こんなのは、優しさの履き違えだ。
「……サクラちゃん」
「ごめん、メンマ。今は何も話したくない」
「ねえ、待って、」
 のろのろと起き上がるメンマを視界に入れながらも、サクラは顔を伏せる。
「……好きだなんて、簡単に言っちゃダメだよ。それは、本当に本当に大切にしなきゃいけない言葉なんだよ?」
 あの任務で掴まれた二の腕をサクラはさする。爪あとは消えたはずだが、ツキンと痛んだ。
「サクラちゃん、オレは、」
「わかってる。うん。全部わかってるから、大丈夫。でも、他の人には、そういうこと言っちゃダメだよ?」
 サクラは完璧な微笑みを作って、メンマを諭した。優しい人だからこそ、弱っている人間を放っておけず、相手が欲しがっている言葉を与えてしまう。メンマにそんな側面があっても、おかしくはない。だが、最終的には相手を傷つけてしまうのだとわかってほしい。自分以外の人にも、こんな言葉をかける可能性があるのだと知ってしまったのは、正直に言えばショックだ。メンマに対する恋心に亀裂こそ走らないが、あいにくと傷つくのは慣れているし、こんな思いをするのは自分だけで充分だった。
「言うわけ、ないだろ」
 苦しげな物言いに、サクラはメンマを見る。メンマは、ぎりっと歯軋りをして、怒りさえ滲ませていた。そんなメンマの様相に、サクラは圧倒されかける。
「オレは、すごく情けないヤツだ。それは認める。だけど、好きでもない女の子に、好きだなんて軽々しく言う男だと思われるのは、すごくショックだよ」
「……だって、本当のことでしょう?」
 サクラだって、充分すぎるほどダメージを受けている。切りつけられた心から、血が吹き出そうだった。それなのに、こんな言い様はあんまりだ。涙こそ出ないが、サクラの心は、赤ん坊みたいに泣き声をあげている。
「言っただろ?オレだって、男だって。一生の思い出にしたかった告白を、泣きじゃくりながらなんて、できればなかったことにしたかった。見栄っ張りだって、わかってる。男の風上にも置けない。そう詰られても仕方ない。好きだって伝えられずにもたついてるオレが悪いって、わかってる。だけど、」
 メンマは、サクラとの距離を一気に詰めて、寂しそうにサクラの瞳を見つめた。
「だけどさ、あれは、茶番なんかじゃないよ。紛れもない、オレの本心だ。オレが何を言ったか、サクラちゃん、忘れちゃった?」
 返す言葉を持たず、サクラは呆然と立ち尽くした。メンマは、その沈黙を勝手に解釈し、話を続ける。
「はは、やっぱオレ、情けないな……。サクラちゃんが呆れちゃうのも、無理はないよ。男のくせにみっともなく泣いて、サクラちゃんがはぐらかしたのに、縋るような真似なんかしてさ。その挙句に、なかったことにしようとするんだから。何が、君を守らせてくれ、だよな。オレなんかが、守れるわけ、ない、よな」
 自分に言い聞かせるように、メンマはぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。話が違う方向へ急速に流れていくのを知りながら、サクラはどうしても声を出せなかった。頭も心も整理ができないまま、メンマはどんどん哀しそうな、遣り切れない表情に変わっていく。そんな顔、見たくないのに。
 サクラは、ずっとメンマに守られていた。いざという時にサクラを支えてくれたのは、メンマが掛けてくれる言葉や微笑みだった。優しさに頼ってばかりの自分を、メンマは好きだと言ってくれた。今朝もらったばかりの、ずっとその口から聞きたかった言葉は、ひとつ残らず本物だった。
「でも、見てて」
 ぎゅっと拳を握り締めると、俯きがちだったメンマの顔が、ぐんと持ち上がる。
