王子は、二度やってくる



王子は、二度やってくる




(注)「ROAD TO NINJA」の特典CDで判明した四代目似メンマ設定で書いた話です。




 里を出立したのは、0時ちょうど。今回はサクラを含めたスリーマンセルで、暗部の手練に置いていかれないように気を張って里境いの森を抜け、任務は無事に完遂。朝の6時に解散と相成った。そして今、サクラは風呂場で頭からシャワーを浴びている。暗部の証である黒いアンダーとプロテクターは、「また使う機会があるかもしれないから、持っておけ」と姉弟子に言いつけられていた。正直に言えば、すぐに処分をしたかった。
 つい数時間前、サクラが仮に属した班は、とある家族を皆殺しにした。スピード勝負の任務で、深手を追った場合に治療スキルを持つサクラがいれば、里への帰還が速やかに叶う。そう師匠は考えて、サクラに任務依頼をしたのだ。直接手を下せとは通達されていない。だが、後衛に徹する暇はなく、サクラ自身も動かなければ命が危なかった。結果として、泥臭い接近戦にもつれ込み、返り血をその身に浴びた。
 死にたくない、死にたくない、死にたくない。
 クナイを首に突き刺した瞬間、支給された良質の金属を伝って、死にゆく者の声がしっかりと聞こえた。掴まれた二の腕には爪が食い込み、今も感触が生々しく残っている。班長が、「よくやった」と労いの声をかけてくれるまで、死者に跨ったまま、サクラは呆然としていた。班員に大きな怪我はなく、自分がこの任務についた理由を見失いかけたが、里の闇を直に見るのだという決意を思い出し、自身の軟弱さに唇をかみ締めた。
 かれこれ15分ほど湯に打たれているのだが、身体から寒気は消えない。湯を張る気力がなく、シャワーで済ませてしまおうと思ったのが、そもそもの間違いだったらしい。
「……何、やってんだろ」
 これは自分の声だろうか、と疑いたくなるほど、別人のようにしゃがれていた。
 サクラは、シャワーを止めると、タオルで身体を乱雑に拭き、まっさらな部屋着に袖を通す。かすかに香る洗剤の匂いは服が清潔な証拠で、皺ひとつ入っていないのに、なぜか不快で脱ぎたくなる。今の自分には、あの黒いアンダーが似合っているような気がした。今日は、このまま部屋に閉じこもり、泥のように眠ろう。頭に乗せたタオルで髪を適当に乾かし、階段の踏み面に足を乗せたその時、呼び鈴が鳴った。そのまま放っておこうと、のろのろと階段をのぼるのだが、呼び鈴はサクラを放ってはおかず、もう一度鳴る。出たくない。けれど、出なくてはならない。里が必要とする英雄の娘は、理想像から一歩でもはみ出してはいけなかった。そうでなくては、この里にいる理由がなくなってしまう。サクラは、頭に被ったタオルの端をぎゅっと握った後、それを払いのけると、階段をおりる。「体調が悪いから」と人払いをすれば、心配をかけるだけなので、一人になれる理由を考えなければならなかった。師匠を口実にしてしまうのは失礼だが、姉弟子もついていることだし、うまく取り成してくれるのは間違いない。どうしようか迷いながら、サクラは気だるい動作で玄関の扉を開けた。
「……メンマ」
 その顔を見るなり、思わず名前が口をついて出たが、自分が今どれほどだらしない格好をしているかに気づくと、咄嗟に扉を閉じようとする。しかしメンマは、扉の脇を手と足でおさえて身体をねじ込み、らしくない強引さでサクラの動きを封じた。
「ごめん、上がるよ」
 メンマの声はやや低く、強張っている。怒らせるようなことをしただろうか。昨夜、抱きついてしまったのが、やはり不愉快だったのかもしれない。顔を青くするサクラを見て、メンマは「ドライヤーってどこにあるの?」と尋ねた。
「えっと……」
「このままじゃ、風邪引いちゃうってばよ。お風呂、こっちかな」
