写真



写真




 大戦後のある日。立派に建て替えられた木ノ葉病院の屋上で、ナルトは物思いに耽っていた。あとは屋根を葺くだけの家々が立ち並ぶ地面の下。あの場所には、ナルトが後生大事に飾っていた一枚の写真が埋まっている。自分の姿を写真に残す習慣なんてなかったナルトが持っていた唯一の写真だ。住んでいたアパートの付近をこっそりと掘り返してみたのだが、ガラクタはいくらでも出てくるのに、あの一枚はどこにも見当たらなかった。
「あーあ、なくなっちまったなぁ〜」
 その呟きは、ため息と共に空気に溶けて消えた。最近肌寒くなってきたおかげで、寂寥感さえ迫ってくる。なにしろ、あの写真の中には、サクラがいた。どんなに修行で疲れていても、写真にうつっているサクラを一目見れば元気になれたのだ。どんな兵糧丸よりも、ナルトにとっては効き目があった。一楽のラーメンをもしのぐ、いわば特効薬だった。
「……あんた、何してんの、こんなとこで」
 その声に、ナルトはパッと背後を振り返る。ごうんと扉が開く音には気づいていたが、まさかサクラだとは思わず、構うことなく手すりに顎を乗せていたのだ。くるりと振り返ると、手すりに背中を預けて、がしがしと頭をかく。
「や、ちょっと、暇で、」
 まさか、感傷に浸っていただなんて弱々しいことは言えなかった。サクラの前では、いつだって格好つけたいのだ。まあ、格好良いなんて言われたことは一度もないわけだが、そういう意気込みを捨ててしまったら、永遠にそんな機会はやってこない。ナルトとしては、死ぬ前に一度は聞きたい言葉だった。
「暇って……どういうことよ。同じ中忍でこの格差。信じらんない。私、昨日からずっと働き通しなんだけど。代わってほしいわよ、まったく……」
 サクラは高く括った髪を解いて、頭を軽く振る。その仕草に、ナルトはこっそり見惚れた。空に散らばる桃色から目が離せない。口がぽかんと開いていると気づいたのは、サクラがこちらに視線を寄越してからだった。
「何?」
「なんでもない……って、あれ?」
 気まずい空気を避けるように視線を下へ移すと、サクラが着ている白衣の胸ポケットに見慣れないカードが差し込まれていることに気づいた。カードには、「春野サクラ」という文字と、小さな顔写真が貼りつけてある。
「そんなの、いつもつけてたっけ?」
 カードを指差して、ナルトは尋ねる。
「ああ、これ?病院でスタッフ証を作ることにしたのよ。名前と顔写真があれば、患者さんが呼び止める時にも便利だし」
「へえ、そうなんだ」
 写真か。いいなあ。ナルトは羨ましくなる。やはり、なくしてしまった写真に未練があった。いったい、どこに埋まっているのやら。
「写真撮るなんて久しぶりだったから、ちょっと緊張しちゃったわよ。顔、変かな?」
 サクラはスタッフ証を指で持つと、軽く傾けて自分が写っている顔写真を確認する。忍者が写真を撮ることなんて、そうそうない。木ノ葉には、代々続く写真屋があって、写真が必要な時にはそこに依頼することになっていた。そもそも忍者が姿を残してどうする、という考え方が基本のため、本当に必要な時にしか写真屋は呼ばれない。
「撮ったのって、いつ?」
「さっきよ、さっき。もー、写真撮るってわかってたら、もっと気を遣ったのに!急に来るんだもの!やっぱり変かなあ……」
 さっき、という言葉に、ナルトは敏感に反応した。写真を撮る時、予備に何枚か残しておくのをナルトは知っている。下忍になりたての頃に登録用の写真を撮ったが、あの時も試し撮りを含めて数枚余分に撮ったはずだ。そしてそれらは、後日必ず廃棄される。
「わりぃ、用事思い出した!サクラちゃん、またね!」
 ナルトはそう言うと、サクラに向けて手を振りながら、手すりを乗り越えた。これは、サクラの写真を手に入れるチャンスだ。さっき撮ったのならば、病院の一室に残されている可能性がある。病室は論外、待合室もないだろう。地面に着地する間に考察し、カルテの保管室が最有力かと判断する。あそこは広いし、写真の機材を置く場所にも困らない。病院の壁をトンと蹴って方向を変えると、ナルトは保管室へと向かった。




