愛しの旦那さま



愛しの旦那さま




(注)ナルトが噺家で、幼馴染の春野さんと結婚しています。ふざけた話です。
春野さんは大学で綱手さまに師事した後、そのまま研究室に残ってる設定になってます。




 ナルトが、キャバクラに行きたいのだという。
 改まって正座をするものだから、小遣いの融通でもお願いするのかと思いきや、オネーサンのいる店に行かせて欲しいと真顔で訴えかけてきた。接待かと尋ねれば、どうも違うらしい。そりゃもう背水の陣って言葉が思い浮かぶぐらいの悲壮さを浮かべて、「潜入取材なんだってばよ!」とサクラに言い聞かせる。そんなものは内緒でこっそり行けばいいのに、いちいちお伺いを立てるのが、愚直というか健気というか。
 ナルトが空き時間を使って新作の噺を練り上げているのは、サクラもよく知っていた。今回は艶笑噺だというし、そういう色気のある場所を見て回るのも必要なのだろう。昼飯にと持たせている弁当をかきこむ間も、常にメモ帳とにらめっこしているのだと伝え聞いた。「片手が使えるし、おにぎりかサンドイッチに変えようか?」と提案したのだが、箸で米が食いたいから弁当のままでいいと言われた。ナルトは、好きな食べ物を問われると必ず「白米」と答える筋金入りの米好きなのだ。
 ともあれ、ナルトは今日の夜、キャバクラに行く。場所は道玄坂。都内ならばどこでもスイスイ自転車で移動する男で、店にも自転車で行くのだと言っていたが、頼むから電車を使って欲しいとサクラは懇願した。そういう店で楽しむのはいいが、電車賃さえ渡さない鬼嫁と他人に思われるのは耐え難い。前日夜から準備に余念がなく、何冊目かになるネタ帳と100円ボールペン(書き味が気に入っているのだそうだ)を懐に忍び込ませて、店の女の子と交わす会話をシミュレーションしていた。それを横目に見ながら、何やってんだかと少し呆れたのは、ナルトには秘密だ。