 メンマはどんどん家の奥に進み、サクラの手を引く。そういえば、髪は半乾きだ。任務の時だって、こんな隙は見せたことがない。恥ずかしくて居たたまれないのだが、メンマは手を離してくれなかった。やがて洗面台の前に立ち止まり、くるりと振り返る。
「引き出しの中、かな?」
「ドライヤーだよね。ちょっと待って……」
 メンマと目を合わせられず、顔を俯けて引き出しを開けると、ドライヤーを手渡した。メンマはコードを伸ばしてプラグをコンセントに差し込むと、サクラと向き合い、無言でその髪を乾かしはじめる。熱風と共に、メンマの指が髪を触る。サクラは、精神の不安定さも手伝って、現状を上手く受け止められなかった。
 心身ともに参っていて、ベッドで眠ろうとしたら、メンマが家にやってきた。その流れは不自然で、破綻がある。なぜ、こんな朝早くにメンマが家を訪れたのか。風邪を引くからといって、髪を乾かしてくれているこの状況も、まるで現実味が欠けている。これは、夢じゃないのか。もう自分はとっくに床についていて、昨夜の惨劇を少しでも遠ざけようと、理想の朝を夢見ているのだ。そんな甘ったれた根性に気落ちはするが、夢ならば、どうか醒めないで、と思う自分もいた。
「これでいい、かな」
 メンマは電源を切ると、ちょうど脇にある洗濯機の上にドライヤーを置いた。そして、握り締めたままのタオルに手を伸ばし、サクラの指に手をかける。タオルの存在なんて、すっかり忘れていた。指の力を緩めると、タオルはメンマの手に渡る。ドライヤーの横にタオルが置かれるのを眺めながら、さっき触った指、あたたかかったな、とぼんやり思っていると、今度は手を握られた。サクラの頬に、サッと赤みが差す。
「こんな朝早くに、ごめんね。それに、女の子の家に勝手に上がり込むなんて、すごく失礼な真似だって、わかってる」
「……それは……別に……」
「それでもオレは、サクラちゃんを放っておけないよ。サクラちゃんはさっき、玄関の扉を閉めようとしたよね?オレ、少しだけ傷ついた」
「え!そんなッ!」
 このままでは、誤解をされて、メンマに嫌われてしまう。たとえ夢であっても、この人にはそっぽを向かれたくない。サクラは、縋りつく声色に自分のいやらしさを認める。現実では、絶対にこんな声は出すまいと、心ひそかに誓った。
「どうして、そこまで一人になりたがるんだよ。こうなったら言っちゃうけど、サクラちゃん、ひどい顔してるよ?夢見が悪かったのかなって思ったけど、そういうんじゃないよね?サクラちゃんは実力があるから、オレたちとは違う任務を時々まかされてる。それが原因?言いたくないなら、それでいいんだ。だけどさ、」
「ひとつの家族を、壊しちゃった……」
 口にしてしまうと、昨夜の所業が、じわじわと胸に迫る。サクラにとって家族とは、永遠のやすらぎだ。幸福の象徴で、文字通りの神聖な領域だった。もちろん、人を殺めることは、家族の崩壊に直結する。一家の大黒柱を、誰かの生きがいを、今までも壊し続けてきた。しかし、穏やかな灯がともる家屋に侵入し、皆殺しをするというあまりに真正面すぎる任務は、もはや大罪としか思えなかった。
「父さんと母さんは、死ぬ前に、私に笑ってみせた。家族の記憶なんて、ほとんどないけど、私は笑っている顔しか見たことがない。でも、あの子たちが最後に見た景色は……」
 侵入時に、まずは老婆と母親を手際よく殺した。力を秘めた老翁は、血継限界を持つ班員が相手をし、一族の長を班長が、そしてサクラはまだ血の力に目覚めたばかりでコントロールができない跡継ぎと戦った。年端のいかない二人の子供は、気づくと息絶えていた。組んだ二人のどちらが手をかけたのかは、わからない。あの凄まじい戦闘の中、いつの間にと忍の自分は舌を巻き、家族への憧憬を捨てられない自分は、小さな躯を目にした、あの時。
