「ここに、住もうと思うんだけど」 散歩がてら住宅街のはずれを歩いていた時、靴ずれになった踵をちらちら気にしていると、カカシが唐突にそんなことを言った。住もうという単語は聞き取れたのだが、絆創膏を今日に限ってバッグに入れてこなかったことを後悔していたので、それ以外の言葉はもやもやと聞こえるだけに終わった。 「え、ごめん、もういっかい」 「うん。あのね、ここの家にね、住もうと思うんです」 カカシがちらりと視線を遣ると、腰高の木戸越しに、低木が植わっている庭が見えた。 「わー、庭つきだー、縁側もある!」 「忍犬の世話もできるし、いいかなって」 「小屋とか作っちゃうの?」 「まさか」 冗談で口にしてみたが、やはりさすがにそれはやらないらしい。サクラは木戸に近づき、庭をきょろきょろと眺めた後、家の風情を確かめる。あいにくと雨戸がしまっているので、中の様子はわからなかった。ただ、縁側のある家というだけでも立派なのに、屋根には瓦がふいてあり、この分だと部屋数も多そうに思えた。 「……ちょっと大きすぎない?」 「そうかねえ?」 カカシはウーンと首を傾げて、木戸から中に入ろうとする。 「ちょっと、先生!」 「大丈夫。鍵、預かってるのよ。内覧しようと思って」 ということは、ここに来るのはカカシの中で決定事項だったらしい。ただぼんやりカカシにくっついていたサクラだが、その用意周到さが少しだけ気になった。 「ま、お入りなさいな」 まだ自分の家でもないくせに、カカシは中に手招きする。「お邪魔します」と口にしかけるが、家の持ち主でもないカカシに言う台詞ではないな、と一瞬思う。木戸に手をかけたまま悩んでいたが、とりあえず管理している業者に向けてということで、やっぱり「お邪魔します」と口にしたサクラだった。 キンモクセイが植わっている庭は、庭師の手を借りるまでもなく、時々ほうきで掃けば楽に管理ができそうだった。ガタン、と物音がするので背後を振り返ると、カカシが雨戸を開けている。 「……へー、お昼寝したくなる家だね」 畳を新しくしたばかりなのだろう、井草の匂いがサクラの元まで届く。日当たりはいいし、昼寝の楽しみはもちろん、庭に洗濯物を干せばすぐに乾きそうだ。そんな生活感あふれることを考えているサクラに向けて、カカシはもう一度無言で手招きをした。そして、畳の部屋を抜けて家の中に入っていく。こちらは靴ずれで歩きにくいのだから、あんまりさっさと歩かないで欲しいのだが、文句を言おうにも姿がない。いつもはもっとゆったりと動くのに、今日に限ってはどうも落ち着きがないのが不思議だ。妙にそわそわしていて、いちいち挙動が早い。 「せーんせー、どこー」 縁側で靴を脱いで、新しい畳の感触を楽しんでいると、そのまま廊下に抜け出た。 「ここだよ」 カカシは、柱の影から、ひょいと顔を出す。なんだか、かくれんぼをしているみたいだ。サクラは顔を左右に振って、他にも襖が閉じている部屋がふたつあることを確認してから、カカシのいる場所に向かった。 「ああ、台所か」 「うん」 「先生って、料理するの?」 「しないね。でも、サクラはするでしょ?」 「まあ、ちょっとは。って、私のことはいいのよ。他に見るとこあるでしょ?お風呂とか、お手洗いとか。あと二部屋あるみたいってのはわかってるの。あとは、」 「ここに住まないか?」 口布ごしに、はっきり聞こえた。のぞいている片目は、サクラの二の腕あたりを見ている。いつまで経っても視線は合わない。カカシは標準服のポケットに手を突っ込んだ格好で、微動だにしなかった。ただ、サクラが返事をなかなか返さないことに、焦れているようにも見える。 「一応聞いておくけど、私と一緒にってこと?」 「うん、そうね……」 もごもごと口ごもるカカシだが、そのうちに観念したようで、口布をするりと下ろした。