当主



当主




 いのは、やまなか花店の看板娘だ。物怖じしがちな性格だが、花が好きな気持ちは人一倍で、花のことになると夢中で話をする一面もある。いのと話をするのが好きな客は思いのほか多く、ぶらりと立ち寄る常連も一人や二人ではない。いのは、皆に愛されていた。
 店に立つようになったのは、アカデミーに入りたての頃、親戚相手にも人見知りをするほど引っ込み思案な娘を慮ったいのいちが、店番をいのに任せたのがきっかけだった。父も母もいない、自分ひとりの店。きっと泣き出すに違いないと隠れてこっそり窺っていたいのいちだったが、そんな期待を裏切るように一人娘はお客におずおずと近づき、「いらっしゃいませ」と顔を真っ赤にしながらもきちんと応対した。それ以来、立派に店番を勤めている。
「ありがとうございました」
 深く深くお辞儀をして、感謝の意を伝えてから、顔を上げる。今日は、いのいちが里の外に出払っているため、いのが一人で店を切り盛りしなければならない。テキパキと動けるわけではないと自覚しているので、時間をきちんと計算して、作業の手順をいつも決めている。やることは、山積みだ。
「いのー!今日、店番だろー!遊ぼうぜー!」
 いのが店番をしている時、どこからともなくやってくるのは、シカマルだ。真面目に修業をしているチョウジの周りをうろちょろするのに飽きると、必ずいののところにやってくる。
「シカマルくん、今はね、来てくれるお客さんが一番大事だから、遊べないんだよ?シカマルくんとおしゃべりしている間に、お客さんが帰っちゃったら大変でしょ?」
 いのは、小さな子供に言い含めるように説明する。ちなみにこのくだりは、寝言で呟いてしまうほど染み付いている言葉で、いのはそのたびに「今日もシカマルくんにわかってもらえなかったなあ」としょんぼりする。我慢強く物事に取り組むのは得意なので、いのはわかってもらえるまでずっと言い続けるつもりだ。
「じゃあさ、お客がいない時は遊べるだろ!」
「ダメだよ。やることがたくさんあるんだから。並んでるお花の手入れをしたり、明日のお花を頼んだり、今日はどれぐらいお花を買ってもらえたかなって計算したりするんだよ」
「……しゃべるのも、ダメなのか?今日、すっげーおもしろことあったんだぜ!」
 いのは、しゃべりながら手を動かすのがあまり得意ではない。きっと、シカマルとのおしゃべりが疎かになってしまう。
「うーん……きちんと聞けないかもしれないよ?」
「何度もしゃべるから、へーき、へーき!あのさ、今日さ、団子屋でキバに会ったんだけどさ、」
 シカマルは、いのが何を心配しているのかを理解しないまま、自分勝手に喋りはじめる。しかも、たいがいは要領を得ない。じっと聞いていても擬音や手振りで説明することが多く、いのとチョウジ以外には通じないことが多い。
 いのはノートを開くと、明日の仕入れを考えながら、ちらちらとシカマルに視線を遣りつつ、話を把握しようと努めた。発注を任されるのはいのにとって嬉しいことで、父親から信頼されているんだと実感できる。花びらが開ききってしまったものは特価品で出して、その分、入荷をちょっと抑えよう。季節ものはよく出るので、いつもより多めに。常連さんがお嫁さんの誕生日が近いと言っていたけれど、そろそろ相談をされるかもしれない。どんな花を入荷しておこうかな?
「なーなー、いのー、聞いてるかー?」
 すっかりシカマルの存在を忘れてしまったいのは、ノートから慌てて顔を上げる。
「ごめんね、キバくんと赤丸くんが喧嘩してるところにシノくんが来たところから、もう一度話してくれる?」
「……店のことやるの、そんなに楽しいのか?」
「うん。楽しいよ。シカマルくんとおしゃべりするのはもちろん楽しいけど、お店のことだって大事なんだよ」
 シカマルは、むうと唇を尖らせる。
「シカマルくんは、鹿のお世話、楽しくないの?」
「鹿は好き。かわいいし、餌やるの楽しい。でも、早起きが楽しくない」
「シカマルくんが早起きできなかったら、鹿が困るよ。餌、食べられないよ」
「オレん家、やること多すぎて、ちょっとやだ」
 シカマルに当主としての自覚がないことを、いのは知っている。修業だって、チョウジが一緒についていてくれるから頑張れるだけで、ぼやんと空を見たり、影真似で遊ぶことの方がシカマルは好きだった。
「でも、シカマルくんは、奈良一族を継がないといけないんだよ。チョウジくんと私も手伝うから、一緒に頑張ろう?」
「……いのも、手伝ってくれんのか?」
「手伝うよ。当たり前だよ。奈良一族と山中一族は、ずっと仲良しなんだから。これからも一緒だよ」
「え!ずっと一緒にいてくれんのか!?」
 シカマルの語気がいきなり強くなったので、いのは面を食らって目を丸くする。猪鹿蝶の連携は、木ノ葉の宝だと断言してもいい。一緒にいるのは当たり前なのだが、この喜びようは、なんだか違うと空気でわかる。