「もういい……ごめんね、オレが悪かった」
 昨夜の光景に身を置きかけたサクラを我に返したのは、優しい体温だった。メンマに、抱きしめられている。本音を吐露すれば、玄関でメンマを目にした時から、こうして欲しかった。夢って、なんて都合がいいのだろう。サクラもまた、メンマに身体を摺り寄せ、胸元に手を置く。昨夜の感触を頭が覚えているからだろう、メンマの身体は本物と変わりがないように思えた。
「どうして謝るの?」
 メンマの肩口に頬を乗せて、サクラは尋ねる。
「メンマが謝る理由なんて、何もないよ?早く一人前にならないといけないのに、こんなことで揺らいじゃダメだよね。忍者失格だな、私」
「こんなこと、だなんて言うなよ……」
「……メンマ?」
 ずっと鼻をすする音がして、サクラはゆるゆると身体を離す。そっと顔をのぞきこむと、メンマは泣いていた。はらはらと涙をこぼして、その頬を濡らしている。サクラは慌てふためき、洗面台のラックに置いてあるタオルを取ろうとするが、メンマはサクラの手を強く握り、その動きを押しとどめた。どうしようもなくなり、サクラは空いた方の手を持ち上げて、指でメンマの目元を拭う。
「私、メンマが泣くようなこと言ったかな……」
「だって!君が泣かないから!」
「……え?」
 メンマは、袖で自分の頬をぐいっと拭う。
「サクラちゃんにとって、家族ってすごく大事なものだろ?それを壊しちゃった自分を、許せないんだろ?オレたち、まだ16だぞ?そんなに早く大人になんて、なれっこないんだ。なのに、どうして、そんな辛い任務を……」
 メンマは、喉をひくつかせ、憤っていた。両親の健やかな愛に育まれ、まっすぐに生きている少年が、思いもよらぬ形で里の闇に触れてしまった。その原因を作ったのは、サクラだ。これが夢であっても、なくても、どうでもよかった。メンマが傷つくのは、耐えられない。
「泣かないで……ね?」
「君が……一緒に泣いてくれるなら……」
「私は泣かないよ」
 メンマの頭をゆっくりと撫でながら、サクラは言う。
「一生分の涙は、もう流し尽くしたもの。だから、泣けないんだ、私」
「それで、笑うことばかり上手くなっていくの?」
「うん、そうね。そうかも」
「オレは、そんなのイヤだ」
 目元を赤くしながらも、メンマはいきなり真顔になった。人の心とまっすぐに向き合う時の顔。サクラが大好きな、メンマの顔。
「どうしたら、サクラちゃんは泣いてくれる?」
「メンマが……」
 開いた口は、すらすらと正直な思いを言葉にする。
「メンマが、私のこと嫌いって言ったら、泣くと思う。大嫌い、口もききたくない、君には失望した。そう言って、ここから出て行ってくれれば、私はきっと、声を上げて泣くわ」
 メンマに泣き顔は見せられない。もし一度でも泣いてしまったら、我慢が利かなくなるとわかっていた。こんな問答を知るはずもないメンマの前で涙を流し、困らせるのは不本意だ。大好きな人には、いつだって笑った顔を見せていたい。
「だい……きらい」
 メンマは、わずかに唇を震わせる。変なとこでリアルだな、とサクラは思わず微笑んだ。
「うん」
「くちも、ききたく、ない」
「そう」
「君には……」
 サクラは視線で、続きを求める。だが、サクラが欲した声は、ついぞ聞こえなかった。メンマは、ぐしゃりと顔を歪めて、サクラをきつく抱きしめる。
「君が、好きだ」
「メンマ、違うよ。そうじゃない」
「オレは、サクラちゃんが好きだ」
 夢とは、場面と場面の間が飛んだり、唐突に展開するものだ。それにしたって、ひどすぎる。「好きだ」なんて言われたら、普段なら舞い上がって喜ぶところだが、そうはいかない。サクラは、自分の夢見がちな脳内構造に、そっと息を吐く。
「私も、好きよ」
 本当の心をわずかに滲ませて、サクラは軽やかに言った。
