秘密



秘密




(注)いつも書いてるのとは違う同居設定です。




 リビングで読書をしていると、玄関からガチャガチャと物音がした。ナルトは、酒が入ると鍵を閉める習慣のなかった一人暮らし時代の癖がたびたび出る。今日は飲み会で遅くなると聞いていたし、ドアノブをひとしきりを回したのだとすぐに察しがついた。鍵を開けてやろうと玄関に出向けば、遅れて鍵を探し当てたらしく、玄関扉を開いたナルトと目がかち合った。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
 ナルトは、ぽいぽいとサンダルを脱ぐと、にやけ面でサクラに抱きついてくる。お酒くさい、と文句を言おうとすれば、先に「あれ?」とナルトが疑問声を出した。
「なんか、子供の匂いがする……」
「ああ、今日はアカデミーで健康診断があったの。まだお風呂入ってないから、匂いが残ってるのね」
「アカデミー、か」
 ナルトはやや感慨深くそう言うと、サクラの首筋に顔を埋めた。
「酔ってるついでに、思い出話でもしようかな」
「じゃあ、コーヒーでも……」
「その昔、オレは嫌われ者だったので、色んな罵声を浴びながら暮らしてました」
 サクラの言葉を遮り、ナルトは唐突に語りはじめる。七班時代の話をすることはあれど、そこまでナルトの記憶を遡る機会は、今までなかった。サクラは仕事ならいざ知らず、個人的でデリケートな話に踏み込むのがとても下手だったし、ナルトも好んで昔話をするタイプではない。
「でも、オレはオレの心に誰も立ち入れない頑丈な扉を作っていたので、そんなもんは全部弾き飛ばして生きていました。そしてその扉のお陰で、オレの本当の心、寂しいとか誰かに甘えたいだとかそういう気持ちが外に漏れることは絶対なかったんです。オレはあの頃、自分を最強の人間だと疑っていませんでした。でも、実際アカデミーに入ると、オレは成績の悪いただのクソガキで、授業受けても全然内容わかんなくて、実技も人並みにこなせない。そんなオレの唯一の楽しみは、アカデミーの花壇や校庭の隅に咲いてる花の面倒をみることでした。一日かけて全部の花を見て回るのをオレは自分の義務だと思っていたんです。そんなある日、本を抱えた女の子が、『何してるの?』って、声をかけてきました。何しろそんなことは初めてで、どう答えたらいいのかわかんなかったけど、『花の世話してんの』って、ぶっきらぼうに答えました。すると、その女の子は、『えらいね』って言ったんです」
 相槌どころか気の利いた言葉ひとつ挟めずに耳を澄ませているサクラの背中を、ナルトはとんと叩く。
「その声は、オレの頑丈な扉を空気のようにすぅーっと通り抜け、オレの心臓を痺れさせました。『えらいね』だなんて、生まれてはじめて言われたんです。その声のトーンとか、ほのかに笑った口元とか、キレーな髪の色とか、今でも目に焼きついてます」
 私、そんなの、覚えてない。
 サクラは自分の記憶力に絶対の自信を持っていたが、どれだけ記憶を浚ったところで自分が何を思ってその言葉を口にしたのか、そしてその時ナルトはどんな顔をしたのか、どうしても思い出せない。
「これはね、オレだけの宝物なの。だから、サクラちゃんは忘れてていいの。ていうか、忘れてなきゃダメなの。だって、とっておきの宝物なんだから!」
 ナルトは心底嬉しそうにそう言うが、サクラはどうしても思い出したかった。いじめられっ子だった幼少期の記憶は今では薄く、抱えていても辛いだけだと無意識に消してしまったと思われる。だから、自分のことはどうでもいい。ただ、『えらいね』と声をかけた時のナルトの顔だけは、絶対に取っておくべきだったのだ。
