一年



一年




 ナルトとサクラがつきあいはじめて、季節が一巡りした。
 他人同士が寄り添おうというのだから多少の衝突はあったし、不機嫌な様子のサクラはもちろんのこと、サクラに対して口をきかないナルトという非常に珍しい風景も見受けられた。数センチずつ近寄り、互いに手をそろそろと伸ばして、小指からひっそりと繋げる。恋人という関係に二人の在り方を落ち着かせるために要した一年を、二人は長いとも短いとも思っていない。
 そして、ちょうど一年が経過したこの日、ナルトは里の中をうろうろとさまよっていた。
「……どれも同じに見えるってばよ」
 ショーウィンドウの前で棒立ちになり、ネックレスやらブレスレットやらを眺め倒すのだが、値段の違いも意匠の凝り方も、ナルトにはサッパリわからない。スマートに装飾品を贈る己の姿はイメージできているのだが、いざ選ぶ段になると、どういう装飾品がサクラに似合うと思うのか、何を贈ったらサクラは喜ぶのか、といった具体性が決定的に欠落していたことにようやく気づき、ショーウィンドウの前で冷や汗をかいている。店員に相談するのも手のひとつだが、勧められるままに購入してしまいそうな気もするし、そんなのは誠意がないように感じられる。
 ナルトはショーウィンドウから身体を離して、ひときわ目立つ場所に置かれた指輪を見る。値札には、間違いなく1万両と記されていた。どうしてこんなに小さなものに、ここまで高い値がつくのか。値段は物の大きさに比例するというナルトの買い物哲学に、ピシリとヒビが入った瞬間だった。
 これ以上この場所に張り付いていても、計画は進まない。ナルトは店から離れると、次に入ろうとしていた服飾店の前を素通りし、商店街を後にした。




