共寝



共寝




 気ままなアパート暮らしから火影屋敷に引っ越しをすることになったのは、戦後処理の目処がようやく立ちはじめた頃のことだった。火影屋敷の外装は、職人が見事に復元をしてくれたのだが、内装は資料がないため、間取りどころかドアの位置ひとつ取っても、昔とはガラリと変わっている。
 火影屋敷には、カカシにも思い出がいくつかあった。四代目が在任していた頃は、たまに呼ばれてクシナと三人で夕食を囲んだこともある。三代目とは酒に付き合ったり、ごく個人的な話をしたり。そういった思い出のある建物が跡形もなく吹き飛ばされたのを寂しいかと問われたら、よくわからないとカカシは答えるしかなかった。
 場所がなくなったからといって、頭の中から記憶が消えるわけでもなし、もう一度作り直せばいいだけの話でしょ。
 そんな風にひどく冷静に言い切ってしまうところが、薄情者だと一部から呼ばれる所以だとカカシは思っている。
 火影屋敷に暮らしはじめて、そろそろ半年。仮置きだったはずのダンボールは、家具など不要だとばかりにすっかり根付き、部屋の一部と化している。積めたものをダンボールの側面に書いてあるので、あれがない、これはどこやった、と困ることは一切なかった。これも忍者の職業病なのか、物が増えると落ち着かない性分になっていて、捨てることばかりが得意になっていく。火影屋敷はほとんど寝るための場所なので、それぐらいがちょうどよかった。
 羽織をひらひらと揺らしながら、住居区画に通じるドアを開ける。すると、自分のものではないやや小さなサンダルが、きちっと踵をそろえて玄関に置かれていた。
「……仕事、しなさいよ」
「してますよ。先輩が察した通りの展開になっているだけです」
 ただの独り言だったのだが、十代の頃からよくツーマンセルを組んでいた後輩の声が、天井から降ってきた。火影屋敷の天井裏は、人が立てるほど高く、一角に詰め所まである。寝泊りはさすがにしないものの、監視体制が強化されると、暗部の面々が交代でそこに留まることになっていた。
 今、木ノ葉に不穏な動きはない。屋敷付の暗部が火影の私室の天井に留まる理由もまた、ないはずだった。
「お前を屋敷付から外したら、元の生活に戻れるのかね?」
「そこは、火影様のご意向次第です。ただ、ボクより追跡に長けた人材を探してからにした方がよろしいかと思います」
 だらだらと喋りながら、カカシは風呂に入る準備をする。風呂が広いのは、屋敷に越してよかったと思うことのひとつだ。銭湯に行かずとも足を伸ばして湯船に入れるのは嬉しい。喜怒哀楽がほとんどない、なんて言われがちな性格だが、それを嬉しいと思う程度には人間的な部分を持ち合わせていた。
「風呂、お前も入るつもり?」
 天井から、軽い笑い声がした。皮肉を笑っていなすのを、昔から得意にしている男だった。こういう性格だからこそ、暗部でもよく組まされたのだろう。
「火影様を私室へお届けしましたので、今日の任務は終了です。どうぞ、ごゆっくり」
 最後の二言に意味深な響きが含まれているのは、気のせいではない。
 カカシはため息を吐くと、着替えを持って風呂場に向かった。




 カカシの寝床には、人の姿があった。しかも、ベッドの真ん中で寝ているので、どちらかに転がさないとカカシは寝られない。
 こうすれば、いつか手を出してくれるかなーと思って。
 そうサクラがあっけらかんと言い放ったことに多少は驚いたが、思うような結果にはそうそうならず、いつも同じように朝が来る。カカシは根っからの職業忍者なので、隣にどれほど見目麗しい女が寝ていても自分を制御するなんて雑作もない。それよりも問題なのは、すっかり「女」に育った元部下に裏をかかれて、家の中どころか寝床に忍び込まれていることだ。
 今回のようなケースなら、おせっかいな暗部からの「そろそろ観念したらどうですか?」というメッセージだと判断がつく。ただ、七班の面々に関して言えば、優秀な対人感知センサーがなぜか起動しないらしく、気づいたらサクラが隣で寝ていた、なんてことがたびたびあった。もし自分を亡き者にしたいのであれば、今、ころんと寝返りを打った元教え子に暗殺依頼するのが一番確実だ。おそらくは、寝ている間に殺される。
「おかえり、先生」
 外では何があっても「火影様」の呼称を貫くのだが、寝床でこの子は「先生」と少し強めにアクセントをつけて呼ぶ。これもまた、計算のうちだろうかと思うと、その成長が嬉しいやら困るやらで、複雑だ。
「……ただいま」
 そう答えるとほのかに笑うのだが、ベッドの真ん中からは、やはり動かない。カカシは乾かしたばかりの頭をぽりぽりとかいた後、そっと布団をめくり、ベッドの隅に身体を置いた。
「布団の中、あったかくしといた」
「うん、あったかいな」
 白状してしまえば、ひんやりと冷たい布団の感触を、忘れつつある。そして、一人で寝る時などは、このベッドはこんなに広かったか?と思うこともまた、何度かあった。さらに言えば、隅に寝ることに慣れてしまって、ベッドのスプリングの片側だけ、少しへたってきている。
「このままだと、一人で寝られなくなっちゃうかもよ?」
 仰向けに寝そべるカカシの胸元に、サクラの頭が乗る。
「そうかもね」
 とぼけた声を返したが、反論される気配はなく、沈黙が流れる。
「ねえ、先生」
「……ん?」
「一人でいることに慣れるのって、どんな感じ?」
「どんなって、お前、」
「時々思うの。あの頃の七班って単なる幻想で、私はいつも一人だったんじゃないかしらって」
 空中分解した七班についてサクラが語るのは、これがはじめてのことだった。断じて違うと否定をしたかったが、サクラは目だけでそれを拒絶した。
「戻らない日々に、恋をしてるのね。まるで失恋したみたいな気分」
 やや自嘲気味な口調で呟くその顔を、泣いてはいないかと確かめる。
「やだ、こんなことで泣かないわよ」
 くすりと笑うサクラから目を離せずにいると、その際に片腕を奪われて、枕にされた。じんわりとサクラの体温が腕に伝わる。奇麗事だけではない事務処理をこなすその手が癒されるような感覚だった。ほんの一瞬、桃色の髪に手を伸ばしたい衝動にかられる。
「おやすみなさい」
 ごつごつした前腕に頬を寄せて、サクラは言う。
 この子がここから去ったら本当に泣くかもしれないな、とカカシは思った。





2015/10/19