「……はぐらかすなよ」
 身体が解放され、両肩に手が乗せられる。熱情を感じさせる蒼い瞳が、サクラをじっと見つめた。ドキリと心臓が跳ねる。
「いつも笑ってるくせに、サクラちゃんは泣き虫だよね。顔は笑ってるけど、泣いてるってわかるんだ。そんな時、オレはどうしようもなく胸が苦しくなる。サクラちゃんが安心して寄りかかれるくらい、強い男になりたい。そう思ったからこそオレは、師匠に何度も何度も門前払いを食らったけど、弟子入りを志願し続けた」
「……メンマ?」
 現実世界では聞いたこともない情報が挟み込まれて、サクラは戸惑う。門前払いを食らったって、どういうことだろう。父親であるミナトも師事をしていたのだから、メンマの弟子入りは自然な成り行きだと、里の皆が思っていた。
「お前は、まだ幼い。カカシの下で、腕を磨け。師匠はそればっかりで、オレのことなんて見向きもしなかった。そうしている間も、サクラちゃんは五代目とたくさん修業して、どんどんオレから遠ざかってく。オレがどれだけ焦ったか、サクラちゃんは知らないだろ」
 メンマは、いつもの物腰柔らかい男の子ではなかった。修業に打ち込む真剣な瞳とは、明らかに質が違う。任務に挑む前の、キリッとした面差しとも違った。男の人、という表現が頭を過ぎる。
 メンマのこんな顔、私、知らない。
 サクラは視線を逸らせようとするが、頬に手を添えられ、自分と向き合うよう、メンマに促される。
「好きな女の子を守れるようになりたい。強くなるには不純すぎる動機だってわかってる。だけど、オレだって、男だ。いつまでもサクラちゃんの力に頼ってばかりなのは、絶対にイヤだ。火影になったサクラちゃんの隣に立つのは、オレでいたい。君を、守らせてくれ」
 なんてひどい夢だ。自分の思い描く未来が、何ひとつ欠けることなく具現化されている。
 弱い自分を、認めてほしい。ひとりぼっちの夜から、救ってほしい。火影になった自分を、支えてほしい。
「……もういいよ、こんな茶番……」
「茶番って、何だよ」
 メンマのムッとした表情なんて、はじめて見る。こんな顔もいつか見てみたいな、と夢に夢を重ねる自分はとんだ大馬鹿者だ。こみ上げる苛立ちを乗せて、サクラは吐き出す。
「夢だってわかってるのよ!だけどこんなの、惨めすぎる!目が覚めた後に虚しくなるだけじゃない!」
「……サクラちゃん?」
 サクラは、メンマの手を引き剥がし、その身体をぐいっと突き離した。
「メンマがこんなこと言うはずがない!早く消えて!私の前からいなくなって!」
「……夢、か」
 メンマはそう呟くと、サクラの手を引っ張って、有無を言わさず廊下に出る。その足は止まらず、二階に続く階段をのぼりはじめた。
「サクラちゃん、寝てないでしょ?早く、布団の中に入ろう」
「布団って……え?」
 今、寝てるのに、なんでまた。部屋の前に着くと、見慣れた扉の前で、サクラは困り果てる。
「オレは、下で留守番してていい?鍵、開けっ放しだから」
「いいけど、でも、修業……」
「これも修業の内だよ。好きな女の子が無防備で寝てる家の中で、精神集中。忍者は、耐え忍ばないとね」
 メンマは照れたように笑うと、一瞬だけ真顔に戻り、サクラの額に口付けた。
「えっと、その、よく寝られるように、おまじない」
 みるみるうちにメンマの顔が真っ赤になり、視線をあちこちに泳がせる。
 これは、昨夜頑張ったご褒美でしょうか。神様、ありがとうございます。
 サクラがボーッとしていると、「じゃあ、おやすみ」と言い残して、メンマは階段をおりていった。サクラは扉のノブに手をかけ、部屋に入ると、ベッドの中に潜りこんだ。夢なんだから、寝られるはずないじゃない。そう思うサクラだが、自然とまぶたは下りはじめ、あっけなくストンと眠りに落ちた。




2017/08/07