合鍵



合鍵




 サクラからアパートの合鍵を預かったのは、二人が付き合いはじめて三度目の秋を迎えた頃だった。とにかくすれ違いばかりが続いていて、式でも飛ばさないとお互いの安否さえわからない。そんな状況を憂いていたのはナルトだけではなく、先に動いたのはサクラの方だった。わざわざアパートの管理人の承諾を得て合鍵を作り、「時間があったら顔を見せて」の一言を添えてナルトに鍵を手渡した。それ以来、ナルトは鍵穴に通した紐を首にぶら下げて、肌身離さず持ち歩いている。
「お邪魔しますよーっと」
 玄関扉を開けると、ナルトの住処よりは整っているが、女の住まいとしては少々華やかさに欠ける内装が、目に入ってくる。実家暮らしの時もそうだったらしいが、部屋に置いてある家具は、姿見とクローゼットとベッド、それに文机にもうひとつ。ひときわ目を引く大きな書棚だった。
「あーらら、また山積みか……」
 書棚の中は、半分しか埋まっていない。その代わり文机の脇には、地震が起きたら埋もれて窒息死してしまいそうなほどの書物や資料が絶妙なバランスで積みあがっていて、それを丁寧に書棚の中へ仕舞っていくのがナルトの仕事だった。「都合がいい時に顔を見せて」から、「勝手にあがっていいから」へと考えが移るまで、それほど長くはかからなかった。ナルトは時間ができるとサクラの部屋に足を運び、こうして部屋の片づけをしている。
 サクラが片付けのできない女かといえば、そういうわけではなく、病院の机周りはとても綺麗だ。仕事の効率が悪くなるからと、本や資料は順番通りに棚の中、読み終えたらすぐに仕舞う癖がついている。医療に携わる者は清潔感が大事だとばかりに、身だしなみはきちんと整えているし、洗濯物が干しっぱなしになっているところを見たことがない。おそらく病院のスタッフは皆、サクラのことをしっかり者だと思っている。
「……と、鋏置きっぱなしじゃねーの。あっぶねえなあ」
 切り抜いている途中で眠気にでも襲われたか、雑誌の記事と鋏が床に置かれていた。この部屋を見たら、みんなはどう思うんだろうな、とナルトは時々想像する。部屋のあちこちに物が散らばっていて、この間なんて読みかけの本がなぜか洗濯機の上に置いてあった。あとは、輪ゴム。掃除をしていると、必ずどこかしらから出てくる。勝手に湧き出るわけでもなし、どうして輪ゴムがこんなにも散乱するのか、ナルトは不思議でしょうがない。
 切り抜き作業が途中になっている雑誌をつまむと、ベッドの下に本が転がっているのが見えた。床に身体を這わせてそれを取ると、今度は栞がその奥から出てくる。
「ったく、しかたねーな、サクラちゃんは」
 ナルトはくしゃりと笑って、一番最初のページに栞を挟んだ。サクラは、ナルトに対して開けっぴろげで、気取らない。その自然に寄りかかる感じが、とても愛しかった。小奇麗に整頓したサクラの仕事部屋よりも、普段の生活が垣間見えるこの部屋の方が、ずっとずっと好きだ。
 サクラは気づいているだろうか。少年期を脱していない下忍たちが颯爽と動くサクラに釘付けになっている姿を眺めながら、「お前らの知らないサクラちゃんをオレは知ってるんだぜ」とひそかな優越感を抱いていることを。きっと、あの下忍たちは、この部屋の景色を一生見ることはない。自分以外の人間が片付けをしている痕跡を見つけたら、ナルトは容赦なくそいつを見つけ出すだろう。
「あれ、鍵あいてる……」
 玄関ドアの隙間から、サクラの呟きが聞こえてきた。折りよくサクラが帰ってきたらしい。三週間ぶりに会うのが部屋の中、というのも妙な話だ。
「おー、サクラちゃん。久しぶり。勝手に入ってるよー」
「ああ、来てたんだ。わー!すごい!綺麗になってる!」
 サクラは部屋に入るなり、顔を輝かせた。普通ならば「勝手に物を動かすな!」と怒られそうなものだが、綺麗になったと喜ぶのだから、サクラもたいがい暢気だ。タンスを勝手にあけるはずがないという信用と、触られて困るようなものはないという自負があるのだろう。それもまた、ナルトにとっては心地のよいものだ。
「この本、読みかけじゃないの?」
 ナルトは、先ほど発見した本を掲げて、サクラに見せた。
「あ!それ探してたのよ!どこにあったの?」
「ベッドの下」
「あー……寝ぼけてたな、私」
 弱りきった顔で、サクラは力なく笑った。
「とりあえず、机周りは片付けたってばよ。風呂場とトイレはあとでやってね」
 この部屋には不可侵領域が二箇所存在していて、そこにはナルトも手を出せない。頼まれたら喜んで請け負うつもりだが、今のところそんな気配はなかった。
 サクラは、綺麗になった部屋をきょろきょろと見渡しながら、中に入る。そして、タンスの上を掃除しているナルトの真正面に立つと、ドン、と身体をぶつけて、ナルトの肩に額を乗せた。軽い体当たり程度では、ナルトはびくともしない。サクラに触れるでもなく、突っ立ったままだ。
「何よ、このまま棒立ち?」
「触ったら、ベッドに直行だけど、いいの?」
 サクラは、しばらくそのままでいたが、肩に軽い頭突きを食らわせると、身体を離した。
「お風呂入ってくる。着替え出すから、後ろ向いてて」
 サクラは、ニヤリとするナルトに呆れた顔を見せると、力任せに背中をぐいぐい押して窓辺に追いやった。
「外でご飯食べようって話。あんた、これから予定あるの?」
「ないから、ここに来た」
「そ。じゃあ何食べようか。一楽以外で考えといて」
 タンスの引き出しが閉まる音に続いて、サクラの気配が遠ざかる。そろそろいいか、とナルトは身体をくるりと反転させる。若干くたびれた感のあるサクラの背中が見えた。
「その後は、どうすんの?」
「店を出てから、考える」
 ピシャリと断るでもなく、サクラは視線をちらりと流して、軽く笑った。そっちから、その気にさせなさい。サクラはそう言っている。挑戦状を叩きつけられた気分だ。雰囲気を作ろうとして失敗した挙句、サクラに大笑いされた経験もある身としては、ビシッと決めたいところだった。
「オレの着替え、タンスの中?」
「……必要な時に、出したげる」
 自分の居場所はここにあるかと確認すれば、返ってきた感触は悪くない。せっかく巡ってきたチャンスを是非ともモノにして、再びこの部屋に戻ってこようではないか。ナルトはベッドに寝転がり、鼻歌をうたいながら、どの店にしようかと考えを巡らせた。




2014/12/8