家族



家族




(注)友人から頂いたネタを書いたものです




「映画ぁ?」
 ナルトが素っ頓狂な声を出すと、カカシはゆっくりと頷いた。
「そ。ここに四枚チケットがあるでしょ。こないだ請けた任務の依頼主さんがね、よく働いてくれたからってご褒美にくれたのよ」
「……褒美って、アンタの分いらねーだろ。何もしてねーんだから」
「あららサスケくん、現場監督って大変なのよ?いつお前らが喧嘩はじめるのか、いっつも冷や冷やしちゃって心臓に悪いったらありゃしない」
 よくもまあ、ぬけぬけと。仲裁に入ったことなんて、ほとんどないくせに。そんな三人のじとっとした視線を、カカシは飄々と笑って流した。
「修行のしすぎも身体によくないからね。今日は、骨休み。みんなで映画を見に行きます」
「どんな内容なんですか?」
 サクラが期待の眼差しを向けながら、カカシに尋ねる。ラブロマンスなら、サスケくんと絶対隣。そうじゃなくても隣は死守。意気込みは十分伝わってきた。
「うーん、よくわからないんだよね。チケットもらったはいいけど、映画の内容は確認してないのよ。ま、成人指定じゃないことだけは確実だけど」
「ちょっ、何言ってんですか!サイテー!」
 イチャパラ教師への風当たりは強い。サクラが真っ赤な顔をして怒っている。言う冗談を間違えたか、とカカシはがしがしと後ろ髪をかいた。
「ま、行ってみればわかるから」
「オレってば、映画館はじめて!」
「私は何度か行ったことがある。サスケくんは?」
「……ねえな」
「となると、社会勉強の一環だね。お前らも、忍社会以外の一般常識を覚えておきなさい」
 いかにも教師らしい言葉だな、とカカシが悦に入っていると、三人は胡乱な目で見てくる。
「えー、カカシ先生に言われたくなーい」
「暇さえあればイチャパラ捲ってる教師に言われたくないってばよ」
「同感だ」
 今日はどうやら分が悪い。ひとまず口を噤むと、三人の教え子を後ろに引き連れて、大通り沿いの映画館に向かうカカシだった。



 四枚の招待券をモギリに渡して、ぞろぞろと映画館の中に入る。右から順番に、サスケ、サクラ、ナルト、カカシの席順だ。サスケが迷わず一番端の席に座ったので、サクラが続き、負けじとナルトが続いた結果、こうなった。
 予告が数本流れた後、本編が始まる。それは、家族ものの映画だった。忍者アクションを期待していたナルトの集中力は、そこでガクッと急激に落ちた。なんか、よく喧嘩する話だな、と椅子に座る角度をちょこちょこ変えながら映画を見た。話の筋は、ナルトから見るとこうだった。
 奥さんが家を出て行ってしまい、息子と二人きりになる。夫は子守なんてまっぴらだと当り散らし、息子も母に戻って欲しくてふてくされる。それでも二人きりの生活になんとなく慣れる。一緒に風呂に入る。学校のテスト勉強を一緒にする。鉄棒の練習をする。そこに血湧き肉踊るドラマはない。実につまらない。あくびをしながら話の終盤にやっと辿りつくと、奥さんが病気で亡くなったと知らせが入る。葬式を終えて、仏壇の前で男は泣く。泣くぐらいなら、一緒に居ればよかったのに、とナルトは思う。男の隣に息子がちょこんと座り、男の手を握る。それで終わり。
 大団円というわけでもないラストに、ナルトは少しもやもやした。やっぱり、三人で暮らしていればよかったんだ。隣のサクラもさぞ退屈しているだろうと首を横に向けると、ぎょっとした。泣いている。「え!?泣き所って、あったっけ?」とナルトは慌てた様子で身体を傾けると、サクラの向こうに座っているサスケを窺う。いつもスカしているサスケらしくもなく、真剣な顔でスクリーンを見ていて、余韻に浸っているようだった。ナルトは、なぜだかわからないが、祈るような思いで左隣のカカシにそうっと視線を移す。覆面越しにはわからないが、カカシは柔らかな表情をしているように見えた。
 ナルトは首を伸ばして、前方の観客の様子を確かめる。すすり泣きや、目元を拭うハンカチの動き。後ろを振り返る気には、もうなれない。ナルトはひどい疎外感を覚えた。自分だけ置いてけぼりなのが悔しいし、なんでみんなそんなに泣いているのか、全然わからない。スクリーンを見ているのも嫌になり、床を睨みつけると、椅子の下でぶらぶらと足を遊ばせた。