「オレ、絶対、強くなるから。胸を張って、君の隣に立ちたいんだ。早く上忍になって、火影の補佐官に必ずなってみせる。その時、もう一度、君に改めて告白させてもらいたい」
 太陽みたいにまぶしくて、目を眇めたくなるほどのまっすぐな瞳。ひだまりのように心をあたためてくれる微笑み。自分を抱きしめる力強さと、心地の良い体温。手を伸ばせばすぐに届くのに、このままではメンマが遠ざかってしまう。
「……やだ」
 震える声が、しんと静まり返る空気を伝った。メンマの耳にもそれは届き、拒絶をされてしまったとひどく落ち込む表情と共に、心が潰れる音さえ聞こえる。
「そんなの、やだ」
 ぎゅっと喉がしめつけられ、サクラの目元がじわりと濡れる。サクラは、頬を伝う生ぬるい感触を、十数年ぶりに味わった。
「見てるだけなんて、やだぁ!」
 腰が抜けたようにぺたんと床にしゃがみかけるサクラだが、メンマがその身体を支えた。中腰の状態で、二人は向き合う。いざ流れだすと止まらない仕組みになっているのか、サクラは子供のようにしゃくりあげた。メンマを困らせるだけだとわかっているのに、やだ、やだ、と繰り返し、首を振る。完全に、子供返りの状態だ。
「サクラちゃん、何がいやなの?オレに告白されるのが、いや?」
「ちがう」
「好きだって思われるのが、いや?」
「ちがう、ちがうの」
 ぽん、ぽん、と子どもをあやすように、メンマがサクラの背中を叩く。
「ひとつずつ、言ってみて?」
「メンマが、見ててって言ったのが、いやだ」
「そっか」
「オレなんかが、守れるはずがないって、言ったのも、やだ」
「うん、わかった、もう言わない」
「私が、呆れたって、思われるのも、やだ」
「サクラちゃんは、オレに呆れてないんだね?それも、わかった」
 サクラは、ひくつく喉をおさえて、息を整えようとする。とにかく、冷静にならなければ。ちぐはぐな心と身体を、どうにかして繋げたい。
「これって、現実なの?それとも夢?もう、わけわかんなくて……」
「……オレが、原因だよな」
 メンマは、そっとサクラの顔を持ち上げて、濡れた頬を手のひらで拭った。
「どうすれば、夢じゃないって、信じてもらえるかな。オレ、この家から出た方がいい?」
「やだ、いかないで」
 こんな状態で放っておかれるのは、あまりに心細い。メンマの忍服の裾を握って、サクラは弱々しい力で引き止める。
「そっか、うん。ここにいるよ。約束する」
 そう言ってくれるのが嬉しくて、サクラの身体は自然と動いた。膝立ちになると、メンマの首元に腕を巻きつけ、肩口に顔を乗せる。メンマは、おそるおそるといった様子で、サクラの身体を抱いた。
「……これも、夢になっちゃうのかな」
 すん、と鼻をすすりあげて、サクラはひとりごちる。メンマには、これで三回抱きしめられたことになるが、昨夜以外は不鮮明で、白昼夢のような感覚からどうしても脱け出せない。ぐらぐらと揺れるサクラの心情を慮ってなのか、メンマはサクラを抱く力を強くする。
「メンマに抱きしめられると、安心する」
「オレは、すごくドキドキする」
 そっと顔を探ると、メンマの頬は赤くなっていた。そういえば、体温もやや高い。
「ドキドキ、するんだ」
「そりゃ、するよ。だって、サクラちゃんだよ?意識しない方が無理だって」
「心臓の音、少し速いね」
「そうやって、すぐ茶化す……」
 むくれた声で、メンマは抗議をする。それが、いかにも純情な少年っぽくて、メンマが可愛くなった。すりっと身体を摺り寄せると、メンマはぴくりと肩を揺らした。
「あのね、サクラちゃん、あんまり動かれると、その、」
「ん?」
