オフ




オフ




「はー、サッパリしたー」
 濡れた頭をタオルでがしがしと乾かしながら、ナルトはぺたぺたと足音を立ててリビングに戻ってきた。待機日なしで、三連続の里外任務。玄関扉を開ける姿には、さすがに疲れが見て取れた。それでも、サクラに荷解きを任せてゆっくり湯船に浸かると、活力が戻ったようだ。ナルトの声には張りがあり、広げたページをそのままに背後を見れば、表情もすっきりしている。
「今日は久しぶりに、夜更かしでもしちゃおっかなー」
「ソファで寝落ちして、身体痛めても知らないわよ」
「そこは、木ノ葉が誇る医療忍者さまの特別マッサージとか……」
「明日は、完全オフ」
「ですよねー。一緒にお休みですもんねー。何しようかしら!」
 ナルトは、首にタオルを引っ掛けた格好でくるんとその場を回り、片足を後ろに跳ね上げる。はっきり言って、バカみたいだ。将来火影になりたいのなら、まずそのふざけた態度から改めよ。そう苦言を呈したいところを、サクラはグッとこらえる。やけにテンションが高いのも、無理はない。二人の休暇が重なるのは、仕事の調整をしない限り、偶然に頼るしかない。そのため、ごくたまにスケジュールが朝から晩まで同時に空くと、心は浮き立ち、踊り出したくなるのだ。まあ実際、踊ることなどないのだが。
「明日、どうしよっか!」
「ん?まずは庭の手入れをして、縁側を拭き掃除して、それから、」
「なんか、忙しいな」
「そりゃそうよ。庭付きって最初は嬉しかったけど、案外手間が掛かるものなのよねぇ」
 サクラは、顔を前に戻すと、少々悩ましげに息を吐く。
 花壇を作ったり、縁側でスイカを食べたり、花火に興じたり、お互いの髪を切ったり。庭と縁側にまつわる楽しいイベントは盛りだくさんなのだが、その分、手入れをしなければ荒れ放題になってしまうのが厄介なところだ。その手間を含めて楽しもうと二人で決めたというのに、今のところ仕事が忙しくて、庭掃除まで手が回らない。ナルトがまめに世話をしている花壇をのぞくと、寂れた風情が漂いはじめているので、明日こそは庭仕事に取り掛からなければ。サクラはもう、段取りをつけている。
「……あれ?待てよ?」
 ナルトは顎に手を添えると、壁にかけてあるカレンダーの前に歩み寄った。二人の休みが重なる日には、印をつける習慣がある。もっぱらそれはナルトの仕事で、サクラが趣味で集めている文具を好き勝手に使い、最近はイラストを描くのに凝っていた。ちなみに明日のマスには、切ったスイカを手に持って種を飛ばすナルトがいる。久しぶりだからと、気合を入れて描いたのだ。
 カレンダーに手をかけて、パラパラと捲る。イラストは月にひとつもない時もあれば、立て続けに現れることもあり、不定期なことこの上ない。
「前の休みって、何してたっけ」
「んー、書棚の整理に苦戦した」
 サクラは、すでに本の続きを読みはじめていて、文字を目でなぞりながら返答した。
「その前の休みは?」
「えーと……そうそう、本棚が壊れたからって、あんたが作り直してくれたんだったわ。出した本の整理を次の休みに回しちゃったもんだから、苦労したのよ。思い出した!」
「そのまた前の休みってさ、たぶんオレ、寝倒したよね?」
「うん。夕方あたりかな?書斎で仕事してたら、『なんで起こさないの!』ってあんたがキレた」
「……サクラちゃん」
「ん?」
「オレたち、最後に一緒に出かけたの、いつだっけ……」
 本のページを捲る音が途中で止まり、リビングはしんと静まり返った。サクラの記憶力をもってしても、思い出せないらしい。ナルトはソファに駆け寄ると、サクラの前に立ち、力強くこう言った。
「デートだッ!」
 胸のあたりに上げた両手を握り締め、ナルトは真剣な顔で言う。
「明日やるべきなのは、庭の手入れでも掃除でもなくて、デートだってばよ!」
「でも、庭が、」
「服、買ってやる」
 ニヤリと不敵な笑みを浮かべての一声に、サクラはピタリと口を閉じる。
「知ってるぞぉ〜ワンピース欲しいんだろぉ〜?」
 いったいどこから、その情報を。
 一目惚れしてしまったワンピースをショーウインドウ越しに眺めたのは、一週間前のことだった。ナルトはもちろん里外任務中で、周囲に友人知人の気配はなかったはず。出せないこともないけれど、着る機会の少なさを考えると、ちょっと高すぎる。悩みに悩んで、ふらりと店の中に入りかけたが、試着をしたら負けだと潔くその場を去った。下忍時代とは比べ物にならないほど稼ぎがよくなったというのに、サクラの生活感覚は庶民的なままで、買ったばかりの生活用品が一両でも安く売っていると、自分でも驚くほどガッカリする。
「かーわいいよねぇ、ワンピースって」
 言いながらナルトは、またしてもくるりと軽快に回り、手のひらで揺れるスカートを表現する。「ひらひら〜」などと口に出すものだから、もう、バカ丸出しだ。任務明けの解放感に、明日が休みだということを加味しても、これは酷すぎる。
「……値段、知らないくせに」
「お洋服に七千両って、高いよね〜。わかるわかる〜」
 貴様は、女子か。
 そう突っ込みを入れたいのだが、ナルトの情報網がいよいよ恐ろしくなり、サクラは口を噤む。余計なエピソードもくっついてきそうなので、話の矛先をそろそろ変えたい。
「というわけで、明日はお買い物に行きましょう」
「……庭は?」
「オレが早起きして、やっつけます」
