(注)以前書いた「攫」の続きです。




 両手いっぱいの荷物をいったん上がり框に置いて、サクラは靴を履く。紙袋の中身は煮物や消耗品で、「容器は返すのよ!」と言って手渡された。実家に顔を見せる機会を作ってやろうと、母なりに考えているのかもしれない。
「お邪魔しましたってばよ!」
「たいしたおもてなしもできなくてごめんねえ!」
「用無しにならないように、今度は洋梨でおもてなし。なんつって、なんつって!」
「やだー、お父さんったらー、もー!」
 サクラが靴を履いている間も、背後で三人は楽しそうに笑っている。どっと疲れて、ついつい出そうになる溜め息を押し殺した。この空気にはまだ慣れないが、両親はナルトのことが大好きで、ナルトも両親と会うのを楽しみにしている。それがわかっているので、サクラは必ずナルトを伴って実家の玄関を潜ることにしていた。ちょっとはしゃいでる様子の両親と、嬉しそうに相槌を打つナルトを見ていると、サクラ自身も両親にもっと優しくしようと思えるので、良い循環が生まれている。
 荷物を持とうと手を伸ばせば、ナルトがひょいっとそれらをまとめて掴んだ。見ればサンダルはもう履き終えていて、「行こう?」とその目が言っている。スマートな振る舞いをナルトに仕込んだのはサクラだが、そういうのを見せるのは自分だけにして欲しいと思う。つまり、嫉妬深いのだ。
 ナルトとサクラが揃って家を出ると、両親は外まで出てきて、二人を見送った。曲がり角を折れるまで、ナルトはぶんぶんと手を振っている。そのうち、「お義父さん、お義母さん」と呼ぶようになるのだろう。ずっと前から、お互いに「そういう相手」はもう現れないだろうと思っていて、そろそろ運命というやつに身を委ねてみようかと、結婚式の準備を進めていた。両親のいないナルトは、サクラの実家を訪れて、二人が一緒に住む家や式の段取りなどを話し合っている。
 サクラの両親は、昔からナルトの悪口を言わなかった。サクラはナルトに対して興味が薄く、イタズラ小僧だから厄介者扱いされているのかと思うぐらいだったが、年を経るごとにその複雑な生い立ちを理解するようになった。そうして思い知らされたのは、自分の矮小さだった。口うるさく注文をつけてくる母と、くだらない駄洒落ばかりを口にする万年中忍の父。二人とも、ナルトが同じ班に編成された時、顔色ひとつ変えず、一切口を挟まなかった。自分の両親を侮っていたのだと気づき、そんな自分を恥じ入ると共に、二人を心から尊敬した。
「あー、楽しかったー!」
「あんた、駄洒落なんかにいちいち付き合わなくたっていいのよ?」
 最近ナルトはネタ帳を作って、思いついた駄洒落を書き留めていたりする。そうして、実家で父と駄洒落遊びに興じるのだ。笑っているのは母だけで、サクラは沈鬱な表情をしていたりする。
「えー?駄洒落って、面白いよ?オレさ、難しい言葉あんま知らねーから、勉強だと思ってんの」
 さらりと答える口ぶりから察すると、それは本音のようだった。実際、とても楽しそうにしているし、会話の途中で駄洒落をひらめいた時のナルトの表情は、案外可愛かったりする。
「それなら、いいんだけど」
「親父さん、よくあんなにポンポン出てくるよな。オレってば、考え込むと出てこなくなっちゃうんだよなー。サクラちゃん、頭いいし向いてるんじゃないの?」
「……冗談でしょ」
「そんな嫌そうにしなくても……」
「四六時中聞いてたら、嫌にもなるわよ。うんざりだわ。あんたさ、子供にそういうこと教えないでよ?」
 ナルトはきょとんとした後、ちょっと照れた笑みを浮かべて、「うん」と言葉少なに返した。そして照れ隠しなのだろう、紙袋をガサリと持ち直す。その後は、なんとなく二人とも黙ったまま、アパートを目指した。
「オレさあ、サクラちゃんの家に婿養子に入ろうかなあ」
 突然ぽつんと落ちた言葉に、サクラは伏せた視線を持ち上げてナルトを見る。ナルトが婿養子という言葉や制度を知っていたことに驚いた。また紙袋を持ち直して、ナルトは続ける。
「そうすっとさ、サクラちゃんは『春野サクラ』のままでしょ?オレってば、サクラちゃんの名前の響き、スッゲー好きなんだよね」
 ナルトは、反応を窺うように、ちらりとサクラを見遣った。
「春野ナルト。ダメかな?」
「……ダメでしょ」
「えー、そう?」
 すぐに否定されたのがショックだったのか、ナルトは情けない声を出す。
「うずまきナルトって名前が世界中に知れ渡ってるんだから、そこを変えるのはどうかと思う」
「そっかー、ダメかー」
 さらなるダメ出しに、ナルトはガックリと肩を落とす。眉が八の字だ。
「でも、まあ、考えてくれてありがとね。私は、うずまきサクラでいいわ」
「お、それ、もっかい」
「うずまき、サクラ?」
「へへ、いいなぁ」
 ナルトは、やに下がった顔で言う。バカじゃないのかと呆れるけれど、不思議な響きだとサクラも思う。名前が変わることに、抵抗はない。結婚を決めた時に、これからはこの名前で生きていくんだな、と受け入れた。何しろ昔は可愛いお嫁さんになるのが夢で、いつか自分も違う名前になるのだと当たり前のように思っていた。「春野」から「うずまき」へ。きっと、言い間違いと書き間違いを何度も繰り返しながら、この男と家族になっていく。
 名前が変わるなら、判子を作り変えなきゃいけない。明日の昼ごはんを終えたら、判子を作りにいこう。まだデレデレ笑ってる隣のバカを小突いて、寒空を歩く。




2015/1/12