 映画館を出て、最初に口を開いたのはサクラだった。
「いい映画だった」
「うん、そうね」
「……悪くない」
 三人とも実に満足しきった様子で、ナルトにはそれがつまらない。口を尖らせて、ぼそりと呟く。
「つまんねってばよ」
 その声に、三人が三人、「え?」と意外そうな顔をする。いたたまれなくなって、大声で喚く。
「だってさ!だってさ!最初っから三人で暮らしてればいいじゃんか!なーんも面白くねってばよ!」
「……アンタのその感性が、残念だわ」
 サクラは、ナルトの感想が気に食わないらしい。その責めるような視線が、ナルトには辛かった。映画を非難をしてやろうという気はすっかり失せてしまい、握りこぶしを作って、顔を俯ける。
「まあまあ、そう言わないの。何を面白いと思うかは、人それぞれだからね。ナルトには合わなかったんでしょうよ」
 カカシは喧嘩がはじまるかな、とサスケをちらりと見る。意外や意外、冷静だった。ナルトの天涯孤独という身の上を知っているからか、あるいは本当に興味がないからか。カカシには判別がつかなかったが、前者だと思うことにした。ナルトに家族愛の映画を見せたところで、ピンと来ないのは当たり前かもしれない。そういうナルトの事情を汲めるぐらいには、サスケは優しかった。とはいえ、サクラが優しくないというわけではない。サクラが幸福な出生であることの証拠だ。
 その日は、甘味処に寄って帰った。おしるこを与えるとナルトは上機嫌になり、サクラもあんみつを美味しそうに頬張る。サスケとカカシはところてん。たまにはいいだろうと「奢りだぞ」とカカシが言えば、おかわりをしてもいいかとナルトとサクラに強請られた。
 ひよこが三匹と、引率者が一人。さして波風の立つことがない、平和な日々だった。



