ちらり



ちらり




 時間があったら顔を見に行こうと思ったり、サクラの仕事部屋にナルトが近所で買った弁当を持って訪れたり、あんみつが食べたいけど我慢をして次に会う時にナルトと一緒に食べたり。それら全部を「デート」と称するならば、二人の仲はうまく進展できているのではないかとサクラは思っている。
 ナルトは中忍、サクラは上忍。女の方が肩書きが上だと長くもたないという話はよく聞くのだが、今のところ嵐はやってこないし、仲がこじれてうまくいかない現状に涙を流すなんて小説みたいな展開とも無縁だった。
「あ、ちょっと待って」
 とある店の前で、ナルトが足を止めた。窓いっぱいに貼られているのは物件情報で、「日当たり良好!」という赤字の走り書きが目に入る。つまり、不動産屋だ。忍でも引越しはするし、家族を持ったら広い家を欲しがる。木ノ葉の忍者たちは、この不動産屋をとても重宝していた。
「やっぱり、部屋が狭くってさー」
 何気ない風を装って、ナルトはちらりとサクラの顔を見る。その視線の意図は、何をかいわんをやなのだが、サクラは「ふーん」と頷いて、最新の物件情報に目を向けた。
「サクラちゃんの私物、増えてきたよね」
「……邪魔なら持って帰るけど」
「そ、そういうんじゃなくて!」
 ナルトは顔の前でぶんぶんと手を振った。
 里を二人で歩く時、ナルトは必ずこの不動産屋の前を通ることにしているらしく、「いい物件あるかなー」と独り言を呟いた後、サクラをちらっと見るのがナルトの癖みたいなものになっていた。今日だってお昼を一緒に食べながら、「鉢植え、ベランダに置ききれないんだよねー」と言って、サクラの顔をちらりと窺った。それをしらーっと受け流してカツ丼を食べる自分は、薄情なんだろうか。
 ナルトが何を言いたいのかは、わかっているつもりだ。ずけずけ物を言う親友が「あんたはいざ自分のことになると察しが悪くなる」と指摘をしたが、サクラだってそこまで間抜けではない。熱心に貼りだし物件を見ているのだから、引っ越しを考えているのだろう。そして、毎回必ず、ちらりとサクラに視線を投げる。それは、飼い犬が紐を口に加えて主人に「お散歩行きたいけど、いい?」とお伺いを立てる姿と重なった。
「引越し、したいなー」
 聞こえるか聞こえないかの声量で、ナルトが呟く。いつまでも実家暮らしを続けるつもりもないので、サクラだって引越しはまんざらでもなかった。実際、荷物を少しずつ整理して、実家を出る準備をしている。だが、ナルトが視線で送ってくる「察してくださいよ、サクラちゃん」オーラはちょっと気に入らない。婉曲的な表現じゃなくて、もっと真正面からぶつかって欲しい。
 サクラちゃん、一緒に暮らそうってばよ。
 もしも、その一言をくれたならば、サクラは喜んで不動産屋に飛び込むだろう。だが、それを口に出すのは、ナルトにとって一世一代の覚悟が必要なようで、不動産屋は散歩コースの一部に組み込まれたまま、その入り口にすら入ることはできなかった。
「……どんな部屋がいいの?」
 サクラは、なんとなく尋ねた振りをして、ぽつんと声を落とした。いつもは何も言わないサクラが反応を寄越したことに驚きながらも、ナルトはガラス窓いっぱいに貼り出された物件をくまなく探し、とある物件を指さした。
「こ、こういうとこがいい!」
 ナルトの希望する物件は、庭がやたら広い戸建住宅だった。
「いきなり一軒家!?」
 素っ頓狂な声をあげるサクラに、ナルトは何がおかしいのかわかっていないように首を捻る。
「だって、広い方がいいでしょ?」
「そりゃそうだけど、なんていうか……最初はこれくらいじゃないの?」
 サクラの目に留まったのは、2DKのこぢんまりとしたアパートの一部屋だった。その物件を視線で誘導すると、今度はナルトが不満をもらす。
「えー……なんかちっちゃーい」
「あんたはどんだけ広い家に住みたいのよ……」
「だって、サクラちゃん、荷物多いんだもん」
 ふとこぼれてしまった言葉の意味にナルト自身が気づくのは、3秒ほど経ってからのことだった。
「いや!あのさ、ちがくてさ!オレってば鉢植えたくさん集めてるし!広い家だともっと置けるし!ベランダってだいたい手狭で……入りきらないから……」
 滑稽なほど言い訳を並べ立て、目を泳がせてながら、最後は尻すぼみ。
「そうね。鉢植え、あんたの趣味だもんね」
「う、うん」
「ベランダ、広いとこ探せばいいじゃない」
「そう、なんだけど、さ」
 ナルトは視線を落としてサンダルのつま先で地面をいじったり、かと思えば腰に手をあてて物件情報をじーっと眺めたり。こうなったら言ってしまおうか、どうしようか。迷っているのは一目瞭然。
 よし、そうだ、言ってしまえ。今の流れだったら、素直に頷ける。
 サクラは胸中で期待をしながら、ナルトにエールを送った。
「あのさ、サクラちゃん」
「なに?」
「不動産屋、一緒に入ってくれる?」
 顔を真っ赤にしながらの台詞は、決定打とは程遠く、なんともぼやけた一言だった。それでも、目を一切逸らさなかったことから、ナルトの思いの深さが感じられた。
「……私と一緒がいいのね?」
「うん、そう!」
 含みを持たせてサクラが尋ねれば、ナルトは眩暈がおきそうなほどぶんぶんと首を振った。今は、これで十分か。サクラはナルトのほのかに赤みが残る横顔を見つめて、とん、とナルトの背中を叩く。一番聞きたい言葉は、また今度に持ち越し。
 今日の勝負はドローだな、とサクラは判定し、今まで一度も入ったことのなかった不動産屋の引き戸を開けた。




2015/10/31