 資料室をノックして、返事を待つ。ちょっと間があいた後、「どうぞ」とサクラの声がした。今日は書類整理がほとんどだと言っていたのだが、声の調子がくたびれている。そう簡単な仕事ではなさそうだった。
「仕事、はかどってる?」
「うん。だいたい終わった。早出したのがきいたみたい。ちょっと集中しすぎて、頭がぼーっとする」
 サクラは窓辺に寄りかかり、分厚いファイルの中身を確認していた。窓からは陽光が差し込み、サクラの立ち姿をキラキラと輝かせる。このままじっと見つめていたいという欲求をぐっと抑えて足を踏み出し、ナルトはなんとか本題を切り出した。
「今日、ちょっと早めに仕事切り上げるのって無理っぽい?」
「んー、あらかた終わったし、そろそろあがろうかなって思ってたとこ」
「じゃあさ!買い物、行かね?今日って記念日だからさ、オレってば、サクラちゃんにプレゼントあげたいって思ってんだ」
「ええ?そんなの、いいわよ」
 軽く眉尻をさげて、サクラはナルトの提案を流そうとする。こういう展開を予想していたからこそサプライズで選びたかったのだが、自分には無理だと見切りをつけた今、サクラが欲しがっているものをプレゼントするという一線を死守すべく、ナルトは切り札を用意していた。
「そう言うと思って、こんなものを作ってみました。どうぞ」
 はがきサイズの紙片を見せると、サクラはやや目を瞠って、「なにそれ」と呟いた。そこには、「なんでも買いますよ券」と記されている。ナルトは自宅に一旦戻り、全財産もってかれる覚悟でそれをこしらえたのだった。有効期限は、今日の日付が変わるまで。逃げ道を塞ぐのは、常道だ。
「ほい、あげる」
 券を渡されると、サクラはそれを手に取り、跳ねの荒い文字をじっと見つめる。いや、ぼーっと見ている、と表した方が近いかもしれない。今日のサクラは動きが鈍く、言葉を発するまでのテンポがいつもより遅い。
「何でもいいの?」
「オレの懐具合にもよるけど、出せる範囲なら」
「えー、じゃあさ、今探してる本あるんだよね。取り寄せていい?いくらするのかなあ……」
 サクラは視線を書棚に向けて、腰をトントンと叩いた。その疲れきった所作、覇気のない声、そしてサクラらしからぬ「本」という味気がなさすぎる選択。仕事ですべての判断力を使い切ってるせいで、日常生活に頓着できなくなってる。これではイカンと本能的に危機を察知したナルトは、書棚をなんとなく見ているサクラの手を取り、資料室を出た。
「え!?ちょっと!今から?」
「あがろうと思ってたんでしょ?」
「そりゃそうだけど……バッグ置きっぱなし……」
「サクラちゃんは、それだけ持ってればいいの!」
 ナルトはちらりと振り返って、サクラが手に持つ「なんでも買いますよ券」に目を遣る。サクラを連れて病院を出ると、その足は木ノ葉通りに向かい、先ほど素通りした服飾店に入ることにした。こうなれば、上から下まで全部買ってやる。そんな意気込みを乗せて、ナルトは臆することなく店の扉をあけた。本ではなく服がずらりと並ぶ棚を前にすると、ぼんやりしていたサクラの瞳が輝きを取り戻す。そこはやっぱり女の子なんだな、とナルトは嬉しく思った。
「……服買うの、久しぶり」
 ぐるりと店の内装を眺めて、サクラがぽつんとこぼした。
「ゆっくり選びなよ」
「……いいの?」
「その代わり、これは回収」
 ナルトは、サクラが手に持っていた券をサッと奪うと二つに折って、ポケットに入れた。
 サクラはその後、ナルトに意見を求めながら悩みに悩んで、シャツ2枚とスカートを購入することに決めた。そのまま会計レジに向かおうとするサクラだったが、ナルトはその手を引いて奥へと向かう。そして、靴が並べられた棚の前で立ち止まるとサクラの手を解放し、一人がけのソファに座らせた。
「どうせなら、服に似合う靴も買っちゃおうよ」
「え、でも……」
 ナルトの手が、サクラの靴の踵に触れる。そうっとそれを脱がすと、少しだけくすぐったい感触がサクラの足に残り、同時にどこか官能的な雰囲気が二人の間に漂った。
 靴を選ぶのは、さして時間がかからなかった。デザインと履きやすさのバランスが取れた靴が、すぐに見つかったからだ。これ、欲しいな、というサクラの呟きをすぐさま拾い、店員を呼ぶ。そのまま履いて帰ることを告げると、会計レジで清算を済ませて、店員から大きな紙袋を受け取った。店を出ると、ナルトはサクラと向き合って、紙袋をぽん、と叩いてみせる。
「一年分の感謝を込めて、なーんてな!」
 まだ残っているサクラの気後れを、ナルトは快活に笑い飛ばした。
「……あり、がと……」
「靴、チョー似合ってる。せっかくだし、ちょっとだけ歩こうか」
 二人は裏道を通って商店街を離れると、芝桜が広がる野原を目指した。この季節、濃い桃色の絨毯が目に鮮やかで、桜の花びらとはまた違った風情を楽しめる。見ごろの時期と咲き誇る場所をナルトが知ったのは、ちょうど一年前。満開の桜を見損ねてしょんぼりしていたナルトを、サクラが「いい場所があるから」と言って、連れてきた。「なかなかのものでしょ?」といたずらに笑うサクラがどうしようもなく可愛くて、居心地のいい仲間のままでいるのなんて無理だと悟った瞬間だった。
 芝桜の群生地は、告げ損ねたままの恋心をナルトが口の端に乗せた場所で、ナルトの熱意に押される形でサクラが気持ちを受け入れた場所でもあった。
「ごめん、ちょっと足に違和感。新品だからかな?」
 思い出の場所まで、あともう少し。そう思うと気がせいたのか、早足になっていたかもしれない。
「足、痛い?そっか、新品だもんな……」
 武器ポーチの中に絆創膏なんてあっただろうか。ナルトは慌てて探すのだが、武器以外には包帯しか見つからない。
「そんな顔、しないの」
 悪いことをした、とくっきり書いてあるその頬をぺしぺしと軽く叩いて、サクラはほんのり笑う。
「昼間に外に出るのって、久しぶり。なーんか、気分良いわ。ゆっくり歩こう?すぐそこだもんね」
 サクラは、すっかり年頃の女の顔を取り戻していて、ナルトの心臓は、発作かと勘違いするほどバクリと大きく跳ね上がった。見惚れて動けないナルトの手に指を絡めて、サクラはいつもの歩調よりもずっと緩めて歩き出す。足の痛みはひどいのかとナルトが顔を覗き込めば、唇を軽く食まれた。
「お礼。今は、これだけね」
 ナルトは、照れ隠しにわざと大きな音を立てて紙袋を持ちなおす。こうなると、もうすっかりサクラのペースだ。「今は」ということは後でまた違うお礼をもらえるんだろうか。気にはなるけれども、それを問いかけたところで、きっとうまくはぐらかされる。
「……足、ほんとに大丈夫?」
「ん、へーき」
「辛かったら言ってよ?おんぶするから」
「おんぶしてもらうぐらいなら、さっき履いてた靴に戻すわよ」
「……でも、今日は、それ、履いてて欲しいから……」
「声ちっちゃすぎて、聞こえなーい」
 仲間の線からはみだして、一年。その間、できるようになったことは、たくさんある。二人で並んで歩いている時は、曖昧な距離をあけない。昼間でも、人気がないところでは、手を繋いでも可。街灯の届かない場所だったら、抱き合ってもいい。
 それらを確かめながら、二人は思い出の場所へとのんびり向かった。




2015/7/2