「サクラちゃんの言うことだけは聞くから、アカデミーの頃、サクラちゃんは時々オレの注意係にさせられてたよね。今思うと、だからこそオレはよくバカをやったんだと思う。みんなの注目を浴びたいって気持ちはもちろんあったけど、やっぱりサクラちゃんに見てもらいたかったんだ。そんで、『バカナルト!』って叱って欲しかったんだ。いくら嫌われても、いくら鬱陶しがられても、オレにはそれしかなかったからさ」
 優しくない自分が、サクラは大嫌いだった。いつも自分のことで手一杯で、他人の気持ちを慮る余裕がない。そんな自分が医療忍者を目指したのは、結果的に正解だったかもしれない。笑顔が何より人を安心させることを知り、人の命を救う経験を重ねることでようやく視野が広がった。それは、作られた優しさかもしれない。けれど、我が剥き出しの状態で他人と接するよりずっとずっとマシだ。
「だからね?オレが一番はじめに心を許したのは、サクラちゃんなんだよ?これ、オレがずーっと抱えてた秘密。えへへ、ついに言っちゃった!」
 捨ててしまった大嫌いな自分の中に、ナルトの心をそっと包む一言があった。サクラは、そこにこそ救われる。役立たずの自分が成し得た、唯一の偉業だ。分厚く重なる層を抜けて、心の最も深い部分に潜る。目を凝らすと見えてくるのは、しゃがみこんで泣いている小さな自分。その震える肩に、そっと手を乗せる。
 あなたは、役立たずなんかじゃなかった。
 いずれ愛することになる男の心を救い上げる術を持っていた。
 目まで隠れるほど前髪を伸ばした小さな自分が振り返り、まるで覚えたてのような笑い方で、へにゃりと顔を崩した。
「以上、オレの思い出話でしたー!あ、今じゃ扉なんて取っ払っちまってるから、安心してね!」
 ナルトは、サクラの両肩に手を置いて、ニカリと笑う。
「……私の中にも、あるよ、扉」
 これは、ほんの少しのお返し。サクラは訥々と語りだす。
「鍵は開けっ放しで、いつかその人が入ってくるって、信じてた。でも、いつまで経ってもノックの音は聞こえなくて、ドアノブに手がかかることすらなかった。もうこんな扉いらないって思って壊そうとしたら、あんたがいつの間にか入ってきてた。そしてね、まるで最初からそこにいたかのように振舞うの」
 目を丸くするナルトの頬に触れ、耳を通り過ぎ、首に両手を回す。
「だからね、私が本当に心を許した男の人は、あんただけなの。これが、今まで誰にも言ったことのない、私の秘密」
 サクラはそう言うと、くすりと笑う。
「な、何?」
「ん?口に出しちゃうと、案外陳腐だな、と思って」
「陳腐じゃないよ。オレにとっては」
「そう?」
「当たり前だろ」
 ナルトは真剣な声で訴えると、サクラの背中に手を回し、ぎゅっと身体を抱く。
「黙って出て行ったりしないでよ?」
「そんなこと、するかよ」
「お酒くさいから、信用できない」
 サクラはからかうように言って、ナルトの肩に頬を寄せる。
「酔いなんて、とっくに醒めてる」
「どうかしら」
「……なんだか、奇跡みたいな夜だ」
「それは、同感」
 身体を重ねて、心も重ねて、二人で生きていこうと誓い合った仲だが、こんなにも縮められる距離がまだ残っていた。恍惚感に似たものが心の中に広がりはじめる。それはきっとナルトも同じで、吐く息に熱を感じる。
「あー、このままずっとこうしてたい」
「ダメよ。お風呂入らないと」
「わかってるけど、もうちょっとだけ」
 気持ちが盛り上がると荒々しく触れ合うものだが、身じろぎをしない方が心地良い時もある。身を委ねてじっと互いの体温や息遣いを感じていると、心音が溶け合い、ひとつの個体になったかのような錯覚に陥る。そうなるとますます離れがたくなり、しんと静まりかえった玄関先で二人は満ち足りた時間を過ごした。




2017/4/18