上忍に昇格した忍者が浴びる洗礼のひとつに、「待機所デビュー」というやつがある。いかにも「暇を持て余しています」風を装って、足なんぞを悠然と組み、世間話を交わしながらキツい任務への呼び出しを待つのだ。どこかのトチ狂ったバカが、あんなのは任務が終わった後のトリップ感に浸れるような異常者にしか務まらないと嘯き、「G任務」などと卑猥な言葉遊びを流行らせた。これがくノ一たちから猛烈な反感を買い、今ではどんな任務も「Sランク任務」という呼称で落ち着いている。 世界中の英雄として名が知られるナルトもそんな待機所に詰めているかといえば、そう簡単にはいかなかった。上忍を一足飛びで追い越しての火影就任なんて夢物語は叶うはずもなく、長く燻っていた中忍時代にようやく終わりを告げて、新生木ノ葉を背負うそうそうたる忍の推薦により、ようやく上忍への昇格が叶った。 そしてナルトは今、待機所脇の壁に立ち、身なりを整えている。扉には嵌め殺しのガラス窓がついているので、こわばっているのが丸わかりの顔を見られるのは、恥ずかしい。頬をむにむにと両手で揉んで、眉間を拳でぐりぐりほぐし、パン、とひとつ顔を張る。 「うっし!行くってばよ!」 これは、今後の自分の立ち位置を決める重大な任務だ。そう言い聞かせると、顔は自然と引き締まる。ガラス窓に映る自分の顔は、なかなか精悍だ。よし、いいぞ。 ガラリと扉を開くと、控えている忍者に挨拶をするべきか悩んだが、中に詰めている面々は誰一人としてナルトの存在を気にしていない。奥で碁を打っている二人と、それに茶々を入れている三人組、無表情で窓の外をボーッと眺めているくノ一、口寄せ動物とコミュニケーションを取っている者もいる。なんというか、想像していたのとまるで違う場所だった。こういうのを、無法地帯と呼ぶのだろう。 きょろきょろと部屋の中を見渡していると、サクラの姿を見つけた。サクラはとっくの昔に医療上忍に昇格していて、基本は病院勤務なのだが、ここに詰めている機会も何度かあるらしい。そーっと近寄り、腰を屈めてサクラに耳打ちする。 「隣、座っていい?」 サクラは、広げた医学書に目を落としたまま、素っ気ない様子でぺらりとページを捲った。 「なによ、緊張してんの?」 「わー!声大きいってばよ!」 ギクリと胸をつかれて、わたわた手を動かすナルトだが、左に右に首を振ったところで、誰も何も気にしていない。他人の行動に、どこまでも無頓着なのだ。 「ここ、そういうとこなのよ。みんな好き勝手やってるから。ほら、座れば?」 サクラはさらりと言って、自分の隣を指さした。ナルトはすとんとそこに座って、少しばかり居心地の悪そうに室内を眺める。喧騒とか活気とか、そういうものとはとことん無縁そうな場所だ。調子が狂うのは、誰しも気配が薄いからだろうか。 「最近どう?忙しい?」 サクラの声が、優しげに響く。ぺらぺらの薄い紙が捲れる独特の音は、昔からよく耳に馴染んでいた。ちょっとだけ、ホッとする。 「なんか、簡単なお使い任務ばっか」 「それ、もし盗られたら、里が終わってたからね」 「……今更ゾッとしてきた」 身体の内側をすべる冷や汗を拭いたいのだが、木ノ葉ベストに邪魔されて、うまく摩れない。忍は裏の裏を読め。昔から耳にタコができるほど言い聞かさせてきた言葉だったが、いざ我が身に降りかかると、文句を言いたくなる。 「待機所であんたと並んで座るとは、まさか思わなかったわよ」 ナルトの胸中を読んだのか、サクラはクスリと笑った。 「……オレだって、そうだってばよ」 「へえ、そうだったの?」 「オレってば、上忍なんかすっ飛ばして、さっさと火影になる予定だったし」 サクラは目をぱちくりした後、医学書を抱えて、くすくすと笑いはじめた。 「もー!あんたの意外性、すっかり忘れてた!」 「そこ忘れてもらっちゃ困るんだよなあ、サクラちゃん」 ナルトは頭の後ろで両腕を組み、窓ガラスに凭れかかる。 「待機解けるのって、みんなバラバラなの?」 「そ。気づいたら、いつの間にかいなかったりする。さっきまでいたんだけどねーなんて会話、よく聞くわよ。なんでかモエギがよく探しまわるハメになるのよね」 「あいつら三人、誰が早く上忍になんのかな」 「ウドンだったりして」 「えー、まっさかー」 「だって、私が三人の中で一番早く上忍になるなんて、誰も思わなかったでしょ?」 「ま、順当に考えるとサスケだわな」 サスケは今、どこにいるのやら。放浪生活に出たまま、手紙ひとつ寄越さない。だが、それでいいとナルトもサクラも思っている。 イタチと木ノ葉、サスケとイタチ、そしてサスケと木ノ葉。それぞれの遺恨について、サスケがナルトとサクラに腹を割って話すには長い時間が必要だろうし、苦しみ続けた彼の傍にはいつだって鷹の面々がいた。必死に追いすがる時間は、もう終わった。だったら、今度は待つ番だ。二人は、とことん待ってやるつもりだった。なんなら、顔がくしゃくしゃの爺さん婆さんになってからでもいい。きっとサクラは綱手と同じ術を使って、サスケに老いた姿を見せないだろう。そしてナルトは、「自分には見せてくれる?」とまだ言い出せていない。しかし、そのうち絶対、聞いてやる。ナルトはその心意気をまだ捨てていなかった。 「そういうことだから」 「ん?」 サクラの声に、ふつりと思考を遮られた。 「何かあったら、私に聞きなさいね。あんたより、三つも先輩なんだから」 「……三つって、おない年じゃんかよ」 「三年の経験は、すごーく貴重よ?」 それを言われたら、ナルトも弱い。うーん、と悩んだ結果、仕方がない、と腹を括った。 「おねがいしますってばよ」 ナルトは、開いた膝の上に手のひらを乗せて、がばりを頭を下げる。 「素直でよろしい」 サクラは愉快そうに笑うと、ナルトの髪をさわさわと撫でた。完全に子供扱いなのだが、それすら嬉しくて、待機所デビューっていいもんだな、と思ってしまうあたり、自分も相当この人に惚れこんでしまっている。 その後は、待機所での過ごし方や、持ち込んだ私物の隠し方、そして水遁使いと顔見知りになることが大事だという処世術を教えてもらった。 2015/5/17
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