人を傷つけない任務を与えられるのは、忍にとって稀なことだ。そもそも、血を見ることなく里に帰れるのは下忍や新米の中忍くらいで、昇格を重ねるごとに、一時の迷いが自分自身を殺すはめになる任務が増えていく。そう考えると、誰の人生も壊さず、死人どころか怪我人も出さなかったのだから、今回の失策は最小限の被害で済んだといえる。詭弁かもしれないが、今は、その考えに縋りつきたかった。 いのは、寒気がいまだ残る身体を引きずって、情報部を出た。道の途中、アカデミーに入る年齢には達していない小さな子供の集団が、にぎやかな声と共にいのの前を通り過ぎる。そのうちの一人が、いのの額あてを見るなり、憧れの視線を注いできた。うまく表情を作れないまま、ぎこちなく手を振る。額あてと忍装束に目が釘付けの子供は、そんないのの不自然さに気づくことなく、満面の笑みで手を振り返し、仲間の「おいてくぞ!」という一言に慌てて駆け出した。 子供が見えなくなると、いのは手首をかくりと折って、ついでに顔も地面に向ける。 「……うーわ、落ちてるな、私」 いのはトーンの低い声でつぶやくと、約束を取り付けたサクラとの待ち合わせ場所に向かって歩き出した。敵に裏をかかれたとわかった時の身震いはひどくなるばかりで、今日は熱燗オンリーだわ、と息を吐いた。 「で!なんでアンタまでいんのよ!」 店の戸を潜ると、目立つ金髪がサクラの横に陣取っていて、つかつかと歩み寄るなり思わず机を叩いた。待ち合わせに指定したのは、いきつけのおでん屋だった。落ち着いて話ができる場所だからという理由で選んだというのに、通されたのはにぎやかな座敷の四人席。文句を言う権限はあるはずだ。 「オレはな!サクラちゃんとメシ食うのが楽しみで、里に帰ってきたんだよ!」 この野郎、開き直りやがった。カチンと怒りのスイッチが入りかけたが、サクラがいのに向けて軽く手を合わせて、「ごめん」と口の動きだけで伝える。こうなると、「いのが先約だから」と言い含めたのに、「ぜってーオレも行く!」と譲らなかったナルトの意固地が見えてくる。 「任務を無事にこなした人間を追い出すのは、ちょっと薄情じゃないかな!」 ジョッキを片手に熱弁をふるうナルトを前に、いのは諦めの境地に到った。自分のしでかした失敗を思うと、「任務」の言葉に今は弱い。無事に里へと戻ってきた忍には、いたわりをもって接するべきだ。サクラの隣には信楽焼きの狸か大ダルマが置いてあると思って、今日のところは引き下がろう。 「頼んだの、これで全部?」 サクラの向かいに腰を落ち着けると、机の上に載っているつまみを指さし、問いかける。 「うんにゃ。お前が来たら頼もうと思ってさ。オレ、おでんの盛り合わせね!」 「……だっからアンタに聞いてんじゃないっての」 サクラはまた、身体の前で手を合わせて、「ごめん」と今度は口に出して呟いた。 「お前、ビール?」 「ううん。私、熱燗」 「あれ?今日、そんな寒いか?」 「そういう気分なのよ。二合徳利でお願い。アンタも飲みたかったらお猪口追加しなさいよ」 「……ちょっと飲みたい」 ナルトではなくサクラがぼそりと言うと、ナルトは店主に向かって手をうんと伸ばし、「熱燗!二合徳利で!お猪口ふたつね!」と滑舌よく注文をしてくれた。その間、メニューを見ながらああだこうだと決めて、締めでもないのにお茶漬けを頼もうとするナルトを制していると、熱燗が到着する。 「はいはい、お猪口もってね、サクラちゃんもね、お酌しますからね」 ナルトは、甲斐甲斐しい仕草で徳利を掴むと、いのとサクラのお猪口にそっと酒を注いで、自分は半分まで減ったジョッキを掲げた。普段なら木ノ葉の平和を祈って云々と続けるところだが、ナルトが口にしたのはまるで違う言葉だった。 「うずまきナルトの帰還を祝って、かんぱーい!」 「そっちかい!」 勢いよく突っ込みを入れてからお猪口をそのまま口に運ぼうとするいのに、ナルトは無理やりジョッキを合わせた。この男、なんでこうもはしゃいでいるのか。久しぶりに会うにしたって、ちょっとテンションが妙だ。 「怪我とか、してないわよね?」 まさか自棄酒ではあるまいな、といのは探りを入れる。 「オレ?ピンシャンですよ。忍具も余裕で残ってるし。