 サクラは、あまりに無防備すぎた。ほのかに笑ってメンマの顔を覗き込むと、思いがけず熱っぽい瞳とぶつかる。心身がようやく正常運転を開始したらしく、サクラの心臓も鼓動が速くなる。ほんのわずか、メンマが顔を近づけると、サクラもまた、それを受け止める動きをする。二人は、洗面所の前で、はじめての口付けを交わした。サクラは、こんなにも熱く柔らかな感触を知らない。夢ではないのだと、ようやく頭が認識し、サッと霧が晴れる。メンマが二度目を求め、サクラは三度目の口付けを重ねる。火がついたように身体は熱を持ちはじめ、二人は服越しに互いの身体をまさぐり、夢の名残を消そうと躍起になった。
 唇を離し、息を吐くと、気恥ずかしさが二人を襲う。
「……夢じゃないって、わかった?」
「……ん」
 言葉少なに頷くサクラだが、この先どうしたらいいかわからない。好きな人が、好きだと言ってくれた。それが夢じゃなくて、本当だったのだと、口付けが教えてくれた。嬉しくて仕方がないはずなのに、なぜか心はざわついていて、何かに縋っていないと足元がおぼつかない。
 メンマは、ぎこちない動きでサクラの身体を支えて、立ち上がった。サクラは思わずよろけて、メンマの身体にとんと着地する。そして、その胸元にしがみつき、まだ離れたくないのだと無言の主張をした。
「もう誤魔化したりしないから、ちゃんと聞いてね」
 メンマは、サクラの両肩に手を置いて、すっと息を吸い込んだ。
「オレは、サクラちゃんが、好きだ」
 昔からよく知る男の子ではない、男の人の顔をしたメンマに、サクラは見惚れる。こんな風に自分を見てくれるなんて思いもしなかったから、今朝は驚いてしまったのだ。夢から完全に覚めた今、目を逸らせないし、ずっと見ていたいとさえ思う。
「夢じゃないかって不安に思ったら、いつだって言うから。この気持ちは、嘘じゃないんだ。信じてくれる?」
「……うん、信じる」
「そっか……」
 メンマの安心しきった笑みに、愛しさが体中を駆け巡った。心臓が脈を打つたびに、想いが膨れ上がる。大好きなのだと伝えるなら、今しかない。サクラは臆病者な自分を鼓舞し、喉元まで出かかっている言葉を、精一杯の力で形作る。
「私も、好き、です」
 綺麗な笑みを浮かべてさらりと言えたら、どれだけよかったか。声の出し方はぎこちないし、ぶつ切りに想いを伝えるなんて、できそこないの告白だ。すぐに視線を逸らしてしまったが、どうか届いてますように、と祈るようにそーっとメンマを見る。メンマは、首筋から耳たぶ、そして額に至るまで、びっくりするぐらい赤くなっていた。目を瞠るサクラに、メンマは慌てて顔を隠そうとする。
「どうして隠すのよ」
「どうしてって!あ、当たり前だろ?」
「メンマが赤くなるなんて貴重だから、もっと見たい」
「ああ、もう!これだからサクラちゃんは!」
 メンマは、自分の顔を見られないように、サクラの顔を肩口に押さえつけた。
「寝る前に、おまじないしてくれたよね?あの時も、真っ赤だった」
「あれは……忘れてほしいかも……」
「絶対、忘れない」
 あれのおかげで、自分は立ち直れたのだ。絶対、忘れてなんかやらない。サクラはツンとした声を出す。
「そっちだって、目元、まだ赤いくせに」
「しょうがないじゃない。最後に泣いたのがいつだったか、覚い出せないくらいなんだから」
「サクラちゃんは、やっぱり泣き虫だったね」
「……今朝の話、してもいいかな」
「すみません、勘弁してください」
 それを合図に、二人はくすりと笑い合い、胸にずっと秘めていた想いを刻むように互いの身体を抱きしめた。
 格好悪いのはお互い様で、情けない部分を最初に見せ合ったのは結果として良かったかもしれない。それをメンマに伝えると、「確かにそうかもね」と眉尻を下げて笑った。その笑い方が好きだなあと思ったので、サクラはその頬に唇を寄せる。するとメンマはまた真っ赤になり、それを指摘すると、お返しだとばかりにサクラの唇を塞いだ。





2017/08/10