その朝



その朝




(注)「その夜」の後、一夜を共にした二人。




 ナルトが目を覚ましたのは、陽も昇りきらない早朝だった。最初に見えたのは枕の上に広がる薄桃色で、本当に一晩この部屋に居てくれたのだと寝起きの頭で思った。眠りに落ちる直前、もしかしたら朝を待たずに帰ってしまうかもしれないと身体を強く抱いたのは、サクラの言葉を疑ったわけではなく、その多忙さをずっと見てきたからだ。昼も夜もなく病院で働いて、その上で任務もこなすのだから、いくら医療忍者が手薄だからといっても、酷使が過ぎる。
 ナルトの身体が影になっているせいか、サクラは差し込む薄日に気づくことなく、すうすうと気持ち良さそうに寝息を立ていた。警戒心もなく寝入っている顔をしばらく見ていたが、そのうちにじわじわと感動のようなものが沸きあがってきて、触れたいと思う気持ちが強くなる。手の甲をこめかみにそっと滑らせると、サクラは身じろぎをした。
 昨夜、ナルトはサクラの身体を知った。ふくらはぎにうっすらと走る一文字の傷、日焼け跡のない柔らかな肌。そういったものをひとつひとつ丹念に辿って、なだらかな背中の美しさを目にした時には、この先もう二度と、この人を手放せないだろうと確信した。
「寝顔を見るなんて、悪趣味よ」
 伏せられていた睫毛がうっすらと持ち上がり、寝起きのまどろんだ瞳が自分を捉えるまでをしっかりと見届ければ、朝の挨拶もそこそこに小言を浴びた。布団を首元まで引き上げて、サクラは寝返りを打つ。
「うん、知ってる。けど、見ていたかったんだ」
 サクラの身体に左腕を巻きつけながら、悪びれもしない声でナルトが言う。任務で夜の見張りを交代する際、サクラを起こしに行くと、その寝姿に見入ってしまう時がしばしばあった。気がつくと数分経っていることもあったので、一緒に見張りを組んだ相手が「春野サクラは寝起きが悪い」と誤解をしているようならば、謹んで訂正をさせて頂きたい。すべてオレのせいです。
「愛してる」
「昨日、聞いた」
「まだ言い足りない」
「そういうの、外では言わないでね」
「どうして?」
「……苦手なのよ」
 照れ隠しにそっぽを向かれるのは、想定の範囲内。しかしサクラの言葉には、それ以外の含みがあった。ナルトは枕の上に肘をついて、サクラの流れる髪を梳く。
「オレが相手だと、面倒?」
「そうね。そういう一面もある。否定はしないわ」
 以前だったら、子供みたいに拗ねて「サクラちゃんはオレのもんだってばよ!」と声高に主張をしたがるところだが、今ならば、さもありなんと受け止められる。里の中枢に食い込むようになった自分の立場をナルトは理解していた。サクラとの関係が公になれば、仕事がやりにくくなるのは自分ではなくサクラの方だ。研究費の助成に口を利いたらしい、だの。次期火影にくっついていれば将来は安泰、だの。ナルトにもそれぐらいの噂は想像できる。
 ナルトは、そういった厄介事が降りかかるリスクを承知の上で自分を受け入れてくれたのが、嬉しかった。誰にも知られたくないとサクラが願うのなら、完璧にやってのけようと心に誓う。それがサクラに差し出せる愛の形だった。すぐに結婚を申し込んでも、きっとサクラを困らせてしまう。今は、ひっそりと身体を寄せ合って、新しく結んだ関係を深めていく時間だ。そんなのって、贅沢じゃないか?誰にでもなく、ナルトは呟く。
「オレ、案外、口堅いってばよ?」
「そうであって欲しいわね」
「永遠の片思いを気取るのも、得意だ」
 ナルトが笑えば、サクラは布団の中に収まっているナルトの手を取って、自分の頬に這わせた。もう、それは終わり。言葉がなくたって、艶っぽい仕草が雄弁にサクラの意思を伝える。
「でも、ひとつだけ、いいかな」
 耳元で囁けば、何?と目だけで問いかける。
「他の男が近づいてきたら、牽制していい?」
「会食以外は、全部断ってるわよ?二人きりなんて論外だし」
 サクラはおかしそうに笑うが、ナルトは大真面目だ。病院を出入りする人間は多く、忍ではない医療従事者や外部の薬師、たまにお役人の視察なども行われる。自分の知らないところで人脈を繋げていくのがおもしろくない、なんて器の小さなことを言うつもりはない。ただ、どんどん綺麗になっていくサクラを見て、落ちない男なんているものかと不安になる。
「今日、早いの?」
「ううん。今日はゆっくり。9時に病院に着けばいいって」
「そっか。まだ時間あるな」
「女の身支度は時間がかかるのよ。7時前にはここを出るわ」
 顔を持ち上げて目覚まし時計をちらりと見れば、残された時間は20分弱。なんとも名残惜しい。
「一緒にコーヒーでも、と言いたいところなんだけど、牛乳しかないんだ」
「じゃあ、もう10分早く出る」
「となれば、離れがたくしちまうのが賢明かな」
 そう呟いて、顔を近づける。昨晩、バカみたいに繰り返した結果、キスも少しは様になってきた。時間がないから、と避けられるかと思いきや、サクラも髪を混ぜ返してくる。細い指が髪を梳く感触に目を細めて、耳朶を食む。あと10分で手を離すのは無理な話だと、ナルトは悟った。
 7時より前に、この家からは出さない。




2015/4/4