小豆



小豆




 その部屋の中では、こつん、こつん、と小さな音が響き渡っていた。せわしなく鳴り続けるかと思えば、パタリと止み、そのうちまたリズムのずれた打楽器のように、こつん、こつん、と不器用に鳴りはじめる。もうかれこれ一時間、それを延々と繰り返している。音の正体は、小豆だ。金属製の皿の上に落ちるため、やたらと耳に残り、人によっては不快に思うかもしれない。
「ああ、ちっくしょ!」
 パイプ椅子に座り、頭をかきむしるナルトの目の前には、サクラがいる。折りたたみ机を挟んで、二人は真向かいに座っていた。間に置いてあるのは、小豆の入った金属製の皿が二枚。
 二人は今、リハビリの真っ最中だった。大戦時にサスケと戦った後、なくしてしまったナルトの右手は、義手をつけるという方向で落ち着いた。元々備え持っている抜群の回復力も手伝って、綱手も驚くほどの順調な経過を見せている。日常生活を恙無く送れるまで時間がかかるだろうという当初の見立ては、ものの見事にすっ飛んだ。
 しかし、指先を使った細かい作業をこなすまでには、まだまだ時間がかかる。軽作業のリハビリを終えたナルトが次に取り組んだのは、右の皿に乗っている小豆を箸でつまみ、左の皿に移すという実に地味な作業だった。すべての小豆を移し終えたら、また左の皿から右の皿へ。それを延々と繰り返す。リハビリでなければ、誰も好んでやらない不毛な作業だ。
「サクラちゃん、飽きた」
 ナルトは、箸を片手に膨れ面でつぶやいた。
「そうね、私も飽きた」
 平坦な声を返すサクラは、眉間に皺を寄せて、じっとナルトの所作を観察している。二人揃ってこんなに機嫌が悪いのも珍しい。カカシが集合場所に二時間遅れた時でも、ここまで苛々することはない。そういうしている間も、掴み損ねた小豆が、皿の上をくるくると回る。ため息を吐きそうになるのを、サクラはぐっと堪えた。
 細かい作業が嫌いなナルトの性格を知り尽くしているため、サクラはナルトがサボらないようにと、腕を組んでしっかり見張っている。思い返すまでもなく、ナルトは元々箸使いが上手ではない。そもそも一楽ラーメンに出会うまで、箸を持ったことがなかったくらいだ。いつも摘まむのは、ナルトかメンマかといったところで、小豆を摘まんだことなどない。スプーンで口の中にかきこむものだと思っている。
 静まり返る部屋の中、こつん、とまた皿の上に小豆が落ち、ナルトが箸を割りそうになる。それを視線で抑えるのが、サクラの役目だ。箸を折ったら、その場で殺す。それぐらいの勢いで、この場所に立ち会っている。
「あんさあ、もう今日は、ここまでってことにしない?」
「今日は、二往復」
「言っちゃなんだけど、一時間かけてもこんだけしか……」
「二往復」
 拘束時間が長いわりに、成果が得られないのは、サクラにとっても耐え難い。実を言えば、ナルト以上にストレスを溜めていた。この時間を使ってできることは、山ほどある。シズネが医療班のトップに立ち、新体制で始動した木ノ葉病院は、どこもかしこも人手不足で、医療忍者がいくらいても足りないぐらいだ。事務方の仕事だって、専門の知識がなければ立ち行かない。下忍の候補生もかき集めて紛失したカルテの穴埋めや必要器具の補充など、人海戦術で挑んでいる。サクラだって、姉弟子の役に立ちたいと強く思っていた。
「……豆ぐらい摘まめなくなって、任務はできるってばよ。印だって結べるし」
「まだスムーズには結べないでしょ」
「それと豆って関係あんの?」
「いざっていう時、イメージと指の動きにズレがあったら、致命傷を食らうわよ」
 サクラが正論を返しても、ナルトはまだ未練たらたらで、なんで豆なのかとぶつぶつ呟いている。
「小豆には、ちゃんと意味があるのよ」
「何、どんな意味」
「リハビリが無事に終わったら、この小豆使ってうちの母親がおしるこ作ってくれるって」
 これは、とっておきのご褒美だ。ナルトはサクラの母が炊くあんこが大好きで、いつだったかおはぎを差し入れしたら、涙を流さんばかりに喜んでいた。あんなに美味そうに食べてくれるのだったら、作り甲斐があるはずだ。ナルトを家に招いたら、母も喜ぶかもしれない。
「おしるこ……ねえ」
 きっと、目を爛々と輝かせてリハビリに取り組むはず。そう思い込んでいたサクラだが、ナルトの反応は薄い。
「あんた、おしるこ好きじゃない」
「うん、好き」
「だったら、頑張りなさい。これ終わったら、ちゃんとご褒美があるんだから」
「んー……」
 ナルトは箸を手に持ったまま、机の上にごろんと頭を寝転がした。
「オレってば、サクラちゃんの作ったおしるこが食べたい」
 唇を尖らせて、不貞腐れた声。それは、駄々をこねた子供のような口調だった。
「あのねえ、私だって暇じゃないの。本当なら、すっごく忙しいの。だいたい私、おしるこなんて作ったことないわよ」
「だから、言ってんの」
「はあ?」
「サクラちゃんが初めて作ったおしるこを、オレは食いたいの」
 それを言ったきり、ナルトの手は、もう動かない。何を甘えてんの、と突き放すべきだった。そして、あんたのためなのよ、と言い含めるべきだった。これはナルト自身のために行っていることで、しっかりやっておかないといつか必ずしっぺ返しを食らうに決まっている。ナルトが確固たる意志を持って励まなければ、未来はない。
 ナルトには、幼い頃から抱き続けてきた夢がある。その夢を聞いて一笑に付す者は、誰もいない。それほどまでに現実味を帯びていて、夢を叶えるナルトの姿を見られるのなら何だってしてやろうとサクラは思ってしまう。あと一歩、もう一歩。そのためには、義手とうまく付き合うことは必要不可欠で、モチベーションの維持は重要だった。
「……作るって言ったら、続ける?」
 箸を放り投げる寸前だった義手の指先が、ぴくりと動く。
「白玉が入ってるやつだよ」
「うん」
「ぜんざいじゃないよ、おしるこだよ」
「うん」
「栗、乗せてくれる?」
「うん」
 甘えた言葉にひとつ残らず頷くと、ナルトはむくりと上半身を机から起こした。
「約束だからな!」
 やる気がたちまち顔中に漲る。ナルトの視線をまっすぐ受け止めて、サクラは深く頷いた。
「うおっし、やるか!」
 ナルトは腕まくりをすると、カチカチと箸先を鳴らしてリハビリ作業を再開した。時間をかけつつも、集中力を損なうことなく、ひとつひとつの小豆を丁寧に皿から皿へ。この一粒一粒が、おしるこの材料になる。そう思うと作業も捗るのだろう。元々修業が趣味とも言っていいナルトは、根気強さを兼ね備えている。それを存分に発揮すれば、リハビリなんてすぐに終えてしまうだろう。
 こつん、こつん、こつん。
 規則的に響く音は、途切れない。




2014/12/15