愛の人



愛の人




 サクラと会う約束が、そろそろ空振りに終わろうとしている。
 何しろサクラは忙しい人で、ナルトの家に行くと約束をしても、実際に来られるかどうかは半々といったところだった。そんな日は、夜の12時を越えたあたりに、サクラが住むアパートのベランダに向かうことにしている。たまに部屋から明かりがもれている時があって、ベランダの鍵を開けながら、「だって、遅くなっちゃったから……」と気まずそうに呟くサクラの声を何度も聞いた。
「夜遅くてもいいって言っているのに、なんで来ねーの?」
 今日もまた、そんな一日で、ベランダの掃き出し窓のレール越しにサクラと向かい合い、ナルトは問いかける。詰問口調にはならなかったとは思うが、サクラの困惑した表情を見ると、失敗に終わったのかもしれない。床との段差があるので、いつもより目線が近い。だというのにサクラは、ナルトの肩のあたりをじっと見たまま、目を合わせようとしなかった。
「……えっと、部屋、あがる?」
「あがるけど、質問の答えを聞いてから」
 どうしてこうも黙りがちなのか。約束を破ってしまったという罪悪感がサクラの中にあるのかもしれないが、核となる部分は違う気がした。
「心配させたくないの」
「何の?」
「家に行けない時って、たいがい何かトラブルが起こった後だから、その、顔とかひどくて……」
「そういう時こそ、オレんとこ来て欲しい。疲れたサクラちゃんに、オレが手ぇ出すとか思ってる?」
「そんなこと言ってない」
「信頼ねぇんだなって、ちょっとだけ傷つくよ、そういうの」
 ここ最近すれ違ってばかりだったので、言葉端がややきつくなる。ナルトは、サクラをうんと優しく愛しているつもりだった。身体を重ねるだけが愛じゃない。服を着たまま抱き合う夜を、幾度も過ごしている。
 クシナの愛情に抱かれた時の安心感を、ナルトはひと時も忘れていなかった。愛ってやつに包まれれば、人はほとんど無敵に近くなる。ナルトは、そう信じていた。だからこそ、そいつを余すとこなくサクラに注いで、明日を生きる糧にして欲しい。つらいことがあった時ほど、頼って欲しい。サクラには言葉としてちゃんと伝えたし、サクラも「わかった」と返してくれたのだが、12時を越えた時間帯にサクラがナルトの家を訪れたことは、一度としてなかった。
「……ごめん、ちょっとだけ嘘ついた」
 サクラは、目をぎゅっと瞑って、顔をうつむける。
「ナルトは、その、私のこと可愛いって言ってくれるから……」
「うん?」
 首を傾げるナルトに、ちらっと上目を合わせた後、照れた風にふいっと視線を逸らしてしまう。
「疲れた顔は見せたくないとか、そういう感じ?」
 まさかとは思いながら口にすると、サクラは頷きもせず声もよこさない。それ自体が返事であることは、明白だった。
「ちょっとちょっと、サクラちゃん。いまさら、何言ってんだよ」
 呆れた声になるのを、ナルトは抑えきれない。
「あのさ、オレたちって、互いに結構ひどい顔見せ合ってきたと思わねえ?下忍時代なんて、敵にビビッたり、ドジ踏んだり、情けなく泣きじゃくったり、相当なもんだぜ?」
「……嘘の告白、したりとか?」
「あれはね、オレんこと好きだって言ってくれた時のサクラちゃんの照れた顔がチョー可愛かったから、許します」
「ほら!あんたはそうやってすぐに可愛いって!ん……」
 サクラの言葉を唇ごと塞いで、軽く吸いつく。それは、口が達者なサクラに負けそうな時、ナルトが使う常套手段だった。
「オレはさ、サクラちゃんが可愛くないって思ってるとこ全部が可愛いんだよ」
「う、嘘っ!」
 後ろに下がろうとするサクラを抱き寄せて、とんとん、と背中を軽く叩いた。
「今日だって、可愛い。可愛いとこしか見せたくないって意地はってんのも、スゲー可愛い」
「……そういうの、信じたくなるから、困る」
「なんでだよ、信じろよ」
「甘えちゃうから、ヤダ」
「甘えろ、甘えろ、そんでオレが愛想つかさねーこと確かめろ。そしたら、いくら時間遅くなってもウチに顔見せるようになるから」
「……中、入って」
「ん?」
「確かめたいから、入って……あ!可愛いって言わないで!」
「じゃ、今日は言わない」
 ナルトはサンダルを脱いで、ベランダの窓を後ろ手に閉じる。ごく軽い力でサクラの手を引くと、サクラはナルトにふらふらと近づき、胸元に寄り添った。
 疲れたな、つらかったな、明日も早いんだろ?
 いずれの問いかけにも、ナルトに軽く身体を預けたままこくりと頷くサクラだったが、次に発したねぎらいの声には、反応らしきものを返さなかった。
「そっか、だったらもう、寝ちゃおっか」
 ナルトの腰に両手を回し、サクラはうんともすんとも言わない。そしてずいぶんと間を空けた後、肩に頭を預けて、腰を囲うその手にほんの少しだけ力を入れた。
「……できれば、甘えたい」
 胸のあたりから聞こえてきた細い声に、すっげえ可愛い、と喉の手前まで飛び出しかけたが、ごくりとそれを飲み込んで、サクラに軽く口付ける。
「そんじゃ、決まりだ」
 ナルトは慣れた様子でサクラの身体をさらうと、そのまま奥のベッドへと運んだ。




2015/9/28