あ、メシきた」 すぐに用意できる一品ものがテーブルに届き、雑談をしている間にテーブルはどんどん埋まっていく。お茶漬けは後回しにして、高菜チャーハンを頼むことにしたナルトは、それが届くと夢中で食べはじめ、「オレにはおかまいなく」とばかりに他の皿にも箸を伸ばした。続いて意図的なのだろう、気配もぺらぺらに薄くなる。置物の大ダルマが、手乗りサイズに縮まった。 「で?ビール飛ばして熱燗ってことは、何かあったわけね?」 そう言ってサクラが酌をすると、いのはそれをぐびりと飲む。ちらっとナルトを見ると、もぐもぐとおでんをおいしそうに食べていた。この際、ナルトは気にせず、喋ってしまおう。 「……ま、ちょっとね。こっからは手酌でいこうか」 それを合図に二人は喋り倒し、残る一人は食べたい料理を注文して酒をぐびぐびと飲む。驚いたことにナルトは二人の会話に一切入ってこなかった。ナルトが同席していることを忘れてしまう瞬間があるぐらいで、いのとサクラが話し込んでいる間、ナルトが発したのは「これ、おかわり」と「便所行ってくる」の二言だけだった。 ナルトは任務明けで、サクラは明日も早い。九時前に場の解散を決めて、会計を〆てもらうことにした。店員が持ってきた会計札を見て、いのもサクラも一人分の金額を出そうとしたが、ナルトがずいぶんと多めに札を出した。 「おつりいらないから」 「へ?」 「だって、勝手に押しかけたのはオレだし、食ってばっかだったろ?だから、これでいいんだってばよ」 間抜けな声を出すいのに、ナルトはけろりと返して、さっさと店を出て行ってしまう。そんなナルトの「らしくなさ」に、いのはようやく気づいた。落ちてるのは、私だけじゃない。ナルトを引きとめようとするサクラの袖を軽くつかむと、そっと耳打ちをした。 「あいつたぶん、私より弱ってる。甘やかしてやんなさい」 「……やっぱり、そう思う?」 「何よ、気づいてたの?だったら、延期するなり何なりしなさいよ。あと、おつりはアンタが受け取って。話聞いてくれてありがと」 サクラの肩をポンと叩いて会計を任せると、いのもまた店を出る。軒先では、ナルトが手持ち無沙汰な様子でぼんやり突っ立っていた。 「悪かったわね、サクラ借りちゃって」 「お前が謝るなよ。オレが邪魔しただけなんだから。つーか、お前にはどんどん貸しを作っておこうと思ってっから。今後ともよろしく」 「なにそれ」 「オレとサクラちゃんが一緒に暮らしたらさ、喧嘩した時ってたぶんお前の世話になるだろ?女同士の友情は、大事にしておいた方がいいかなーって」 「……そういうの、誰が吹き込んでくるわけ?」 「誰でもねえよ。オレがそう思ったから、そうすんの」 さすがに意外性ナンバーワンの称号は、伊達じゃない。いのは二の句を継げずに、黙りこくった。 「サクラちゃんが影分身使えたら、オレとお前で同時に愚痴聞いてもらえるのになー。オレ思うんだけどさ、サクラちゃんってどんどん聞き上手になってねぇ?全然言うつもりなかったのに、ぽろっと弱音こぼしちゃったりするんだよねー」 「病院勤務してると、色んな人を診るからね。自然とそうなるんじゃないの?それよりアンタ、一緒に暮らすなんて話、まだサクラから聞いてないわよ」 「これからする」 「……うそでしょ?」 「ほんと」 口端を吊り上げて、ナルトは贈り物だとすぐにわかる小箱をいのにこっそり見せた。 「泣かせたら、ぶっとばす」 いのは、鳩尾に軽い一発をお見舞いする。分厚いベスト越しなのだから届くのは軽い震動ぐらいだろうに、「いてぇ」とナルトが文句を言った。たしかに、いのの部屋はサクラの避難所として最適だ。どんなに疲れ果てていても、サクラを追い払うことはないだろう。もっとも、その役割は果たされないままなのが理想なのだが、喧嘩をするのも時には大事だ。 カラリ、と引き戸がすべる音に続いて、「ありがとうございましたー」という店員の声が戸の隙間から吹きぬけた。サクラが「おまたせ」と言って、二人の間に割って入る。 「まあ、見ててよ」 「場合によっては、口も出すわよ」 「できれば穏便に頼む」 何の話かと首を傾げるサクラをよそに、ナルトといのは軽口を叩き合った。 2015/6/15
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