春風



春風




 正午前には必ず書類の山を片付けて、今日は昼休憩を長めに取る。早朝に扉を潜った時にそう決めた通り、ノルマを無事にやり遂げたナルトは、「あとはよろしく」とシカマルにニッと笑いかけて、瞬身の術を使った。事前承諾は得ているのだから、有無は言わせない。
 到着するのは、樫の木の根元。そこには術式が施されていて、すぐ目の前には木ノ葉病院の角部屋がある。薄く窓が開いているので、誰かが中にいるのは確実だった。ナルトはいつも窓からその部屋に入り、「ドアから入りなさい」と部屋主に叱られる。その瞬間が昔の気持ちを思い起こさせるので、ナルトはいくら怒られようとも、窓から入るのをやめなかった。
「おじゃましますってばよー」
 この日も叱られるのを楽しみにしながら、ガラッと窓を開ける。だが、珍しく厳しい声が飛んでこない。留守とは思えないのだが、どういうことか。サッシから飛び降りると、床に書類が散らばっているのが見えた。そして、ソファには、倒れこむサクラの姿。
「サ、サクラちゃん!」
 どっと冷たい汗が滲み、全身の血という血が足のつま先におりていく。あわてて駆け寄ると、サクラの胸元や肩はわずかに上下を繰り返し、すうすうと寝息も聞こえる。ナルトは、ふーっと息を吐いて顔を覆うと、床にしゃがんで書類をまとめた。書面には、国境で発生した伝染病対策の経過報告とその反省点がみっちりと記されている。患者隔離に成功した好例として、国に報告書を提出する手はずだった。その仕事をサクラに振ったのは、他でもない、ナルト自身だ。テーブルの上で書類の端をトントンと揃えて、そっと角に置いた。
 身体が冷えるといけないので、火影の羽織を脱ぎ、サクラの上にそっと被せた。しばらく、このまま休ませておいた方がいい。部屋の隅に転がっている小さな丸椅子を運んできて、ソファの傍らに据えると、そこに浅く腰をかけた。身じろぎもしないサクラの姿は、明らかに疲労の色が濃い。頬にかかる髪を、そっと耳にかける。頬のラインが、やや細くなった。
 こんなにじっくりとサクラの顔を眺めるのは、火影になってからはじめてだった。目を覚ましたら怒られるとわかっていながらも、じっと見つめ続ける。伸ばしはじめた髪は、そろそろ背に届くほどの長さになった。輪郭は、少しシャープになったように思える。耳の形、鼻筋、まつげの長さ。変わってない部分もあれば、女になったなと感じる部分もあった。女の子から女の人へと変わっていくその過程を見届けることができるのを、最上の幸福だとナルトは思っていた。
 さて、自分はどうだろう?綺麗になっていくサクラにふさわしい男に成長しているだろうか。頼り甲斐のある男だと、そろそろ一目置いて欲しいものだ。いや、叱られて喜んでいるようじゃ、まだまだかな。自身の幼い行動を、苦笑する。
 次にこの部屋を訪ねる時は、扉をノックして、「入るよ」と一言添えてみよう。君の知らないところで男になっているんだぜ。そう意識させたい。サクラと喋る時、その瞳に自分の姿が映るまで距離を縮めてみるのはどうだろう。サクラが顔を伏せるまで、決して目を逸らさない。もしも視線を受け止めてくれたならば、しめたもの。そのままプロポーズに持ち込んでもいい。
 窓から吹く風に、桃色の髪が揺れる。その様が眩しくて、目を眇めた。もうしばらく、二人だけの時間を楽しんでいたい。願わくば、この部屋に誰も入ってきませんように。




2015/4/24