花瓶



花瓶




 満開に咲き誇る花を両手に抱えて、ナルトは帰路についていた。さっさと家に帰ろうと急いでいたのに、やまなか花店の前を通りかかったら、「安くしとくから引き取ってよ!」といのに押し付けられたのだ。いのが言うには、花が開ききってしまうと売り物にならないのだという。提示された金額は、驚きの半値以下。思い返すと、サクラに改まって花をプレゼントしたのはいつだったか。ナルトはすっかりその気になり、ほいほい財布を取り出してしまうのだから、やまなか花店にとっては上客だ。集めている鉢植えは、必ずこの店で買うようにしている。珍しい種類を取り揃えているし、何よりいの自身の植物や花に対する愛情が、ナルトは好ましいと思っている。草木を育てるというのは、あれでなかなか根気がいるのだ。本当に好きじゃないと、花屋なんて勤まらない。
「たーだいまー」
 ドアを開けると、上り框にそっと花束を置いてから、サンダルを脱ぐ。サクラの履物は玄関にきちんと揃えられていて、今日はもう家に帰っているのだとわかった。この香りは、きっとサクラも好きだ。どんな顔をするだろうな、と期待に胸を膨らませながら、ナルトはリビングに向かった。
「サクラちゃん!あのさ、あのさ!」
「お疲れ様。今日は、早かったのね」
 コーヒーを片手にソファへ向かおうとするサクラが、笑みを称えてナルトを労った。いつもなら嬉しいはずのその言葉も、右耳から左耳へと空虚に通過する。その目は、テーブルの上に釘付けだ。
「ど、どういうことだってばよ!?」
 テーブルの上には、ナルトが抱えているのと同じ種類の花がもっさりと花瓶に生けられていた。もしかしたら、本数は花瓶の中に入っている方が多いかもしれない。
「あ〜あ、いのにしてやられたわね」
 サクラは苦笑混じりに言うと、コーヒーをローテーブルの上に置いた。そして、腰に手を当てて、ナルトと向かい合う。
「安くしとくからって、押し付けられたんでしょ」
「もしかして、サクラちゃんも?」
「まあ、そうなるかな。たまには花もいいかなと思って、財布の紐がついつい緩んじゃった」
 あのちゃっかり者、さては同期全員に同じことをしたとみえる。いや、里の男連中も餌食になったかもしれない。あなたの家に安らぎを提供します。安い常套句だが、いのが笑顔で言うと心を鷲掴みにされるらしい。まったくもって、解せない。
「くっそー……それにしたってあいつ、なんでよりにもよって同じ花を持たせんだよ……」
「ただ単に、仕入れすぎたんじゃないの?まあ、花瓶なら押入れの中にもうひとつあるから」
「ん?あれ?」
 サクラの言葉に、ナルトはふと疑問を抱いた。一緒に暮らす時に色々と雑貨を集めたが、花瓶を買ったおぼえがない。テーブルに置いてある花瓶も、思えば初めて目にするものだ。何度か訪れたことのあるサクラの部屋に、花なんて置いてあっただろうか?
「なんでウチに花瓶なんかあるんだってばよ」
 サクラの表情がピシリと固まり、ゆっくりと視線が逸れていく。あからさまに怪しい。
「何か、隠してるでしょ」
 その問いかけにサクラは一言も返さず、何食わぬ様子を装って和室に行こうとする。その進路を遮る形で、ナルトはサクラの前に立ちはだかった。
「そうだ、隠してる。その顔は、絶対そうだ。サクラちゃんは嘘つくのチョー下手だから、オレってばわかっちゃうもんね!」
「嘘っていうか、なんていうか、」
「なんで花瓶があるのかな?そもそも、何のために買ったのかな?」
「あの、その、まあ落ち着いて」
「オレは落ち着いてるよ?サクラちゃんが慌ててるだけだってばよ」
 まだまだ軽い詰問口調だが、サクラは話を逸らすことができない。
「仕事で、ね」
「うん」
「その、花をね、患者さんから頂くことが、何回か……」
「それ、もれなく男でしょ」
「……さあ、どうだろう?」
「なんだよ、その濁し方!嘘つく気すらねーじゃんか!」
「だって!あんたに嘘つくのがイヤなんだからしょうがないでしょ!」
「ハイきた、逆切れ!って、もうこのパターン何度目だよ、ほんと飽きねぇよなあ、オレらも」
 ナルトは顔をうつむけて、ハーッと深く息を吐いた。ナルトに嘘をつくことに後ろめたさを感じているサクラが、しょうもない誤魔化し方をして、喧嘩寸前になる。そんなことを何度も繰り返している。いい加減、学ばなくてはならない。ナルトは、下に向けた視線を、再びサクラに注ぐ。
「花瓶、買ったんだろ?」
「……うん」
「花、枯らしたくなかったんだろ?」
 今度は、黙って頷く。このしおらしさを前にすると、何も言えなくなってしまう。惚れてしまった弱みだ。サクラの情の深さはナルトも知るところで、誰かの大切な想いをゴミ箱に捨てるなんてとてもできなかったのだろう。
「いいよ、花瓶くらい。出してきな?」
 サクラの頭をぽんぽんと軽く叩くと、サクラはナルトの肩に額をトンと乗せてから、和室に向かった。そして襖を開けると、押入れの奥をごそごそと探る。上半身が押入れの中に埋まり、足だけが出ている状態だ。しばらく待っていると、「あった」という声と共に、サクラは立ち上がる。
「これ、なんだけど」
 和室から戻ってきたサクラがナルトに向けて見せたのは、凝った彩色を施した青磁花瓶だった。こんな大きな花瓶は置き場所を選ぶし、何よりサクラの好みから大きく外れている。
「……なんかすごい立派じゃねえ?」
 そこでまた、ピンとくる。野生の嗅覚を舐めてはいけない。
「これも男からか!」
「だって!これに生けて飾ってくださいって!」
「わかった!よし、飾ろう!もう飾っちゃおう!それから捨てるなり押入れにしまうなり考えよう!」
「えー、捨てるのは、ちょっと……」
「サクラちゃん」
 無我の境地、悟りの領域。サクラの両肩に手を乗せると、笑顔を貼り付けて、堪え時だと自分に言い聞かせる。しかし、ナルトだってまだまだ若い。すくすくと立派に育った執着心は、男の影を見つけるなり、それを排除する方向へとたやすく傾いてしまう。サクラの肩に乗せた手に、我知らず力が入る。
「すぐに割らないだけ、大人になったって思おう?」
「……はい」
 サクラを納得させると、ナルトは青磁花瓶を台所に運んで、シンクに置く。
「水って、どんぐらいいれるの?」
 背後で棒立ちになっているサクラに問いかければ、サクラは台所に歩み寄り、ナルトの隣に並んだ。
「花瓶の中、覗いてみて?」
 中に印でもついているのだろうか。ナルトは顔を下に向けて、花瓶の中を覗こうとする。その時、すっとサクラの顔が近づき、ナルトの唇を軽く食んだ。
「ごめんなさい」
 こういうところが、いじらしくて、可愛くて。心の柔らかい部分を優しく撫でられたような気分になる。何度繰り返しても飽きないし、まだまだ色んな表情が隠れている。もっと見せて、と毎日でも言いたい。
 サクラの手が、蛇口を捻る。どこまで水を入れたのか確認しないうちに、さっさと青磁花瓶を持っていってしまうのだから、照れているのだろう。かーわいいなあ、とにやけ面で言うと、花瓶の置き場所を探すべくサクラを追いかけた。




2014/11/13