夜、高台のベンチでナルトが一人座っている。それを同じ日に二人から聞いて、三人目がそれを報告してきた時、どこのベンチなのかを教えてもらった。その三人は、きっとナルトの身を案じていて、七班の班員だったサクラに報告したのも事情を聞き出せると思ったからだと推察できた。一応、気にかけてみます。そう返すと、目に見えてホッと表情を緩ませた。 外が真っ暗になり、夜の時間に入ったのを確認すると、サクラは病院を出た。教えられた場所は、火影屋敷の近くにある石段の途中。お年寄りを気遣って据えられたベンチだった。ナルトは、確かにそこに座っていた。生気の欠けた顔で、ぼーっと地面を見つめている。 サクラは、人ひとりが座れる距離を残して、その隣に黙って腰をおろした。 「なんで、いんの?」 「ちょっと、気になって」 「安心してよ。気が済んだら帰るから」 「ん」 サクラが素っ気なく返すと、会話とも言えないやり取りは終わる。白銀の光を放つ月は、ふたつの濃くて暗い影をベンチの前に映し、ゆらめくこともない。動く気配を見せないナルトを隣に置いて、サクラは黙ったまま、空を見上げていた。 「命日って、さ」 乾いた声だった。ちらりと視線を右に遣れば、手が力なくぶらりと両足の間に垂れ下がっている。 「知ってると、少しは気が休まるのかな」 ナルトの師匠が戦死したのは、ちょうどこの時期だった。遺体はない。墓もない。ナルトが、「墓なら別のとこにあるから」と綱手を説き伏せた。他ならぬナルトに言われては綱手も強くは出られず、結局里内に墓は作られないまま、今日にいたる。 「オレ、知らねぇからさ。この日だってわかってたら、手を合わせることぐらいできるのにさ。どっかで、一人で、死んじまった」 あの頃、16歳だったサクラは、立っている場所が違うとこんなにも言葉が出ないものなんだな、と強く打ちのめされた。あれから二年が経ち、知識や経験も積み重ねたというのに、相変わらずかける言葉を持たない。それでも、医療忍者として多くの別れを見送り続けた今、自分ではない誰か、とりわけ付き合いの深い人間が傍らにいるだけで癒される傷があるのだと理解をするようになった。 「……寒いから、帰んな」 「あんたが帰るんなら、帰る」 サクラは頑としてベンチから動かない。家のある方角に足を向けるとしたら、ナルトを自宅アパートまで見送った後だ。 「ここであんたを一人にしたら、私は絶対に後悔する。今日は、あんたのそばにいるって決めたの」 そう言ってサクラは右手を伸ばすと、だらんと弛緩した手のひらを包む。ナルトはたじろいで手を引っ込めようとするが、サクラが離さなかった。 「……ずるずる甘えるのが嫌なんだ」 今にも泣き出しそうな声で、ナルトが小さく言う。 「あんたは他人に寄りかかることを覚えればいいのよ。何かを失うことに、慣れたりしないで」 ナルトの手を引き寄せて、きつく握り直す。形にならない何かを繋ぎ留めたいとサクラがいくら願っても、ナルトの手に意思は宿らなかった。がらんどうを掴んでいるような手だった。 「あのさあ、サクラちゃん。オレ、もうガキじゃねえし、いっぱしに欲ってもんがあるの。オレの言う『甘え』ってのは、そういうことだよ」 ナルトは顔を持ち上げると、少し自虐的な笑みを浮かべた。 「帰んな」 するりと手が解かれて、ナルトはそのままどこかへ消え去ろうとする。暗くて寒いどこかに、その身を置こうとしている。 「あんたの家、こっちでしょ」 サクラはベンチから立ち上がって、ナルトを逆方向に引っ張った。このまま一人にするのは、あまりに耐え難い。魂に亀裂が走り、みしみしと音を立てて引き裂こうとする。形容しがたい痛みに顔をしかめた。 「行こう」 ナルトの身体は、びくともしない。忍術を使えば、いともたやすくナルトをこの場所から引き剥がせる。しかしサクラは、自らの力でナルトをこの場所から離したかった。せめて、家の灯りの下にナルトを導きたい。 「ほら、帰るわよ」 腕を強く引くと、キッと鋭い眼差しがサクラを貫いた。食いつかんばかりの勢いで、凄んでくる。 「夜に男の家に行くって意味、わかってんのか!?」 「そんぐらいわかってるわよ!」 ナルトの頭を両手で掴むと、さらに大きな声を被せた。ナルトの瞳には迷いが滲み、後ずさりをしかける。その動きを、サクラは許さない。 「……頼むよ、このまま帰ってくれ」 「どうして」 「オレは、サクラちゃんが思うほど頑丈じゃないんだ。情けないとこ見られるのは、つらい。オレにだってプライドがある。そんくらい、わかってよ」 「あんた、いまさら何言ってんの?」 泳いでいた目が、のろのろとサクラを見る。 「任務で失敗しては肩貸して、里まで引きずって、傷の手当までして。中忍試験であんたが気絶した時なんて、死ぬ思いで寝ずの看病したわよ。サスケくんを取り戻すのに失敗して、泣き崩れたあんたを叱ったのは?止まった心臓動かして、息吹き込んで、死にかけたあんたを連れ戻したのは?」 そんなものは、いくらでもすらすら出てくる。ドジばかり踏んでいた姿も、波の国でイナリに背を向けた途端に溢れ出た涙も、デートに誘いたいとチラチラこちらを窺う視線も、依頼書に記された漢字がわからなくて首を捻る横顔も、転びながらも前へ前へと駆けていく背中も、すべて知っている。 「みっともないとこ、全部見てんのよ。格好つけても無駄なの。私には通用しないの。くだらない見栄を引っぺがすなんて、簡単なの」 ナルトのまなじりに、涙が滲む。唇がわなわなと震えて、空気ごと揺れる。 「……本当は、泣きたい」 「うん」 「でも、誰にも言えない」 「うん」 「オレが折れたら、みんなガッカリする」 「そんなことないよ」 「涙なんて、絶対に見せらんねぇ」 頬を挟む手をそのままにナルトの頭を引き寄せて肩に乗せると、すぐに手はサクラの背中に回されて、忍服をぎゅうっと掴む。髪を撫でれば、その力はますます強くなる。 「もう、見せてるでしょ?」 肩口が濡れているのは、とっくに気づいている。堪えきなくなった嗚咽が、きれぎれに響いた。行かないで、とその手は告げていて、そばにいるから、と腕を回す。 ベンチの前でナルトは涙を流し、サクラはそんなナルトを抱き続けた。 2015/4/3
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