 天井から忍び込むと、写真屋の親父がナルトの作った影分身と世間話をしているのが見えた。影分身がそっと目配せをして、OKのサインを出す。ナルトは天井の板を外して、音もなく着地する。写真機の横に置かれた折りたたみ机の上には書類が広げられていて、写真もまたそこにまぎれていた。シズネの写真がすぐに見つかり、これは楽勝だとほくそ笑む。サクラの予備分を探せば、任務終了。影分身が注意を逸らしている間に、写真を探る。受付スタッフに、いの、医療班の顔見知り、写真は次々出てくるのだが、サクラの分だけが、なぜか見当たらない。焦ったナルトは写真の束を取り落とし、慌てて天井に飛び上がった。影分身が「何やってんだよ」と口だけで文句を言う。
「おかしいな、窓も開いてねえのに……」
 親父は首を捻りながら、床に散らばった写真を丁寧にまとめて袋の中に入れた。そこでようやく里の重大機密を扱っていると思い出したのか、ナルトの影分身に何かを告げた。おそらく、人払いだろう。影分身は、ナルトに向かって「まぬけ」と口を動かすと、部屋から出て行った。腹が立つやら何やらで、クソッと思わず口からついて出る。親父が声に気づいて天井を見上げる前に、父親仕込みのマーキングを使った瞬身術でその場を切り抜けた。
 ナルトが再び現れたのは、病院の中庭だった。木の根元には、マーキングの術式が仕込まれている。いつもサクラが詰めている部屋の目の前にその木は植えられていて、いつでも近くに行けるようにと、こっそり仕込んだ。
「今日は、よく会うわね」
 その声に、心臓が飛び出るかと思った。サクラは部屋の中にいたらしく、開けた窓のサッシに身体を預けている。
「ねえ、あんたが探してるのって、これ?」
 サクラがナルトに向けてかざしたのは、予備の写真だった。「あッ!」と短く叫んで、ナルトは思わず手を伸ばす。それをひょいと避けると、サクラは写真をまじまじと見つめた。
「これ、あんまり気に入ってないのよね……」
 その写真が、どうしても欲しい。そうは思えど、なかなか言葉が出てこない。もたつくナルトに、サクラはひとつ提案をした。
「写真、撮りに行こうか」
「……へ?」
「だから、写真。私と、あんたと、サスケくんと、先生。集合写真がなくなっちゃったんだから、それぐらいは許されると思うのよね。私、申請しておくから。それで、どう?」
「どうって、写真撮るのは嬉しいよ、嬉しいけど、」
「けど?」
「オレは……その……サクラちゃんがうつってるその写真が、どうしても欲しい」
 視線をついと逸らし、消え入りそうな声で、ナルトが言う。理由を聞かれたらどうしよう。好きだから、と言ってしまえたらどんなに楽かわからない。でも、今は言えない。告げるのならば病院ではなく、もっと時間も場所も選びたい。サクラが安心できるようにもっと収入を増やしたいし、一軒家を買えるぐらいの貯金がないと頷いてくれないかもしれない。
「じゃあ、あげる」
 どんどん飛躍する思考を縫って、サクラはあっさりと言った。
「……くれるの?」
「欲しいんでしょ?だったら、あげる。どうせ処分するだけだし。予備のスタッフ証を作るってことで申請通すなら、今しかないわよ」
「も、もらう!オレってば、すげー欲しい!」
「なくすんじゃないわよ」
 とん、と胸におしつけられた写真は、サクラが手を離すとひらひらと宙に舞う。それを手のひらでそっと掬い、サクラに感謝を伝えようとするのだが、その姿はすでに窓辺から消えていた。
「サクラちゃーん!あんがとー!大事にするからねー!」
 どこかに引っ込んでしまったサクラがその声を聞いているかはわからない。しかし、ナルトは大声を張り上げて感謝を告げた。そして、小さな小さなその写真をなくさないように写真立てを買おうと、雑貨屋まで一目散に駆けていった。




2014/11/17