楽しい酒が好きなのは一向に構わないが、飲みすぎた人間を介抱するのは医療従事者の役目と決めつける風習は非常によろしくないし、言語道断だと思う。
「サクラちゃんに優しく介抱してもらえよー」
 あんたにサクラちゃんと呼ばれる筋合いはない。そうキッパリ言い切ってやりたかったが、キバはナルトの頬をぺちぺち叩くと軽快に走り去っていった。にこにこ笑っているヒナタの隣でシノも赤ら顔でうむと頷き、二人はキバに続く。同じ班のよしみとサイを探せば、いつの間にか姿を消していた。医療ならば、いのだってお手の物。ところがいのは、シカマルとチョウジの間に挟まって、「よろしくね〜」と手を振っている。
 同期はさっさと店の前から離れていき、そうして残されたのは、へらへら締まりのない顔で身体を摺り寄せてくるナルトだけ。自分の要領の悪さを、サクラは恨んだ。次の飲み会では、絶対にさっさと帰ってやる。
「ねーねー、サクラちゃーん」
 ぐいぐいと肩を寄せるナルトと距離を置こうとするのだが、一歩避けると、一歩迫られる。それを何度か繰り返した結果、店の壁にぶつかって逃げ場所がなくなった。肩に回そうとする手を跳ね除ける。
「家まで連れてってぇ〜」
 今度は身体ごとサクラに向けて抱きつこうとするので、脇腹に当身を食わせてから腰に手を回し、家までの辛抱だとナルトを送ることにした。ナルトは言うまでもなく、まっすぐ歩けない。酔っ払いを運ぶのに忍術を使うなんて、馬鹿馬鹿しい。あっちへこっちへふらふらする足元をどうにか軌道修正しつつ、いつもより倍の時間をかけてナルトを歩かせて、最大の難関である階段を前に立ち止まった。
「いい?足ちゃんと上げてね?」
「んー」
 こくこくと頷くのを受けて、一歩ずつ階段をあがる。途中にベンチが据えてあったのは幸いだった。そこでいったん休憩しようと決めて、ナルトの忍服ごと腰元を持ち上げる。気を抜くと足を止めてしまうので、叱咤するのを忘れない。
「ちゃんと、歩きなさいよ!」
「んー」
 やはりこくこくと頷くのだが、絶対に聞いていない。何もかもが嫌になり、ようやく辿り着いたベンチへどさりとナルトの身体を放った。こいつ、どうしてくれよう。あたたかな夜で、この場所で一晩過ごしたとしても、風邪を引くとは思えない。ベンチに置いて帰っても、誰も文句を言わないだろう。店に迷惑をかけてはいけないと、ここまで運んでやったのを感謝してもらいたいぐらいだ。
「ここ、似てる……」
 唐突に、ナルトが呟く。ふにゃふにゃした声ではなく、酒の入ってない状態と変わらぬ様子だった。
「エロ仙人が死んだって聞かされた日にさ、アイス食ったんだ。そのベンチに似てる。オレ、何もできなかったなぁ……何も返せなかったなぁ……」
 ベンチに座ったまま、ナルトはさめざめと泣きはじめた。思わぬ展開に、サクラは慌てふためく。人目も憚らずに泣く姿は、見るからに酔っ払いだ。しかし、師匠を悼んでいる気持ちは本物で、だからこそ狼狽している。任務から離れてしまうと、人を慰めるのが途端に苦手になり、しかも相手がナルトとなれば、どんな言葉をかけていいかわからない。
 涙をすすってしゃくりあげる声が、サクラの胸を軋ませる。
「あんたは……よくやってるわよ」
 視線を地面に固定したまま、ぼそりと零した。こいつはどうせ酔ってるんだから、明日になれば全部忘れてる。そう思うことで吹っ切れたサクラは、たまに沈黙を挟みながら、ナルトが普段いかに頑張っているか、それを見て自分がどれほど励まされているかを語りはじめた。
 訥々と話し続けていると、ずるずると鼻をすする音が次第に小さくなり、ナルトは忍服の袖で涙を拭った。
「私は、師匠から引き継いだ術もあるから、たぶんあんたより先に死ぬことはないだろうし……死に水ぐらいは取るから……」
 ちらりと隣を窺えば、目元が赤い以外は平素と変わらぬ顔をしている。そろそろ動いてもいい頃合いだと判断し、ベンチから身体を引き上げようとすれば、ナルトを自らの意思で立ち上がった。
「歩けるの?」
 こくんと小さく頷いてから、ナルトは先に歩き出す。ベンチで休んだおかげで酒が抜けたのか、よろよろと左右に揺れることもない。とはいえ、弱音を吐く姿を見てしまうと心配になる。サクラは迷ったが、結局ついていくことにした。
 階段をのぼるナルトの背中を目で追って、部屋の扉が閉まる音を確認すると、サクラは帰路につく。あのナルトが涙を流すのを見たのは、サスケを追うのに失敗して泣き崩れる姿が最後だ。大戦後の精悍さを増した姿は涙とはまったく無縁で、大人びた所作を見せるようにもなっていた。それが、あんなにも子供みたいに泣くなんて。
「……堪えるなあ」
 夜道を一人歩きながら、息を吐いた。




 同期の飲み会が開かれた翌日、ナルトは二日酔いの身体を引きずって、図書館に向かった。飲み会でラストオーダーを頼んだところで時間が飛び、気づいたらベンチで泣きじゃくっていた。その醜態は赤面もので、記憶をすべて消去してしまいたいと思ったが、サクラからもらった言葉を忘れていないことだけは感謝した。ぽつぽつと紡がれたサクラの声は、今後の支えになるだろう。ただ、ひとつだけわからない言葉があった。たしか、シニミズを作るとか汲むとか言っていたはず。
 分厚い辞書を引っ張り出して、まずはシニミズという言葉を調べる。該当項目を探してみたが、意味がよくわからない。ただ、その後の用例に、「死に水を取る」と記されていた。そうそう、これだ。目当ての言葉を見つけて気持ちが軽くなるが、その説明文を読み取れない。辞書で調べたことを、また辞書で調べる。こんなにも遠回りをしているが、はたして理解ができるのか。不安に襲われながら辞書をめくっていると、「人生のおわりまで付き添う」という意味だとようやくわかった。その言葉が、じわじわと胸に染みる。
 もしかして、オレと一緒に生きてくれるんだろうか。
 医療忍者だから、治療に責任を持つということかもしれない。しかし、あの時のサクラの言い回しは、医療忍者という立場ではなく、春野サクラ個人の意思が感じられた。いや、そう受け取りたいだけなのか。
 サクラがどういう意図でその言葉を口にしたのか。それを確かめる術は、サクラに直接尋ねる以外にない。その勇気を持てるだろうかと、ナルトは自問自答した。




2015/3/12