「影分身、使わない?」
「使わない、使わない!任務でもないのに忍術使うの、ダメでしょ!」
 うーん、と悩んだ結果、天秤はたやすくワンピースへと傾く。形勢不利なのはわかっていたが、こうも現金だとサクラもバツが悪い。
「じゃあ、私も、早起きする」
「無理すんなって」
「だって、あんたの方が、疲れてる」
「スタミナ勝負で、オレに勝てる奴はいないよ」
 ナルトはサクラの手から本を奪うと、それを床に置く。何をするのだろう?と様子を探っていると、サクラの身体がスッと浮いた。抱き上げられたのだと気づいた時には、ナルトはソファに座っていて、その膝に跨る格好でサクラの身体が乗せられた。
「えっと……これ、何?」
「ん?明日の予習」
 真向かいのナルトは、悪びれもなく言うと、逃げられないようにサクラの腰を掴む。
「……はあ?って、ちょっ、何すんの!」
 左手で腰を抱えて、右手はサクラの服の中。背中やわき腹を撫で、その手は正面に回る。
「体型、変わってないかなって」
「え、冗談でしょ……?」
 まだ悪ふざけだと思っているサクラだが、ナルトは笑みさえ浮かべて、動きを止めない。サクラの服の裾に手を掛けると、捲り上げた。慌てて手を押さえつけても、単純な力勝負ではかなわない。任務ではどんな男にも負けやしないのに、男と女の差をこんな形で見せ付けられると、理不尽だと憤慨したくもなる。
「バカ、やめなさい!」
 心の中でバカだバカだと散々罵ってはいたが、今度は本気で口に出してみる。
「やめたい?」
「当たり前でしょ!?」
「オレは、やめたくないんだよね」
 つうっと背筋をなぞられると、身体が反応する。触れるどころか、しばらく顔も見ていなかったわけだから、仕方がないじゃない!誰に向けるでもなく言い訳をして、サクラはナルトの胸元に手を置く。あれだけ子供じみた真似をしておきながら、しれっと男の顔になるのだから、心の処理が間に合わない。ふいっと視線を逸らして、サクラは言う。
「……じゃあ、ベッド」
「うん」
 返事のわりに、サクラを解放する気はないようで、ナルトは気ままにサクラの肌に触れる。そうっと撫でる手つきが甘やかで、じれったくて。思わず身をよじらせると、ソファがぎしりと鳴った。その音はやたらと室内に響き、生活空間であるリビングでこんな真似をしている現状に、サクラは羞恥を覚える。
「ねえ、ベッド、行こ……?」
 ナルトの肩に手を添えて、サクラは小声で懇願する。甘えた口調にならないように意識をしたのだが、スカートの中に手が入ってしまえば、そんなのは無駄な抵抗だった。ナルトの手が弱い部分を探り当て、サクラは声が出ないように口を引き結ぶ。寝室に早く行きたいのだという意思表示は、それぐらいしか思いつかない。
「ソファの上でさ、よく本、読んでるだろ?」
 唐突な言葉と共に、ナルトの手がサクラの腰元に落ち着く。サクラは、身体の強張りを少しだけ緩めた。
「そういう時、たまにだけど、オレの方を向かないかなって、じっと見てたりするんだ。気づいてた?」
「えっと、全然……」
 正直に答えると、ナルトの顔から意地の悪い笑みは消えて、サクラの髪を梳く。家で本を読んでいる時は、忍の感覚を消しているので、視線や気配に頓着することはない。何よりも、ナルトがそこにいるのだから、という安心感があった。
「だからさ、今、ちょっと嬉しい。いや、ちょっとじゃないな。かなり……浮かれてるかも」
「……え?」
「ソファの上で、サクラちゃんが、オレだけを見てる」
 そんなに自分は、ナルトのことを疎かにしていただろうか。本を読むのは趣味というか、もはや欠かせない生活の一部分になっている。ナルトの膝の上に頭を乗せて本を読むと、身体から疲れが取れるのがわかるので、何度か膝を貸してもらっていた。あれは、自分ひとりが充足感を得ていただけで、もしかしたらナルトに寂しい思いをさせていたのかもしれない。
 一緒に暮らして、お互いに寄りかかることを覚えて、心を預けあって。二人で作り上げた生活が壊れないよう、注意を払っていたつもりだが、この家の居心地のよさは格別で、ついつい胡坐をかいてしまったようだ。
「寂しかった?」
「ん?構って欲しい時は、ちゃんと言うよ?」
「膝、貸してもらったの、悪かったかな……」
「そんなこと言うなって。あれはあれで、楽しいんだからさ」
「ほんとに?」
「嘘言ってどうすんの。オレ、好きだよ、膝枕するの。もちろん、されるのも好きだけどさ」
 へにゃりと眉を下げるナルトが、なんだかいじらしくなって、愛しさが溢れ返る。サクラはナルトの首に腕を回すと、口付けをした。
「……いつだって、私が見てるのは、あんただけよ」
「そんな風に言われちゃうと、ますますやめられないな」
「もうちょっとだけ……続けても、いい」
 身体をすり寄せるサクラに、ナルトは目を見開いて、息を呑む。サクラが顔を近づけると、今度は舌が絡まった。
「だけど、寝るのは、ベッド」
「……了解」
 明日は、早起きをして、庭の掃き掃除をして、縁側も綺麗に拭いて。そういえば、外に出かけるのはいいとして、着る服はどうしよう。クローゼットの中にしまってある服を頭の中に浮かべてみるが、ナルトの手によってサクラの思考はあっさりと奪われ、ソファがまたぎしりと大きな音を立てた。






※木ノ葉の物価って、一両=十円だったよね。



2017/8/2