髪留め



髪留め




 三月も中旬を過ぎると、一楽でナルトの姿を見かける回数がめっきりと減る。それというのも、任務金の受け取りが月初で、サクラの誕生日が月末だからだ。計画的に金を使い、余裕のある過ごし方をしようと毎年思うのだが、いつも失敗に終わる。
 サクラの誕生日を忘れているわけではない。断じてない。多忙なナルトは曜日感覚を失いやすく、暦が三月に入ったのだと気付くのがいつも遅いのだ。そのたびに「金貯めないと!」と焦りを募らせ、備蓄のラーメンがどんどん目減りしていく。
 その日の夜も、カップラーメンが出来上がるまでの間、今年は何をあげようかとうんうん唸っていた。サクラは物持ちが良く、一度贈り物をすると、それをとことん使い倒すタイプだ。本人がこだわっている筆記具は、なんだかんだで一式揃えてしまったし、良案はなかなか思い浮かばない。ちなみにホワイトデーのお返しは、サクラ自身が気に入っているシリーズの手帳だった。毎年代わり映えしないのだが、本人はそれを楽しみにしているらしく、きっと来年も同じシリーズの手帳を贈ることだろう。だが、誕生日となれば話は別で、気合を入れなおさなければならない。ナルトは、カップラーメンのフタをぺりっと剥がし、箸で縮れ麺を挟むと、ずるずると啜る。
「……そろそろ方向転換しとくかな」
 今年は、ちょっと背伸びをして、装飾品に手を出してみようかな、とナルトは考える。真っ先に思いついたのは、髪留めだった。病院勤務の時、サクラはいつも髪を括っている。いつもとは違う颯爽とした印象に、ナルトはよく見惚れていて、その髪に似合う髪留めを選ぶというのは、とても名案のように思えた。何より、サイズを確かめる必要がないのは助かる。
 スープの中に残っている短い麺を箸で探しながら、「今年は髪留めにしよう」と決意を固めるナルトだった。



 いのに教えてもらった店は、簪や櫛に手鏡といった女性用の日用品を扱う店だった。女だらけの中で浮いたらどうしようと思いながら店の戸を開けると、店主はなんと男性で、それだけでナルトはホッとしてしまった。そのまま店の中に入り、勝手がわからずうろついていると、店主が助け舟を出しにやってきた。
「ご入用ですか?」
「髪留め、買いたいんだけど……」
「それでは、こちらへどうぞ」
 先ほど通り過ぎたばかりの通路に案内されて、ナルトは棚の前でしゃがみこむ。店主は真剣に品物を選んでいるナルトの邪魔にならないようにと、レジの方へさりげなく去っていった。
 ナルトは、棚の上から下まで品物をじっくり眺めた後、値段を照らし合わせる。これがまた本当にピンキリで、どんな贅を尽くしているのか、任務金が吹っ飛ぶほどの高級品もあれば、子供のお小遣いの範囲で買える品物もある。高価な髪留めなんて、怖くて日常使いはできないだろうと思うのだが、世の女性たちはどう考えているのだろうか。意見を聞きたくなる。
「そちらは、名のある職人の手がけた珍しい色で染めているんです」
 髪留めの棚の前で固まっているナルトに、店主が告げる。
「あとは、滑って落ちてこないようにと細部に工夫を凝らしてますよ。和装にも似合いますし、これを使うと、もう他の髪留めに戻れないとおっしゃるお客様もいらっしゃいます」
「はー……そんなもんっすか」
 どうやら、使い勝手や細かな部位が違うらしい。財布の中に突っ込んだ軍資金と相談をして、ナルトの視線は真ん中の棚へと移る。
「どういった品物がお好みですか?」
 押し売りのような口調ではなく、さりとて高いものを吹っかけようとする様子はまったく見受けられない。ナルトは店主を信頼して、希望を伝えた。
「できれば、壊れにくい丈夫なやつがいいです。それでいて、洒落っ気のあるやつ。これくらいの値段だと嬉しいんだけど」
 ナルトは、真ん中の段の値札を指差した。無理を言っているのは、ナルトも承知だ。しかし店主は態度を崩すことなく、真ん中の棚から二個三個と髪留めを手に取り、ナルトに差し出した。
「最近入荷した髪留めなんですが、お値打ち品ですよ。味のある色に革が染まってますし、まとめ髪を押さえる留め具もしっかりしてます。お色は、赤、緑、黒の三種類です」
「赤、か。いいな」
 ためしに緑と黒を想像してみるが、サクラには赤が似合う。
「プレゼント用に包装ってできますか?」
「ええ、もちろん承っております」
「じゃあ、これひとつ、頼んます」
 選んだ髪留めを包装してもらっている間、せっかくだから、女性が使う日用品とはどんなものかをリサーチすることにした。手鏡ひとつとっても、やはりピンキリ。忍具の良し悪しならある程度わかるようになったが、日用雑貨や装飾品に関しての知識はゼロだ。これから勉強すれば、目利きもできるようになるのかな?と、中忍の給料ではちょっと手が届かない指輪を眺めながらナルトは思った。