「う、うん……一緒には、いる、けど……」
 軒先で木桶をいじっていたシカマルだったが、その場から立ち上がると、ずんずんといのの元へ近づいてくる。
「じゃあ、結婚しようぜ!」
 いのの真向かいに立つと、シカマルは満面の笑みで言った。結婚。男と女が互いを伴侶として認め合い、社会的に承認されること。辞書でいつか見た説明が、いのの頭をぼんやりと掠めた。遅れて、衝撃がやってくる。
「え、え、ええっ!シ、シカマルくん、結婚の意味わかってるの!?」
 ずいぶん失礼な物言いだと気づく暇はない。シカマルの言い方は、アカデミーに入る前の幼児が交わす約束と同じで、本来の意味を知っているとはとても思えなかった。
「ずーっと一緒にいるってことだろ?オレ、結婚するなら、いのがいい!」
 真っ赤に染まった顔を隠したいが、シカマルに結婚の定義を教えるのが先だった。お客さんが来ないことを祈りつつ、いのはたどたどしく説明する。
「シカマルくん。あのね、結婚ってね、二人がずっと一緒にいるってだけじゃないんだよ。お互いの両親にもお話して、いいよって言ってもらって、親戚にもきちんと紹介して、」
 あ、聞いてない。シカマルはへらへらと笑うばかりで、いのが何を説明しても右耳から左耳に通り抜けている。長い付き合いだ、聞いているかどうかなんて、すぐにわかる。
「これだけは知っておいてね。私とシカマルくんは、家を継がなきゃいけないんだから、結婚はできないんだよ?」
「……なんで?」
 シカマルは首を傾げる。なぜできないのか。そこにようやく興味が注がれたらしい。
「シカマルくんも私も、一族の技を伝えないといけないでしょ?だから、シカマルくんはお嫁さんを見つけて、子供に鹿のお世話をさせたり、忍術を伝えたりしなきゃいけないの。それが、当主になるってことなの」
「結婚、できないのか」
「そうだよ、できないんだよ」
「……どうしてだ?」
 そして話は振り出しに戻る。その後、いのは繰り返し三度も同じ説明をしたが、シカマルの理解はどうしても得られない。結婚の意味はすんなりと受け入れたが、じゃあどうしていのと結婚ができないのかを、うまく考えられないらしい。たぶん、シカマルの頭は今、パンクをしている。ひとつの物事を学んだら、何か違うひとつが飛び出てしまう。シカマルの頭は、そういう構造をしていた。
「うーん……よくわかんねーけど、オレといのが当主だから結婚できないってことか?」
「そう!そうだよ!そういうこと!だから無理なんだよ!」
 ようやくそこまで辿り着いたか。いのは万感の思いだった。山中と奈良であることと、二人が結婚すること。それは両立できないのだと、知って欲しかった。シカマルにうまく説明ができたことに、いのはホッと胸を撫で下ろした。
「そうか、無理なのか……」
「可愛いお嫁さんが見つかるといいね」
「でも、オレはやっぱり、いのがいい」
 話は振り出しに、戻ったのだろうか?話の行方が、少し変わったように思える。
「難しいことはわかんねーけど、オレはいのと一緒にいたいから、いのと結婚したい」
 へらへらと締まりのない顔が、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、精悍に見える。思考回路が焼き切れそうなほど必死に導き出した答えを邪険に扱うなんて、いのにはできなかった。
「でも、できないんだよ、シカマルくん」
 それだけ言うのが精一杯で、いのは顔を俯ける。いつのまにか夕暮れで、店の床がオレンジの光に照らされていた。この先、いくら説明をしたって、もうシカマルは耳を貸さない。そういう頑固さがシカマルの中にはあって、「理解できない」から「理解したくない」に変わってしまうと厄介だった。そして今、シカマルの融通のきかない一面を掘り起こしてしまったことを、いのは後悔している。胸にあるのは、もっとうまく説明できればこんなことにはならなかったのに、という自責の念だ。
「できないって言われても、オレはしらねー!じゃーな!」
 シカマルは珍しく怒った様子で、ぷいっと顔を背けると、店を出て行った。時刻はもう夕暮れで、一日が終わろうとしている。店じまいをしないといけないし、帳簿だってつけないと。店を開ける前に順序立てて考えていた事柄が、バラバラに散ってしまって、手足が動かない。
「そうだ、仕入れ……」
 開いたままのノートを前に、鉛筆を持つ。途中で止めてしまった計算を続けるのは難しく、何を考えてその数字を記入したのかわからない。もう泣きそうだ。それでもいのは、もう一度やり直そうと決めて、消しゴムで仕入れの数を消すと、ひとつひとつ根気よく数字を埋めていった。




2015/1/4