それは、サクラと極私的な話をする時の合図だった。 「くたびれきって帰ったら、家にサクラがいる。最近、そういうのを、夢見るようになってね。二人で暮らせる部屋を探してたんだ」 「目、見せて」 カカシは額あてをするりと解くと、ちょっと気弱で臆病な、しかしある種の覚悟を伴った二つの瞳をサクラに見せた。 「……そっか、先生だもんね」 サクラは軽く息を吐き、じっとカカシを見る。 「ん?何がだ?」 「そうそうスマートに事が進むとは、私も思ってないのよ。こういうのは、お互いの部屋で二人きりの時とか、ちょっと高めのお店でご飯食べたあとに切り出して欲しかったんだけど、まさか散歩のついでに入った家の台所で言われるとは思わなかった」 「……そんなにひどかったか?」 「ん?そうでもないよ?ただ、一応私にも理想像があったりするの。インパクトは十分だけど、私って残念ながら雰囲気重視派なのよね」 バタバタと家の中に入ったかと思えば、ちょっとした甘い会話もなく、がらんとした台所で一緒に住もう発言。まあ、カカシらしいといえばらしいのだが、サクラとしては、もうちょっと余韻が欲しかった。 「うーん……」 弱ったとばかりに床に目を落とすカカシだが、やがてこわごわとサクラに提案する。 「……やりなおし、するか?」 なんてバカバカしい話だろう。たぶんすごく頑張って出した答えがこのサプライズで、それが気に入ってもらえなかったら出来レースに走るとは。カカシが雰囲気を重視すると、いったいどうなるのか。それは確かに見てみたかったが、サクラが耐えられそうにない。たぶん途中で笑ってしまって、カカシを傷つけるだろう。 サクラは、改めて今日のカカシを振り返る。その精一杯ぶりと、ちょっとした空回りが、なんだか愛しくなってきた。思い返せば、カカシに新しい靴を買ってもらった時点で、その奮闘はすでにはじまっていたのだ。妙にせかせかしていると思ったのは、間違いじゃない。なんとか話を切り出さねば、という緊張感が、カカシの動きをおかしくしていたらしい。 新しい靴の慣らしがてらにここまでやってきて、あらかじめ用意した鍵を手に家の中に入って、サクラに「一緒に住まないか」と告げる。カカシの生き方を考えると、その一連の行動は、S級任務以上の困難さを伴ったに違いないとサクラは思い至る。 「そうだ、今夜、料亭でも行くか。いい店なのは、保証する。あとは、」 サクラはうんと背伸びをして、カカシの頬を両手ではさむと、唇にキスをした。 「ここ、いい家ね」 「う、うん?そうか?間取りは確か、」 「先生、いま、逃げようとしてるでしょ」 ギクリと胸をつかれて、カカシは動きをピタリと止める。人と深くかかずりあって生きることをやめていたカカシは、相手の行動が読めなくなると、距離を置いて逃げる癖があった。昔の古傷がうずくのだろう。そんなカカシと真正面から向き合えるようになるまで、いったいどれほど苦労をしたかわからない。 「私は、今、先生がかわいいなーと思ってます」 「かわいいって、お前ね、」 「そっか、私、ここに住むのか。広くていいね!本も忍具もたくさん置けそう。引越しの準備、しないとね」 「……あの、やりなおしは?」 「しなくていい。さっき先生がくれた言葉がいい。もう一回、言ってくれる?」 カカシは目を泳がせて、体重移動を二度三度と繰り返した後、サクラをまっすぐ見る。 「オレと、ここに住まないか?」 「いいよ。一緒に住んだげる!」 弾むような声を返して腰に抱きついてくるサクラの扱いを持て余すカカシだったが、やがて背中に手を添えると、そうっとサクラを抱きしめた。 2015/9/15
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