 3月28日。晴れ、時々強風。
 ナルトは早起きをして、サクラが病院で始業準備をする隙を狙い、プレゼントを渡すことにした。なにせ初めての装飾品。受け入れてもらえるかどうか、不安が募る。
「気に入ってくれっかなー」
 病院の中、人気の無い研究区画を歩きながら、ひとりごちる。趣味が思い切り出るものだし、使ってもらえるかどうか、ドキドキしていた。
 やがて、サクラのネームタグがついた扉の前に辿り着き、コンコンとノックする。朝早くの来客に戸惑っているのか、「どうぞ」と返答がくるまで、やや時間が空いた。
「お邪魔しますってばよ」
「何よ、あんた、こんな時間に何の用?義手の調子でも悪いの?」
 サクラは、義手の調子を見ようと、執務机から立ち上がる。ナルトはといえば、すたすたと応接テーブルを通り過ぎ、サクラにリボンの巻いてある小箱を差し出した。
「誕生日、おめでとう」
「あー……あり、がとう」
 この分だと、今日が自分の誕生日だと気付かずに病院までやってきたらしい。サクラらしいと小さく笑う一方、自分の生活をもっと大事にして欲しいとナルトは思う。医療忍者は拘束時間が長く、待機所に姿を見せることなどほどんどない。それが寂しいわけではないが、たまには一緒に昼飯を食う約束ぐらいはしたいものだとナルトは考えていた。昼はとにかくサボりがちで、飲まず食わずのまま病院勤務なんて光景は珍しいものではなくなっている。
 そんな中、忙しい生活にちょっとした彩りを与えようと、装飾品を贈ることにしたのだ。とにかく反応が気になって仕方がない。ナルトは、せかす気持ちを抑えきれず、こう言った。
「ねえねえ、開けてみて!」
「えと、うん、じゃあ、失礼して」
 リボンを解き、包装紙を丁寧に剥がすと、上等な紙製の箱が露になる。それを開けると、店で選んだ髪留めがようやく姿を現した。それを見るなり、サクラの顔が、パッと華やいだ。
「へー、あんた趣味いいじゃない!すっごく可愛い!」
 サクラの第一声は、作戦の大成功を示していた。褒められたのが嬉しくて、くすぐったくて。悩んだ甲斐があったものだとナルトは大いに満足していた。
「ねえ、今、つけていい?」
 サクラが尋ねると、ナルトは髪留めをひょいと掴んで、サクラの背後に回る。
「じゃあ、つけたげる」
 纏め上げた形を崩さないように髪留めを交換するのはかなり骨の折れる作業だが、今のナルトにとっては決して苦にならない時間だった。むしろ、髪にこうやって触れられるのは役得だとすら思っている。こうして髪に触れるのを許されるのは、恋人同士になってからだった。ナルトは、自身に与えられた特権をここぞとばかりに確かめる。
 髪留めを交換し終えると、店主の言っていた通り、艶やかな髪から髪留めが落ちる気配はない。ナルトは、ぴょんと一歩飛びのいて、その佇まいを確かめる。華美すぎない赤が、サクラによく似合った。
「うっわ、チョー似合うってばよ!鏡とか、ないの?」
「そんなの置いてあるはずないでしょ」
「見ないなんて、もったいねーよ!可愛いなあ!すっげえいいよ!」
 自らのセンスを自画自賛する趣がやや感じられるものの、ナルトはひたすらはしゃいで髪留めとサクラの顔を交互に見やった。するとあまりに賛辞しすぎたのか、サクラはいたたまれない様子で顔をふいっと逸らす。
「そんなに……似合ってない……」
 その恥じらいの表情は、何よりの眼福だった。髪留めひとつで見られるならば、安いもの。
「何言ってんの!誰が見ても可愛いってばよ!」
 ナルトが持ち上げれば持ち上げるほど、サクラはどうしていいかわからないらしく、わざと作った仏頂面で机の上の整理をはじめた。
「今夜オレと会うまで、つけたままにしててね」
「……うん、そうする」
「それを外すのは、オレの役目だからね」
「……わかった」
 てきぱきと手を動きながら、もごもごとサクラは答える。その様子がまた可愛くて、一回だけだと自分に言い聞かせてから、ぎゅうっとサクラを抱いた。
「うっし、オレも待機所行ってくるわ!」
 ナルトは素早く距離を取って文句を言われないうちに部屋を出ると、軽やかな足取りで廊下を進む。装飾品を贈るのが、こんなにドキドキして楽しいとは思っても見なかった。幼い頃、イタズラが大成功した時よりも、ずっとずっと爽快感があった。
「来年は、もっと驚かしてやるってばよ」
 密かな決意表明を小さな声で紡ぐと、ナルトは待機所を目指して駆け出した。




2016/3/28