 朝にナルトを送り出して、その日は定時まで研究室に詰めた。それから子供を保育園まで迎えに行って、ご飯を作って食べさせて、その後はお風呂に入らせて。その間、サクラは頭のどこかでずっとナルトのことを考えていた。今頃は、お店に入ったかしら。お酒そんなに飲めないんだから、無理をしないといいんだけど。持たせたお金、足りなかったらどうしよう。とまあ、始終そんな様子だった。
 子供が寝付いたので、お茶を啜りながら夜のニュースを見ていると、玄関からガタガタと物音が聞こえてくる。郵便受けから何かを抜き取る音だ。素早く立ち上がると、サクラは小走りで玄関に向かった。
「ただいまぁ〜」
 玄関扉がカラリと開いて、スーツ姿のナルトが帰ってくる。挨拶回りのために買ったスーツなのだが、なんだかんだで普段も使うことがあり、カジュアルなスーツを一着買わなきゃいけないと思いつつ、ずっとそのままだ。
 扉を閉じて、ナルトがサクラを見る。店の女の子にちやほやされて上機嫌かと思いきや、その表情はなぜかげっそりしている。
「……なんか、疲れてない?」
「そりゃ疲れるさ〜。お仕事だもの。風呂入ってくるわ」
 本当に取材だったんだ、とサクラは思う。羽を伸ばしたいという気持ちがどこかにあるのかな、と考えていたのだ。結婚も早かったし、子供ができてからは遠出もしなくなった。今の生活が窮屈なのかな、と少しだけ不安だった。
「お金、足りた?」
「ギリギリだけど、足りた。席についた女の子が、まあ飲むわ飲むわ。最後の方は勝手に注いでんだもん。止めるのもアレだしさ。なーんであんなに酒強いんだろ?」
「それが商売なんだから、強くもなるんじゃない?」
 サクラは、なんとなくナルトの後ろについて風呂場の手前まで歩いていく。
「人生で一番高いポッキー食ったよ……チーズとクラッカーがちょびっとついてんの。値段メモったから、後で見せるよ」
「そんなのは、別にいいんだけどさ」
「だけど、何?」
 なんでそんなに疲れてるのよ、と言いたいところをぐっと堪える。なにせ、一席設けた後よりもくたびれた様子だ。それに、はしゃぎすぎで疲れている線も、まだ消えていない。さすがにその手の話を聞くのは辛かった。
「取材って、女の子に話聞いたりとか、そういうの?」
 汚れ物を入れる籠の蓋が開く軽い音がして、続いて衣擦れの音。
「それよりも、店の内装とか、雰囲気とか、他の客がどんな話してるのか、主にそっちの方」
「じゃあアンタ、無言だったわけ?」
「いやー、静かな客だったよー。最初に挨拶と世間話ぐらいはしたけどね。それでもさ、オネーサンは客を褒めるのが仕事だから、大変だなーって思った。オレ、ボールペン褒められたのはじめてだってばよ」
 言い換えれば、それぐらいしか褒める場所がなかったということか。顔はまあ、愛嬌のある方だと思う。それに喋りならば、そんじょそこらの芸人にも負けないはずだ。電車やバスを使うと、自然と耳に入ってくるナルトの話が面白いものだから、他の乗客が吹き出すのをこらえている姿を見るのはしょっちゅうだ。しかし、今回は無言となると、アピールポイントは確かに少ない。もっと喋ればよかったのに、とサクラは思う。
 シャワー扉が開いたので、スーツを回収すべく脱衣所に入った。スーツには、タバコの匂いが少しだけ染み付いている。シャツと一緒にクリーニングに出すことに決めて、脱衣所を出た。
 あれこれと家事を片付けていると、とっくに夜のニュースは終わっていて、深夜バラエティの時間帯になっていた。がやがやうるさいので、リモコンを手に取ってテレビを消す。冷めてしまったお茶を喉に流して、新しいお茶をいれようかと茶筒を手にすると、風呂から出たナルトがサッパリした顔でリビングに入ってきた。手に持っているのは、携帯と紙状の何か。サクラに向かって、こっちこっちと手を招く。
「何よ、どうしたの?」
「あのね、これね、お店の人からもらった名刺」
 ナルトはそう言って、これからカードゲームをはじめるみたいに名刺を床に広げた。これは自慢だろうか。
「全部サクラちゃんに預けるから、好きに処分しちゃってください」
「えー?」
「何だよ、えーって」
「人の名刺を捨てるってのは、あんまり気分のいいものじゃないわよね」
「じゃあ、オレの見えないとこにしまっておくといいよ。続いて、携帯開けまーす」
 ナルトは高らかに宣言して、大事に大事に使っている古い携帯をパカリと開く。基本料金が高いこともあってスマホには変えず、二人ともガラケーで貫き通している。
「席についてるオネーサンに登録されちゃったのね。これが、その名前」
 明らかに源氏名だとわかる名前が登録されていて、携帯電話とメールアドレスが記されている。営業お疲れ様です、と頭が下がる思いだ。
「削除ボタン、押して?」
「……はいはい」
 それらしい名前と店のアドレスを削除して、知らない名前が他にあるかどうか、アドレス帳を再度確かめる。
「これで、削除できたと思うけど」
「はい!これで元通りだってばよ!」
 ナルトは、肩の荷がおりたように、ニカリと笑った。
「オネーサンのいる店は、もうオレわかんないかんね。行かないかんね。お父ちゃんに戻るからね。仲直りのひざまくらー」
 まだ髪も乾かしていないというのに、ごろんとサクラの膝に頭を乗せてくる。無邪気なその表情に、うっすらと罪悪感らしきものが芽生えてくる。サクラは、ナルトの濡れた髪を梳きながら、口を開いた。
「……ごめんね」
「え?なんで謝んの?」
「私、少しだけ疑ってた。たまにはそういうとこに行って楽しみたいのかなって」
 ナルトは少し首を傾けて、へにゃりと笑う。困った時によくする表情だ。
「まあ、普通はそう思っちゃうよね」
「でも、ここまでしてくれると、そんな気持ちにはなれない。家族を大事にしてくれて、ありがと。すごく嬉しい」
「怒ってない?」
 ナルトが目を開けて、下から覗き込んでくる。怒ってないと答える代わりに、その額を手でなぞる。ナルトは気持ちよさそうに口元を緩めた。
「お父ちゃん、か」
「そうだよ、お父ちゃんだよ」
「今日は、旦那さまって呼びたい気分」
「なんか、背徳の匂いがするってばよ」
「あら、嫌い?」
「……実は好き」
「アンタ、昔から年上の女の人に弱かったもんね。中学二年の時に副担任だった英語の先生、気になってたでしょ。先生になりたてで、初々しかったなー。それに、すごく可愛かった」
「あ、あれは、違うってばよ!みんなが騒いでるからオレも乗っかっただけで!オレは今も昔もサクラちゃん一筋!」
「ふーん、本当に?」
「どんだけ愛しても届かないってのは、辛いもんだね」
 ナルトはサクラの頭を片手を抱えると、その唇を啄ばんだ。
「……もう寝た?」
「今日はよく遊んだから、起きないわね」
「そんじゃ、仲直りの第二部ってことで」
 ナルトは床に片肘をついて上体を持ち上げると、深く口付ける。サクラもそれを素直に受け取って、愛しげにナルトの頭を抱いた。唇を啄ばみながらナルトが起き上がり、座ったまま二人は抱き合う。風呂に入りたてのナルトからは、いつもと同じボディーソープの香りがして、店の女の子がつけている香水の匂いは、綺麗に消えていた。着ている寝巻きの薄い生地すらもどかしくて、舌を絡ませて互いに肌を求め合う。このまま寝室まで直行だ。
「愛してくれる?旦那さま」
「……もちろん、よろこんで」




2014/09/19