身を引き裂かれるような恋がしたい、といのが言った。場所は、木ノ葉病院のとある一室。サクラは今、情報部からの要請を受けて、分厚い報告書をチェックをしながら、新種と思われる毒の成分を探っているところだ。詳しい検分は部下に任せるとして、アタリはつけておきたい。 「出会いは、そうねぇ、見初められるってのは確定よね。私ほどの美貌の持ち主には、そうそう出会えないわよ」 人に仕事をさせておきながら、何を寝ぼけたことを。内心そう思うサクラだが、この報告書を精査したのは他ならぬいので、休憩がてらサクラの元に運んできたのだった。毒薬ならば、春野サクラにお任せあれ。微妙にありがたくない称号を冠に頂いている以上、「解析できませんでした」は通用しない。恐ろしい勢いで報告書を捲るサクラを他所に、いのはすっかり冷えたお茶をずずっと飲んで、はあ、と息を吐く。 「いっそ攫われたい」 「あんた、相手は自分で見つけるんじゃないの?よく出来た婿養子を探すんだって普段から言ってるじゃない」 右手に持っている万年筆は、滑らかに動く。資料を読むと同時にメモを取るのは、サクラの特技だ。 「それとこれとは別。『木ノ葉なんかに君を置いておけない!二人で逃げよう!』とか言われたい。むしろ私から言う。一緒に逃げようって言う。今、口に出して言いたい言葉、ナンバーワン。いっそ永遠にナンバーワン」 「つまり、書類仕事から逃げたいわけね」 「あー、つらい。優秀って、つらい。目を通さないといけない書類、わんさとあるのよ。逃げたいわー」 逃げるつもりもないくせに、逃げたいと口にする。いのから噂を聞いていた熊みたいな風貌の担当上忍を思い出した。弟子は師匠に似るのだろうか。脳裏に浮かぶのは、いつも眠そうな目をしている遅刻魔の元担当上忍で、似ている部分はない。と思いたい。私の師匠は綱手様だし、と不穏な考えを振り払う。 「情報収集ならいっくらでもやるからさー、窓もない部屋からかっさらってくれないかなー。そんで、里を出る前に踏みとどまる。『ごめんなさい、やっぱりあなたとは行けないわ!』って涙ながらに言いたい」 「それがロマン?」 「そうよ、ロマンよ」 実際、ロマンなんだろうな、と思う。一族の当主になることは生まれながらに決まっていて、大戦後は婿養子を取るのだと公言して憚らなかった。その頃にはきっと、アカデミー時代から抱えていたサスケへの恋心とは決別していたのだろう。いのはいつも、清々しいほどに潔い。自分が当主になるという意識は、おそらくシカマルやチョウジとは比べ物にならないほど早い時期から持っていた。女として、忍として、いのはいつもサクラの前を走っている。あんたこそが、永遠にナンバーワンよ。サクラは心の中で賛辞を送る。 「イイ男にかっさらわれたい願望なんて、私、とっくの昔に捨てたわよ」 それでも出てくるのは憎まれ口で、いのとは一生ずっとこんな調子で付き合っていくんだろう。 「あんたは次期火影をつかまえたんだから、捨てていいでしょー。せいぜい大事にしなさいよ。晴れの舞台では、ライスシャワーぶつけてやるわ」 「神前式だから、ライスシャワーはないわよ」 「手持ちよ、手持ち。和装だろうが洋装だろうが、構うもんですか」 頭に思い浮かべてみるが、その絵面はまるで節分だ。ものすごい形相で米粒をぶつけてくるのだろうか。どっちが鬼だかわかりゃしない。よっぽど鬱屈が溜まっていると見える。 「となると、洋装にするんだ」 「それはさすがに浮くだろうから、着物にする」 「髪は?」 「結い上げようかな」 「こないだ見た髪飾り、買っちゃう?」 「うーん、完全に予算オーバーなんだよねー。着物って、小物に凝るといくらでも札が飛んでくのよ。ま、他でもないあんたの結婚式だ。一張羅でめかし込んでみるかな」 「……と、これでよし」 動き続けていた万年筆が、そこで止まる。考えられる限りのパターンは出した。あとは、部下に検証をしてもらうことにしよう。 「なによ、もう終わったの?仕方ない、戻るかー」 返事代わりに、報告書の上にメモを重ねてむんずと掴むと、いのに向かってそれを差し出す。いのは、気だるそうにソファから立ち上がると、机に歩み寄って報告書の束を掴む。サクラが手を離そうとした、その瞬間。 「ま、末永くお幸せに」 「……どうも」 踵を返すと、いのは報告書を抱えて部屋を出て行った。しんと静まり返った部屋の中、サクラは自分の身の上を振り返る。生まれながらに持ち合わせた忍術も特殊能力もなく、派手な名前に取り囲まれた幼い時分にはコンプレックスさえ抱いていたが、努力さえ怠らなければ上忍まで駆け上がることも可能だと周囲に知らしめた。血統第一主義の連中に煮え湯を飲まされてきた忍たちの目は好意的で、火影にもなれるんじゃないかと噂が立っているのは、サクラも知っている。 人々に夢を抱かせる存在になれているのだとしたら、なんとも誉れなことだ。冴えない一族に生んでくれた両親に感謝をしよう。あ、最後なんか皮肉っぽくなった。 「……手紙でも書こうかな」 結婚式の当日に、いっちょ泣ける手紙でも渡してみるか。引き出しからストックしてある裏紙を取り出して、早速草稿を練る。両親に、一通。未来の旦那さまに、一通。あとは、いつも自分を引っ張ってくれる最高の親友に、一通。 結婚式まで、秒読みだ。 2015/1/4
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