垣根



垣根




 先の大戦で、ナルトは木ノ葉どころか、全世界に名を轟かせる英雄となった。忍者が普段どんなことをしているのか知らない輩でも、うずまきナルトの名前だけは耳にしたことがある。今やそんな世の中だ。忍界に知れ渡る英雄はたくさんいるが、一般人にもその名を知られる忍者は、ナルトぐらいかもしれない。
 そんなナルトでも木ノ葉に戻れば、見習い忍者よりも難易度の高い任務をあてがわれる一介の下忍にすぎない。大戦での功績を鑑みて一気に上忍まで昇格、なんていう近道があるはずもなく、既存の昇格システムに沿って地道に中忍試験を受けることになっている。大戦後に初めて行われる中忍試験の開催地は、水の国。遠方で地の利もなく、試験対策を地道に練るしかない。そういうわけでナルトは、試験勉強の真っ最中だった。
「サクラちゃん、もうちょびっとゆっくり歩ける?」
 おぼろ月夜が照らす道を、ナルトは疲れきった足取りで歩いていた。半歩前には、ナルトの試験勉強を見てやろうと一念発起したサクラの背中がある。さっさと帰ってやりたいことがあるのだろう、いつもより大股で足運びも速い。
「何よ、情けない声出しちゃって。今日は一日ずっと座ってたんだから、バテてるはずないでしょ」
「や、なんか、今日覚えたことが耳から出て行っちゃいそうで……」
「バカ言ってんじゃないわよ!んなわけないでしょーが!」
 サクラは歩を緩めると、弱気のせいか妙に丸まっている背中をバシンと叩く。
「サクラちゃん!出る、出ちゃうから!」
「ホント情けないわねえ。しっかし、あんたにここまで基礎的な知識が身についてなかったなんて、思ってもみなかったわ!今まで何やってきたのよ。こんなことなら、任務の時にルート選択ぐらいさせておくんだったわ」
 野営地設定、経路探索、暗号解読。サクラが何をどう説明しても、「どこがわからないのかわからない」の一点張りで、鉛筆を持ったまま冷や汗を浮かべるばかりだ。挙句の果てに、「質問文の漢字が読めない」と泣き出しそうになった時には、怒りを超えて脱力感に襲われた。一番最初に受けた選抜試験こそカンニング技術を競う試験であったが、サクラが中忍に合格した時は、単純に知識を問うペーパーテストだった。このバカに試験が突破できるかと、今から頭が痛い。
「あ、ここでいいわ」
 サクラは、実家が見える垣根の手前で足を止めた。いつもいつも、二人が別れるのは、この角の垣根だ。ナルトは、ここでいいと言われると、ちょっと泣きたくなる。念願叶ってサクラの恋人と胸を張って言えるようになったのは、つい最近のこと。できるなら一秒でも長く一緒にいたかった。しかしサクラは、自分の家にナルトを絶対に近寄らせない。両親に自分との関係を探られるのがイヤなのだろうか。ナルトは、すごく複雑だ。
「ねえ、サクラちゃん」
「ん?」
 去り際に一声をかけて、ナルトはサクラを引き止める。夜も遅いというのに、サクラは嫌な顔ひとつしない。こういう時に、自分はサクラに許されているのだな、とナルトはホッとする。「何よ」と少し尖った声をぶつけられたところで、痛くもかゆくもない。だけど、どうせなら柔らかい声が聞きたいし、怒られない方がいいに決まっている。
「オレがもし中忍になったら、家の前まで行けるのかな」
 ナルトは、ちょっと弱々しい声で、呟くように言った。
「……ん?」
 サクラは眉を潜めて、同じ声を返す。ただし語尾が尻上がりで、首を傾げている。
「オレ、頼りなくてごめんなあ。もうちょっとで追いつくからさ」
 申し訳なさそうなその口調で、サクラは先の台詞をナルトがどんな気持ちで口にしたのかをようやく察した。まだ下忍で頼りないから、両親に隠れてこそこそしている。そう、ナルトは信じ込んでいる。
「でも、これだけは許してね」
 ナルトは控えめな力でサクラの手を引くと、緩く身体を包んだ。抱きしめる、なんて表現は遠く、少し身体を重ねるだけ。その心もとなさが、サクラの胸をせつなくさせる。
「今日も勉強見てくれてありがとね。明日もよろしくお願いしますってばよ!」
 ニカリといつもの笑みを浮かべて、ナルトはその場から消えようとする。待って、と口に出すよりも早く、サクラはナルトの肩を掴んで強引に振り向かせた。うんと背伸びをして、手のひらで頬を挟み、唇を重ねる。力いっぱい、抱きしめて。そんな願いをこめて深く口付けると、ようやくナルトはサクラと真正面に向き合い、その肩を抱いた。
 唇を離して、二人は息を吐く。戸惑うナルトを前に、サクラはひとしきり逡巡する。やがてそれを振り切るように、ナルトの手をそっと掴んだ。
「あのね、うちの両親、ナルトのこと、すっごく好きなの」
「え?」
 ナルトの手を引いて、サクラは早足で家に向かう。話の展開が急すぎて、ナルトはついていけない。
「もうね、絶対に足止めされるから。いらないって言っても、ご飯とかお菓子とか自動的に出てくるから。ていうか、泊まっていきなさいよって言われるから。家に入ったら最後、そのまま出られないと思って」
 サクラは足を止めることなく、背後を振り返る。
「いい?覚悟しといて」
 別れの象徴だった垣根は、もう遠い。サクラの家から漏れ出る明かりが、ひどく眩しい。ナルトは目を眇める。
「……うん」
 弱い、弱い、小さな声。喉が詰まっているから、大きな声が出せない。こんなに胸が詰まることがあるものか。ナルトはそこで、湧き上がる嬉しさの正体に気づく。自分はきっと、あたたかそうな家の中に入ってみたかったのだ。別れ際にいつも感じる置いてけぼりにされたような、あのどうしようもない寂しさは、そうじゃないと説明がつかない。
 家の前を通り過ぎると、玄関に続く階段は、もう目の前だ。空いた手で鍵を探すサクラを追い越すと、ナルトは階段の踏み面に足を乗せる。
「覚悟、できたってばよ」
 サクラの目をしっかり見つめて言い切ると、サクラは少し呆けた顔をした後、はにかんだように微笑んだ。こんなに可愛い女の子とお付き合いをするのだ、あなたに娘はやれませんと言われないように、誠実な対応をしなければならない。階段を一段、そしてまた一段。覚悟を力強く踏み固めて、玄関扉に辿り着く。サクラが鍵を開ける様子を眺めながら、ナルトは服装を整えると、シャンと背筋を伸ばた。




2014/11/22