朝帰り



朝帰り




 ナルトがサクラの部屋に入ったのは、昨夜の10時過ぎだった。それから玄関の扉は閉じたままで、空が白みはじめた頃、ナルトは玄関扉を静かに開閉して階段を下り、着替えをするため自分の家に帰った。駆け出したくなる気持ちをぐっと堪えて、にやにやと笑い出しそうになる口元を引き締める。
 昨日の夜に起こったことを、誰かに言いたい。特に、べそべそと泣き言をもらしていたシカマルには、自分がどれほど紳士的かつ情熱的に夜を過ごしたか、ぜひとも聞かせたい。熱弁をふるいたい。しかし、サクラが嫌がる真似は絶対にしないとベッドの中で誓ったばかりだ。自分と関係を持ったのだと知られるのが気恥ずかしいという面もあるが、興味本位な視線が煩わしいのだろう。何を嫌がっているかを理解できるし、その気持ちを尊重したい。
 そういうわけで、昨夜の出来事は誰にも言えない。一から十まで独り占めできるのだと思えば、黙ったまま乗り越えられるだろうか。シカマルは口が堅いし大丈夫じゃないかと頭の中で誰かが囁くのだが、いやいやと頑固に首を振る。誰かに尋ねられても、「さあ、どうだろうね?」と余裕を見せつけてやろう。
 朝は気温がまだまだ低い。春霞の中に自分の姿を隠して、鼻をすする。その際、ついつい口元が緩んで、傍目にも気持ち悪いほどニヤけてしまった。




 午前中は部下二人と打ち合わせをして、午後の予定は次の任務で組む医療忍者との顔合わせだった。昼食をとった後、三人揃って木ノ葉病院に向かった。受付には話が届いているはずなので、そのまま通り過ぎる。
「そういやナルトさん、義手の感じ、どうっすか」
「かなりいいよ。定期的に検診してるしな」
「サクラさんっすか」
「そう」
「……そっすか」
「お前、サクラちゃんに治してもらいたいからって、変な怪我すんなよ?」
「オレ、そこまでバカじゃないっすよ」
 打ち合わせの部屋は、病院の二階にある。角を折れ曲がって階段を見上げると、サクラが踊り場に姿を見せた。なんというタイミングだろうか。そこらの忍者だったら慌てふためくはずだが、そこは百戦錬磨の二人だ。忍の顔を巧みに被って、互いに隙もためらいも見せない。それぐらいはお手のものだった。
 サクラに向かって片手を上げると、よく喋る部下と寡黙な部下が続けて会釈をする。サクラはそれに応えつつ、階段をおりていく。
「おう、お疲れ」
「ん、お疲れさま」
 ナルトはくるりと振り返り、サクラの話をしていた後ろの部下を見る。
「よかったな。お目当てだぞ」
 そう茶化してみると、口だけで「やめてください」と伝えてきた。階段のふもとで、サクラが横を通り過ぎる。踊り場の窓は開け放たれて、春の清々しい風がびゅうっと吹く。その風が運んだのは、春の気配だけではなかった。すれ違いざま、サクラの髪が揺れて、香りが鼻を掠める。その一瞬で、昨夜触れたサクラの姿が畳み掛けるようにブワーッと脳裏に蘇った。
 ナルトは、任務依頼書の束を派手に落とし、その足元に書類が広がる。
「……バカねぇ」
 呆れきった声で呟くと、サクラはその場にしゃがんでナルトの周辺に散らばった書類をササッとまとめた。ぐるぐる回るイメージを頭から追い出しきれないナルトは、ついつい昨夜の会話を思い出してしまう。
「あのさ、痛くない?動ける?」
 誰にも聞こえないように、こっそり耳打ちする。サクラは息を呑むと、勢いよく立ち上がって、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「人の職場でそういうこと聞く!?信じらんない!」
 ナルトの胸元に書類を乱暴に押し付けて、サクラは走り去った。
「サクラさんも、あんな声出すんですね」
 よっぽど意外だったのだろう、寡黙な部下が小声で呟いた。病院で患者に接する時のサクラは、柔和なお医者さんの顔をしている。任務で組んだ経験のない忍にとっては、それが唯一知りうるサクラの姿だった。
「ナルトさん、何言ったんすか!?あんだけ怒るって、尋常じゃないっすよ!」
「や……化粧っ気ねぇし……男日照りなら誰か紹介したろうかって……」
 寡黙な部下は仕方のない人だと言わんばかりに息を吐き、よく喋る方はブーイングを浴びせる。咄嗟の言い訳にしてはかなりまともだとは思うのだが、それを理解してくれる人間はここにいない。どこかに逃げてしまった。
「ないわー、ナルトさんマジないわー、そら怒るわー。てか、サクラさんに男紹介するんなら、オレにしてくださいよ」
「お前はダメ」
「なんで!」
「上忍に昇格してからにしろ。サクラちゃんの方が稼ぎいいんだから、ヒモ亭主って言われるぞ」
「それは……キツいっすね」
 誰が紹介するか、ボケ。そう言いたいところをうまく逃げた。サクラちゃんはオレのもんですよ、と吹聴して回った方がいいかもしれない。お許しを得たいところだが、その相手は口を利いてくれるかどうか。時間をかけてゆっくりいこう。覚悟を固めると、部下を引き連れて階段をあがった。




2015/3/21