 ひよこの一匹が、里を抜けた。残りの二匹は手を携えてそれを追い、幾多の困難を乗り越えてまた三匹に戻った。一匹は、木ノ葉の英雄。もう一匹は病払いのナメクジ使い、出戻りの一匹は蛇と猛禽類を使役する万華眼写輪眼の使い手。お尻に殻がついていたひよこ達も立派な忍になり、里を飛び出たひよこを死に物狂いで追いかけ回していた二匹が、巡り巡って番になった。
 そんな、ある日のこと。
「……あ、なっつかしー!」
 缶ビールでも飲もうかと冷蔵庫を開けると、ダイニングテーブルで新聞を広げていたサクラの明るい声が耳に飛び込んできた。
「なんだ、どしたー」
「この映画、覚えてる?」
 新聞を掴んでサクラはナルトに歩み寄ると、テレビ欄の映画紹介を指し示した。
「んー?なんだっけ?」
「やだ、アンタほんっとに脳みその容量少ないわね。下忍になりたての頃、七班みんなで映画館に行ったじゃない。覚えてない?」
「ん?んー……ああ!あったね、そんなこと!」
「今日、これからテレビでその映画やるんだってさ。一緒に見ようよ」
「オレ、ビール飲みたい……」
「映画終わってからでもいいじゃない!おつまみ作ってあげるから!」
 幼いナルトがその映画を「つまらない」と評していたことを、サクラはしっかりと記憶していた。しかし、サクラは一緒に見てみたかった。懐かしい七班時代に浸りたかった。あの映画館で、こみ上げる涙を拭おうとハンカチを取り出した時に、ちらりと見たサスケの目元が赤かったのだ。サクラにとってそれは大事な思い出で、胸の中、いつでも取り出せる場所に仕舞ってある。できればナルトも隣に置いて、あの頃の気分を思い出してみたい。おつまみは、退屈な時間を我慢してくれることへのご褒美だ。
「……ほんとに?じゃあ見るー」
 おつまみにつられたナルトは、缶ビールを冷蔵庫に戻して、代わりに麦茶の瓶を手に取った。
「サクラちゃんも飲む?」
「飲む。おっきいグラスでお願い」
「ほいほい」
 大き目のグラスを二つ用意して、作り置きの氷を入れると、麦茶をその中に満たす。年代物のテレビは、そろそろ音が割れそうで、今度の給料が入ったら買い替えを検討しようかな、とナルトは思う。テレビなんて大して見ないのだが、あったらあったで嬉しいものだ。
 ナルトは台所を離れると、ローテーブルの上にコースターを敷いてから、グラスを置く。そしてソファに二人並んで、映画がはじまるのを待った。そういえば、あの時はサクラの右隣にサスケが居て、自分の左隣にはカカシが居た。あの頃の自分は、同じ屋根の下でサクラと二人、映画を見るなんて光景を思い描くことができただろうか?今の状況が、胸にじわりと染みた。
 映画の冒頭は、あの時と変わらない。奥さんに出て行かれて、息子と取り残される夫の姿。唐突過ぎて、よくわからない。昔はそう思った。しかし絵面は同じなのに、まったく違う話にナルトの眼には映った。将来を共に誓ったはずの大事な人が、急に出て行ってしまう。残されたのは、その人との間にもうけた一人息子。これは、大事なものを手元に置いておきながら、その大事さに気づかず漫然と過ごしてしまった男の話だ。そう思った途端、画面に吸い込まれる。
 男は、仕事に重きを置いていた。ナルトにも、その気持ちはわかる。だって、自分は忍だ。任務に命がけで望み、その完遂にのみ心血を注ぐ。こういう言い方は嫌だが、任務のために自分の私生活を犠牲にすることも、多々あった。その結果、人生の伴侶に愛想を尽かされるのだ。心細くなり、隣の手を掴む。サクラはその仕草に、目を見開いて隣を見る。ナルトは画面にとても集中をしているので、視線ひとつ寄越さない。サクラは、その手をそっと握り返した。
 残された息子の面倒を見ることが、男には難しかった。今まで全部奥さんに任せていたものだから、コミュニケーションの取り方がわからない。息子は母が恋しくて、自分を顧みない父に不満がある。最初は癇癪のぶつけ合いだ。そのどうしようもないすれ違いが、ナルトには苦しい。愛情がないわけじゃない。それでも、通わせ方がわからない。少しの思いやりを持てば状況は変わるのに、人の心は頑なで、そこまで柔軟になれないのだ。生まれ育った環境がまるで違うサクラと二人、寄り添うためにはそれなりの努力が必要で、そのギャップを少しずつ埋めていった。埋めたと思ったら違う箇所が空いて、また埋める。ちょっとずつ、ちょっとずつ。そうして今の生活がある。
 見ているのは、同じ映画だ。筋書きがわかっているのに、自分の心の持ちようで、こんなにも変わるなんて。息子の成長を見守ることで、どんどん変わっていく男を見ると、優しい気持ちになれた。父と息子の絆が深まっていく様子が丁寧に描かれていて、胸が熱くなる。奥さんが亡くなり、大事にできなかったことを悔いる男の涙に、気づけば熱いものが一筋、頬を流れた。あとからあとから溢れ出て、止まらなくなる。息子が父の隣に座り、その手をぎゅっと握るシーンで止めを刺された。テーブルの上のボックスティッシュを続けざまに取ったが、間に合わない。涙と鼻水を拭っては捨てての繰り返しだ。
 エンドロールが流れても、ナルトは泣き続けた。目も鼻も真っ赤になって、それでも泣き続けた。麦茶は一口も飲むことなく、グラスの中、氷は解けきっている。屑篭の中はティッシュで溢れた。
「……いい映画だった」
 ようやく涙も収まり、ぽつりと零す。そこでようやく、自分がサクラの手を握りっぱなしだったということにナルトは気づいた。照れくさくなって離そうとするが、サクラが許さない。
「ねえ、ナルト」
 サクラはナルトを見つめながら、静かに口を開く。
「家族になろうか」
 ナルトはその言葉に、息を呑んだ。一緒に暮らしてはいるが、まだ籍は入れていない。もうちょっと経ってから、なんて思いながら延ばし延ばしにしていた。その言葉を、サクラはいともたやすく口にした。
「オレ、」
 ぐるぐる回る頭の中を整理する時間を、サクラはちゃんと与える。握った手を離さないまま、じっと待つ。
「オレね、たぶんたくさん間違えるんだ。目の前のことにばっか夢中になっちゃうから、サクラちゃんが出て行っちゃうまで、きっと間違いに気づかない。それにもし火影になったら、木ノ葉のみんなが家族だから、サクラちゃんのことだけ考えるのって、できなくなっちゃう」
 思い浮かぶのは、そんなことばかりだ。たくさんの大事なものをすべて残らず優先させることが、どんなに難しく、そして無謀であるか。ナルトは理解をするようになった。
「でもオレ、サクラちゃんと家族になりたいなあ。子供、欲しいなあ。誰もなくさないで、仲良く暮らしたいなあ」
 止まったはずの涙が、ぼろぼろと流れはじめた。感情の高波にさらわれて、息をすることすらうまくできない。そうこうしている間に、とうとうティッシュの中身がなくなった。繋いだ手を離したくないので、サクラを引っ張り上げて棚に歩み寄り、ティッシュを探す。
 顔中から水分を垂れ流すナルトの顔があんまり酷いものだから、サクラは思わず吹き出した。片手だけで箱を開けられずにもたもたしているナルトの横から手を伸ばし、蓋を取り去って箱を開けると、ナルトの目や鼻にティッシュを押し当てる。
「アンタ、泣きすぎよ」
「嬉しい時は、泣いたっていいんだ!」
 そう言って、ナルトは思い切り抱きついてくる。足元がふらつきそうになるサクラだが、なんとか踏みとどまった。先ほど問いかけた言葉の答えが、これなのだろう。
「じゃあ、なってみる?」
「なる!家族になる!」
 まだ泣き止まないらしく、サクラの肩口にぽたぽたと涙が落ちる。力任せにぎゅうぎゅうと抱きついてくるので、息苦しい。それでもサクラは、文句を言う気にはとてもなれなかった。




2013/06/22