脱走



脱走




 木ノ葉の里に、嵐が来る。そう予報が出されたのは一昨日のことで、木造家屋に住んでいる者たちは、窓の補強をしたり雨戸の補修をしたりと忙しなく動いていた。ナルトもまたその一人で、アカデミーの建物点検を任されることになり、5人ほど影分身を出して里内を駆けずり回っている。任務以外で影分身の術を使うのは本来ならご法度とされているのだが、今回ばかりは里のため。影分身は、それぞれ木材を調達したり、釘を打ったりと、ドタバタ働いていた。
「あっ!サクラちゃんだ!」
 アカデミーの中、書類を抱えた白衣姿のサクラを見かけると、ナルトは遠くから手をぶんぶんと振りながら駆け寄ってくる。ナルトがアカデミーの点検を任されていることを火影から聞いて知っているサクラは、無駄口叩いてる暇なんかないでしょ、とナルトを叱り飛ばそうとしたのだが、とある感覚を掴むと口を噤み、足を止めてナルトが側に来るのを待った。
「今日は忙しいみたいね」
「うん、そうなんだ。でも、サクラちゃんと会えたから、超ラッキー!」
「本体は何してるの?」
「うんとね、カカシ先生から貰った図面とにらめっこしてる」
「……見取り図ぐらい、読めて当たり前なんだけどね」
 はあ、とサクラは息を吐き、ナルトの忍としての資質を疑いたくなる。見取り図を頭の中に入れて動くのなんて、アカデミー出たての下忍だってこなせる。任務でトラップだらけの屋敷に忍び込む時なんか、あいつは一体どうしているのか。ナルトと一緒に組まなくなって久しい今、周囲に迷惑をかけてはいないかと心配になる。
「あ、木屑、ついてる」
 背伸びをして影分身の金髪に触れると、そっと木屑を手で払った。その仕草を、影分身はくすぐったそうに、でも嬉しそうに受け入れている。ちょっと照れたようなその笑い方が可愛くて、しばらく髪の毛を撫でまわした。影分身はされるがまま、えへへと嬉しそうに笑っている。
「オレね、今日は木材調達係なの」
「ああ、だからか」
 ひとつ残らず払った木屑は、影分身が身を粉にして働いている証拠だ。
「本体がバカな分、頑張って埋め合わせしてるのね。疲れたでしょ」
「ちびっとだけ。だってあいつ、人遣い荒いってばよ」
 サクラは、コキ使われてばかりいる影分身に対して、とても優しい。あんたが行けば済む話でしょうよ、と呆れるようなことで使いっ走りのような真似をさせられる場面を何度も間近で見ていて、自分だけはこの子たちを労わってやろうと決めているのだ。ナルトはとっくにそのことに気づいていて、「サクラちゃんはオレに冷たい」と時々文句を言われる。だが、そう言われるたびに、もっと影分身に優しくしてやろうと思ってしまうのはなぜだろうか。いい性格してるわ、というのは親友の言。
「あ、油売ってるの、バレちゃった」
 影分身は肩をすくめると、残念そうに言う。影分身にも人格はきちんとあって、同じ影分身が作られることはない。これで、この子ともお別れだ。いつもいつも、つかの間の出会いと別れを、影分身とサクラは繰り返している。
「えっと、消える前にいつもの、いい?」
「はい、どーぞ」
 そう言うと、サクラは無防備に手を広げる。影分身はきょろきょろと周囲を窺って、誰もいないことを確認すると、サクラの身体をぎゅうっと抱きしめた。記憶の共有が為されているからか、影分身たちは「いつものこと」として、サクラを抱きしめてから消えていく。それがサクラの目には、影分身のちょっとした反乱のように映った。
「じゃあね、サクラちゃん!」
 耳元で囁く声と共に、木ノ葉ベストのごつごつした感触がスッと消える。影分身の身に起こった出来事は、本体にも還元されると伝え聞く。今こうして身体を抱きしめた感触も、蓄積されるのだろうか。それを一度として確かめたことはない。ただ、一緒にお昼や甘味処に行った別れ際、何かすごく言いたそうな視線を浴びることは多々あった。あの様子からすると、たぶん、いや、確実に伝わっているのだろう。
「肝心なとこで、度胸がないのよねぇ」
 サクラは窓の外、嵐の前ぶれを感じさせる灰色の空を眺めながら、ぽつりとこぼした。



2016/7/17